2025年10月12日日曜日

 

2025年10月19日 午前10時30分

聖霊降臨節第20主日礼拝(No.25)

                司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  31・1-25

讃 美 歌  404

聖書朗読  イザヤ書33・20-22

      ヤコブ書5・12

祈  祷

讃 美 歌  405

説  教  「誓ってはならない」

                 戒能信生牧師

讃 美 歌  451

使徒信条 (9341A

献  金              野口 洋子

報  告  

頌  栄  84(二度繰り返す)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、オリーブの会「大連西広場教会の現在」向山康子(軽食の用意あり)

・バザーのリサイクル品値付け作業(ご協力下さい)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

 

 

牧師の日記から(535)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『期待と回想』(晶文社)筑摩書房の『鶴見俊輔集』全12巻の付録として、若い研究者たちが鶴見俊輔に長時間インタビューしたものを上下巻に編集したもの。講演でもなく、またエッセーでもない独特の鶴見節が全開で展開される。刊行された直後に読んでいたが、久しぶりに再読した。自分が鶴見俊輔から大きな影響を受けてきたことを改めて確認させられた。特に50年にわたって継続した雑誌『思想の科学』が1996年に終刊になったのを受けての鶴見の感懐に感銘を受けた。『思想の科学』では「同人仲間を一度もパージしなかったことを誇りとする」と鶴見は語っている。戦後の共産党や様々な政治路線をめぐる難しい局面で、激論や内部対立があったはずだが、多彩多様な同人たちが鶴見を中心に共同で『思想の科学』を発行し続けたことに頭が下がる。そこから連想して、ここからは私自身が編集同人として携わってきた『時の徴』についての感想。『時の徴』は1977年に創刊され、来年3月発行予定の175号で休刊となる。まる49年間継続されたわけだ。創刊当時の編集同人は、雨宮栄一、井上良雄、木田献一、東海林勤、森岡巌、戒能信生の6名で、私以外の同人はすべて亡くなっている。最も若い同人だった私は、雑用係のつもりだったが、創刊当時は隔月刊だったこともあり、定期的に執筆の担当が回って来て往生したことを覚えている。自分に中身がないことをつくづく痛感させられた。まだ自分の専門とする勉強の領域が決まっていなかったし、信仰的・神学的な姿勢も曖昧なままだった。それが『時の徴』の刊行を担い続ける中で、自分の研究の領域が定まっていき、発言する基軸のようなものが備えられてきたように思う。教会の牧師としての働き以外に、季刊の定期刊行の責任を負うことは重荷ではあったが、ここが自分の発言の場所と思い定めたのだった。自分でも49年間よく続けられたと思うが、それはすべて講読者たちに支えられてのことだった。なにせ一度も赤字にならなかったのだ。最初の頃、発送事務を直子さんを初め子どもたちが手伝ってくれたことを懐かしく思い出す。『時の徴』はある意味で私の分身だった。一抹の寂しさはあるが、やはりそういう時が来たのだと思っている。(戒能信生)

2025年10月5日日曜日

 

2025年10月12日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日礼拝(No.24)

               司式 戒能 牧師

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-10

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  30・1-13

讃 美 歌  210

聖書朗読  フィリピ書2・12-18

祈  祷

讃 美 歌  196

説  教  「共なる喜び」

                大盛意索伝道師

讃 美 歌  92

使徒信条 (9341A

献  金              常盤 陽子

報  告  

頌  栄  84

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。ご利用ください。

2025年10月4日土曜日

 

子育て相談カフェ通信⑤ 

暑かった9月もやっと秋らしくなってきました。相談カフェも6か月を迎え、相談があったらあったで、大変かもしれないと思いながら、この間、ずっと戒能先生からいろいろと教えを受けています。

さて、カフェ通信で前回岡山の教会の話をしましたので、少し続きを書くことにしました。御津キリスト教会は73年前に設立されました。先日、この教会の長老の姉妹(97歳)から、岡山の御津の地がキリスト教にとっては大変厳しい地であったという話を聞きました。不受不施派の代表する寺がある場所だからです。ご存じのとおり、江戸時代に仏教は檀家政策や五人組をはじめとして、幕府の統治機能の一翼を担っていました。江戸幕府はキリスト教弾圧と同時に全国に檀家制度を強制しました。私はあまり詳しく知らなかったのであとで調べて知りましたが、不受不施派は、法華経や日蓮の教えに基づき、その名前のとおり、檀家から布施を受け取らず、檀家に対して加持祈祷を施さないという集団でした。このため不受不施派は檀家制度を否定し体制拒否とみなされ、幕府はキリシタン同様に弾圧したのです。17世紀後半から弾圧され、信者は処刑・流刑・改宗強制があったそうです。このため表面的には消滅し、キリシタン同様に地下で細々と続いていたのです。

