2023年12月9日土曜日

 

牧師の日記から(447)「最近読んだ本の紹介」

柄谷行人『帝国の構造』(岩波現代文庫)柄谷行人の交換様式論で、帝国の構造を分析するとどうなるかが展開される。特に、帝国の中心部とその周辺、さらに亜周辺の地政学的な差異が、どのような結果を伴うかが示される。具体的には、中国(中心)と朝鮮やベトナム(周辺)、そして日本(亜周辺)の位置関係から、言語や文字の成り立ちが取り上げられる。いずれも先進文明である中国の決定的な影響を受け、文字として漢字が受容される。朝鮮やベトナムでは、科挙制度が導入され官僚制が成立するが、やがて独自の民族文字が作られ、現在では漢字は放棄されている。他方、日本でも万葉仮名から独自の仮名と片仮名が作られる。しかし漢字が放棄されることはなく、現在も漢字混じり文が用いられている。そこに亜周辺の位置にあるこの国の特質を読み解いている。それはこの国に官僚制(科挙制度)が育たなかったことと関係するというのだ。このような分析に刺激されて、ここからは私の感想。最初に日本語に翻訳されたヨハネ福音書は、幕府による鎖国下、マカオで宣教師ジョナサン・ゴーブルが三河の漂流漁民の助けを借りて訳したものだった。それが全文片仮名だった(漂流漁民たちは片仮名しか書けなかったのだ)。つまり日本初の聖書は民衆語に翻訳されたのだった。ところがその後明治期になってプロテスタント教会で公式に採用されたのは、漢訳聖書をもとにした文語訳聖書で、荘重な漢語風の文体を特徴とする。他方、朝鮮語訳聖書は、北京に留学生した両班出身の学生たちが持ち帰って翻訳したとされる。その際、留学生たちは、聖書を漢字混じり文ではなく、何故か全文ハングル(平仮名)で翻訳したのだった。それがその後の朝鮮のキリスト教会の形成に決定的な影響を与えたのではないだろうか。つまり日本のキリスト教は知識層に入り、韓国のキリスト教は民衆に定着したとされるのだ。柄谷の周辺と亜周辺の分析が、聖書翻訳の歴史とどう絡むのかを考えさせられる。

長谷川博隆『ローマ人の世界』(ちくま学芸文庫)共和制時代のローマ史研究の碩学が、古代ローマ時代の人々の生活がどうであったのかについて書いたエッセーがまとめられている。例えば「ローマ人はどれくらい字が読めたか」では、当時の民衆の識字率についての検証が興味深い。元老院などの上流市民たちがラテン語、ギリシア語を自由に用いていたことは当然として、一般のローマ市民(職人や商売人、軍人)などがかなりの程度文字の読み書きが出来たと推測されている。特に共和制時代のローマ軍は、市民たちによって構成されており、軍隊が読み書きの慣習を定着させ、それが市民たちの政治意識にもつながっているというのだ。イエスの時代のユダヤに駐屯していたローマ兵たちは読み書きが出来たようだ。確かにルカ福音書7110に登場する百人隊長は、知識人として描かれていると言える。(戒能信生)

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