2023年7月9日日曜日

 

牧師の日記から(425

72日(日)主日礼拝。ルカ福音書1831-34の講解説教「受難予告」。ルカ福音書は、基本的にマルコ福音書に拠って受難物語を描く。新共同訳の見出し語は「三度死と復活を預言する」となっているが、本文には三度とは記されていない。既にこの福音書の冒頭から「人の子の受難」が繰り返し予示されている。しかし弟子たちはそれを理解できないのだが、ルカは「隠されていた」と、むしろ十字架の出来事を秘儀化している。その点で改めて贖罪信仰について考えさせられる。この国のプロテスタント教会では、贖罪信仰が福音信仰の中核とされ、そこに信仰理解を集中させる傾向がある。しかしルカの言うように十字架の出来事は、秘儀として「隠されている」と言うべきではないだろうか。礼拝後、定例長老会。コロナの第9波が始まっているとされるが、十分注意しながら礼拝を中心に教会活動を継続していきたい。夕方、四ツ谷近辺を散歩。

3日(月)午後、四ツ谷駅前の皮膚科を受診。ヘルペスはほとんど直っているし、ジンマシンの症状もこのところ出ていない。少しずつ薬を減らしていくことになる。夜は日本聖書神学校の授業。柏木義円について講義。帰宅後、直子さんに手伝ってもらって『時の徴』発送の準備。

4日(火)午後、『時の徴』編集委員会と発送作業。同人5名と条谷泉さんが来られる。購読者450通と、購読依頼400通を発送。同人の若返りの必要が議論になり、編集担当を下田洋一先生から縣洋一さんに交代することになる。封筒や振替用紙のストックが切れているので、新たに注文する必要がある。それにしても167号までよく続いたものだ。夜は、次号に掲載する「井上良雄小説教」の翻刻作業。感銘を新たにする。

5日(水)午前中の聖書を学び祈る会は休止。午後から農村伝道神学校の授業で、この日が前期の最終日。教務担当者から来年度の継続を言われたが、そろそろ交代の時期ではないかと答えた。しかし日本キリスト教史や日本宗教史についての講師が他に見当たらない言われ、何人かを紹介する。やはり世代交代して、若い研究者に機会を与えなければならない。夜は『時の徴』の「高倉徹総幹事日記」の原稿整理。19699月前後の教団の混迷を思い返しながら作業を進める。なにせ半世紀以前ことなので、どのように註を付けるかで苦労する。

6日(木)午後、直子さんと一緒に近くの診療所で6回目のワクチンを受ける。来週のNCA講座「日本キリスト教史を読む」のレジュメを担当者に送付。この講座も今年で終了。いろいろな区切りの時が迫っている。

7日(金)朝6時過ぎに起きて散歩。約5000歩のいつものコースを歩くと、汗びっしょりでシャワーを浴びなければならない。この時期の散歩も考えものではある。夜は、北支区連合祈祷会で池袋西教会へ。久しぶりに対面とリモート共用の祈祷会。音声がうまく伝わらず、途中で中断したりした。リモートの難しさではある。26名の参加。(戒能信生)

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