岡山の御津に金川という地があり、私の通っていた中学校もそこにありました。江戸時代金川は中国地方における隠れ不受不施派の拠点であったようで、その弾圧として「金川の不受不施派弾圧事件」がおこり、信徒の一部が「隠れ法華」として信仰を継続したとのことです。そしておそらく、明治になって、キリスト教に対する弾圧がなくなっていく時期に、金川に不受不施派の寺が建てられたのでしょう。そうした歴史的な経緯はあとからわかったことですが、おそらく73年前の聖約キリスト教会が教会をつくる時にはよくわかっていなかったのではないかと想像します。老姉妹の「この地は、不受不施派の地であったからキリスト教は難しい場所だった」とのひと言の意味が最初わからず、あとで調べて納得したのでした。地方の教会の現状は都市の教会とは異なっていますが、パウロの時代と共通の情熱と混乱の中での信仰を感じています。              (大森意索)

 

2025年9月21日日曜日

 2025年9月28日 午前10時30分

聖霊降臨節第17主日礼拝(No.22)

               司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  28・1-

讃 美 歌  56

聖書朗読  フィリピ書2・1-11

祈  祷

讃 美 歌  393

説  教  「祈りを合わせて」

                大森意索伝道師

讃 美 歌  453

使徒信条 (9341A

献  金              石井 房恵

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能牧師は、土沢教会創立120年記念礼拝のために2728日と出かけています。

2025年9月20日土曜日

 

牧師の日記から(534)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『戦後思想三話』(ミネルヴァ書房)このところ視力が落ちてきたせいで小さい字の文庫本が読みにくい。全く読めないわけではないが、長時間読んでいると疲れてしまう。そこで、本箱から既に読んだことのある比較的大きな活字の書物を引っ張り出して再読することになる。鶴見俊輔のこの本もその一冊。1980年代に日高六郎さん(懐かしい!)が続けていたセミナーの後を受けて、鶴見さんが自由に戦後思想について語っている。この本の中で先ず取り上げられているのが吉田満。『戦艦大和の最後』の著者として知られるが、戦後は日本銀行の役員として働き、『日本銀行史』を執筆したことで知られる。江藤淳などと比較して、『戦中派の死生観』に示された吉田満の戦争責任についての姿勢を鶴見さんは最大限評価しているのだ。ただそこで吉田満がクリスチャンであることに一言も触れられていない。吉田は、戦後すぐの時期、カトリック教会で受洗しているが、その後、日本基督教団西片町教会に転会し、鈴木正久牧師の薫陶を受けている。教団議長として『戦争責任告白』を発表した鈴木牧師を、吉田さんは教会員として一貫して支え続け、『鈴木正久著作集』の編集にも携わっている。

それから本書の最後に紹介されているのが大島孝一さん。「毎月一回東京へ出ちゃ清水谷公園からのデモをやっていた。私のすぐそばでわりあい年配の人でいつも歩いている人がいるんですよ。プラカードを持って。その人と話をして、話があうんでおもしろいんですよ。別れるとき名刺をくれたんだ。名刺を見たら『女子学院院長』と書いてあった。女子学院の院長が、全くプライベートに一人の市民として毎月来てはプラカードを持って歩いているんです。びっくりしたんですよ。……この人はとにかく公私ともにそういうふうに生きてきた。私はこういう人が戦後出てきて今もいるということは、重要なことだと思う。日銀に吉田満がいたし、ここにはこういう人がいる。」

この大島孝一さんも、信濃町教会の篤実な教会員で、私自身も大変お世話になった人。鶴見さんが戦後日本のあるべき姿の体現者として評価する二人が、日本基督教団の教会員であることを嬉しく思ったので紹介する。(戒能信生)

 

2025年9月21日 午前10時30分

聖霊降臨節第16主日礼拝(No.21)

               司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  27・1-14

讃 美 歌  540

聖書朗読  エゼキエル書37・26-28

ヤコブ書5・1-6

祈  祷

讃 美 歌  505

説  教  「富める者への警告」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  579

使徒信条 (9341A

献  金              岡﨑 大祐

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・向山功、奏楽・梅本順子

・礼拝後、オリーブの会(軽食の用意あり)岡﨑祐一さんのオルゴール演奏があります。

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・本日、大森意索伝道師は、北支区豊島岡教会の講壇奉仕で出張されています。

 

