2023年7月22日土曜日

 

牧師の日記から(427)「最近読んだ本の紹介」

有沢螢『虹の生まれるところ』(オリエンス宗教研究所)カトリックの月刊誌『福音宣教』巻頭の随筆と短歌を時折目にしていた。それが長尾有起牧師の叔母さんが病床で書いたものと知ったのはつい最近のこと。カトリック系の高校で国文学の教師をしていた著者は、黄色ぶどう球菌の感染による髄膜炎で突然倒れ、以降脊椎損傷による四肢麻痺で寝たきり状態になる。2年間人工呼吸器が離せなかったのだが、奇跡的に呼吸器を外し、食べ物を摂ることができるようになる。以来、介助者の手を借りて、短歌を詠んで来たのだが、昨年逝去されている。随筆の中で思わず吹き出したのは、次のような部分。

「春の気配を感じると、幼い頃のことを思い出す。幼稚園児であった弟が、何度か自ら押し入れに隠れている光景を見た。『どうしたの』と尋ねると、『神さまから呼ばれると恐いから、隠れているの』と答えた。どうやら教会学校で幼いサムエルの召命の話を聞いて、自分も神さまから呼ばれたらどうしようと恐れたらしい。・・・・・・病床に伏すようになって、弟が、この挿話(五千人のパンの奇跡)は、イエスさまの恵みはいつでも必要なだけ用意されていて、その人にとって有り余るものなのだと語ってくれた。押し入れに隠れていた幼い弟は、ついに神さまに見つかって、今は日本基督教団の牧師となっている。」

この弟こそ、長尾有起牧師の父上・邦弘牧師のことなのだ。その短歌は思いもかけぬ激しさと瑞々しさを含んでいる。いくつか紹介しよう。

「われもまた神をゆるさん動かざる手足に窓の虹を見上げて」

「人のため何かをなしたき傲慢を捨てよと言われただ祈りおり」

「われもまた馬小屋の隅に身を寄せる小さきもののひとりなるらし」

「三十一回五十音図を読む友に頷きながら歌は生まれる」

斎藤幸平『ゼロからの「資本論」』(NHK出版新書)学生の頃、友人たちと一緒に『資本論』や『ドイツ・イデオロギー』などのマルクスの読書会に参加していた。もちろん十分には読み込めなかったが、偉大な思想家としてのマルクスの魅力は充分に感じた。しかしその後のスターリズム批判や、社会主義諸国の硬直化、そして何より1990年のソ連解体によってマルクス神話が崩壊したとされる。そのマルクスの『資本論』を、その後の研究成果を踏まえて、21世紀の現代に新しく読み直そうとする機運が生まれているという。30歳代の若きマルキストは、『人新生の資本論』でデビューしたが、本書で『資本論』の全く新しい読み方が披歴される。それは、従来のプロレタリア独裁や下部構造決定論などの公式主義を脱し、「資本主義内部でのアソシエーションによる改良」こそが、官僚制の肥大化、南北問題、そして自然環境破壊を克服する道だという。それは、全く世代の異なる柄谷行人の言説と微妙に絡み合う。どこまでが共通していて、どこで違うのか興味深い。(戒能信生)

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