2025年9月13日土曜日

牧師の日記から(533)「最近読んだ本の紹介」

 大貫隆『福音書の隠れた難所』(YOBEL)著者から贈呈されて一読。福音書の中の難解とされるテキストについて、大貫さんの徹底したリサーチと厳密な校訂によって問題が整理される。いつもながら著者の誠実な研究姿勢に敬意を覚えた。しかし何より巻末の荒井献先生に対する「追悼講演」を繰り返し読んで改めて感銘を覚えた。大貫さんは荒井先生の言わば一番弟子であり、東京大学西洋古典学科での後任でもある。追悼講演の中で、恩師に対する最大限の評価と感謝をしながらも、学問研究の面では恩師の足らざるところ、あるいは自身との差異について遠慮会釈なく徹底的に批判している。聖書学研究所の学風と言えばそれまでだが、気持ちがいいくらいだった。「あとがき」での佐竹明先生に対する追悼と併せて興味深く読まされた。私自身は、荒井先生や佐竹先生の直接の弟子ではないけれども、様々な機会に声をかけていただき本当にお世話になってきた。お二人に改めて感謝をするとともに、先日の田川健三さんの逝去と併せて、世代の交代を痛感させられている。

塩出浩之『琉球処分』(中公新書)沖縄問題の原点に、明治政府によって琉球王国が滅ぼされた「琉球処分」があることは聞かされてきた。しかしその実態はよく知らなかった。本書は、琉球側の「尚家文書」に基づいて「琉球処分」の全過程を詳細に跡付けてくれる。琉球王国は、明・清と、薩摩を通して江戸幕府に両属する独立国家だった。それが明治維新以降、廃藩置県が適用され、最終的には日清戦争によって日本に「併合」されてしまうのだ。その根底に、沖縄を「植民地」と看做す維新政府高官たちの意識があったことが指摘されていて考えさせられた。実は、1969年の沖縄キリスト教団と日本基督教団の合同の深層に、同じような問題が潜在していたのではないかと気づかされたのだ。合同する以前の沖縄キリスト教団は、WCCを初め、世界の教会と関係をもつ独立教会であった。ところが教団と合同することによって、教区の一つとして教団の統制下に置かれることになってしまった。そこに「琉球処分」と共通する問題があるのではないかと考えさせられている。(戒能信生)

  

2025年9月7日日曜日

 

2025年9月14日 午前10時30分

聖霊降臨節第15主日礼拝(No.20)

               司式 橋本  茂

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  26・1-12

讃 美 歌  521

聖書朗読  列王記上3・10-15

ヤコブ書4・13-17

祈  祷

讃 美 歌  431

説  教  「驕り高ぶるな」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  522

使徒信条 (9341A

献  金              戒能 直子

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年9月6日土曜日

 

牧師の日記から(532)「最近読んだ本の紹介」

 永瀬清子「悲しめる友よ」『流れる髪』(思潮社)先日、オリーブの会で週報のこの欄「読書紹介」について話題になった際、石垣りん、茨木のり子といった女流詩人を取り上げるのが珍しいという指摘があった。私は詩をあまり読まないのだが、この二人の女性詩人だけが例外と答えて、待てよと思い直した。もう一人、永瀬さんの詩を読んできたことを思い出したのだ。永瀬清子さんは、1995年に既に89歳で亡くなっている。私が尊敬していた井上良雄先生が、戦前、文芸評論家として活躍していた頃、「磁場」という同人誌の仲間だった。それもあって永瀬さんの詩集を時折覗いて来たのだった。例えばこういう詩。

「悲しめる友よ 

女性は男性よりさきに死んではいけない。

男性より一日でもあとに残って、挫折する彼を見送り、又それを被わなければならない。

男性がひとりあとへ残ったならば誰が彼を十字架からおろし埋葬するであろうか。

聖書にあるとおり女性はその時必要であり、それが女性の大きな仕事だから。

あとへ残って悲しむ女性は、女性の本当の仕事をしているのだ。だから女性は男性よりも弱い者であるとか、理性的でないとか、世間を知らないとか、さまざまに考えられているが、女性はそれにつりこまれる事はない。

これらの事はどこの田舎の老婆でも知っている事であり、女子大学で教えないだけなのだ。」

 この詩が書かれたのは、1970年代で、永瀬さん自身が夫を見送り、一人息子を亡くした辛い時期だった。少し後で『関白宣言』(さだまさし)がヒットして、そのもとになったのではないかとフェミニズムの観点から批判されたこともあった。しかしこの詩を紹介した茨木のり子も指摘しているように、永瀬さんは戦前から厳しい弾圧や迫害の中で粘り強く詩を書き続け、だれよりも女性の自立を主張して来た人だ。その上で、女性は挫折した弱い男を十字架から降ろして埋葬する仕事を担わなければならないと自らのこととして書いているのだ。(戒能信生)

2025年8月31日日曜日

 

2025年9月7日 午前10時30分

聖霊降臨節第14主日礼拝(No.19)

               司式 大森 意索

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  4

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  25・1-22

讃 美 歌  411

聖書朗読  ハバクク書3・17-18

ヤコブ書4・11-12

祈  祷

讃 美 歌  565

説  教  「裁いてはならない」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  528

使徒信条 (9341A

献  金  対外献金「北支区ワンドロップ献金のために」     高岸 泰子

報  告  

頌  栄  26

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、持ち寄り昼食会(ホール)

・定例長老会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

 

2025年8月30日土曜日

 

子育てカフェ通信④

 8月も後半になりました。ときどきスコールのような雷雨があり、日本も最近はまるで亜熱帯気候のようになりました。暑さのなかで、セミが鳴く季節ですが、今年は梅雨の雨が少なかったためか、セミも例年よりも少ないそうです。私は毎月1回、岡山に行っておりますが、今回は岡山の教会について説明することにしました。

岡山御津キリスト教会という名称で、単立の教会です。私の両親は、もとは千代田教会から近い市ヶ谷の場所にあった、日本基督教会の市ヶ谷教会に属していました。市ヶ谷教会は東京大空襲で焼けてしまい、戦後は池袋西教会に移行しました。で、戦前に市ヶ谷教会で結婚した両親は、父親が中国の宣教師となったため、一緒に中国に渡ったようです。しかし、中国人の中に入っての宣教でしたので、かなり過酷だったようで母は体調を崩し、一人帰国しました。父は中国で敗戦を迎え、その後帰国しますが、中国への宣教と謝罪の思いが強かったため、何とか中国に戻りたいと願っていたようです。しかし中国は混乱の後共産党支配となり、宣教師を受け入れる状況にはありませんでした。このため戦後は、父は北海道や東京、岡山と移って、大陸への足掛かりはないかと私の小さい頃は台湾を行き来していたようです。

同じく戦後、中国での宣教が困難となっていたため、中国から岡山の地で宣教をすることになった、スウェーデンミッションの日本聖約キリスト教団から誘われて、岡山の地に教会を作ることに協力することになったのでした。こうして1952年に岡山御津キリスト教会ができたのでした。父は中国でもそうだったのだと思いますが、教会はその地域の人たちがつくっていくものであり、宣教師はあくまでお手伝いという意識が強かったのでしょう。詳しい事情はわかりませんが、おそらくスウェーデンミッションの宣教師と何らかの対立があり、その教団から出る形で単立教会となったのでした。私は知りませんでしたが、姉によりますと、このことで、我が家の生活がガラッと変わったとのことです。

こういう経緯で、岡山御津キリスト教会は73年前にでき、教会員は数名の小さな教会ですが、私も月1回礼拝に出席することにしています。そして、これからも地方の教会の視点ももって伝道師としてやっていきたいと思っています。(大森意索)        

2025年8月24日日曜日

 

2025年8月31日 午前10時30分

聖霊降臨節第13主日礼拝(No.18)

               司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  24・1-10

讃 美 歌  218

聖書朗読  コヘレトの言葉11・1-8

祈  祷

讃 美 歌  416

信徒講壇  「朝に種を蒔け」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  549

使徒信条 (9341A

献  金              内山 央絵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、入門の会「十戒⑧」戒能牧師

・お茶の会

・週報発送作業

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・大森意索伝道師は、本日、岡山御津キリスト教会の講壇奉仕で出かけています。

2025年8月23日土曜日

 

牧師の日記から(531)「最近読んだ本の紹介」

 先週、渡辺一夫の『敗戦日記』を紹介し、昭和20316日の日記から次の一節を引用した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。」

それで思い出したのは、堀豊彦先生が斎藤勇先生を追憶した短い文章。堀豊彦は東大法学部教授、斎藤勇はこの国の英文学の草分けの一人で、いずれも篤実なクリスチャンだった。太平洋戦争の末期近く、東京帝国大学文学部教授会の席上で、和辻哲郎と斎藤勇両教授が対立したエピソードについての証言。

「故和辻哲郎教授がわが国の聖戦を主張して英米畜などに負けてたまるかと、声高らかに論ぜられた。これに対して、斎藤勇先生が戦争は悪い、戦争に聖戦などなし、彼我に五分五分の言分がある。特に一方的に、しかも人間の尊厳を汚すような米英畜などという悪罵は慎むべきであると、述べられた。すると和辻教授は更に声を励まして、斎藤先生を非国民だとして極め付けられ教授会の席で罵倒された。斎藤先生は堅く黙して剛毅なる沈黙を以て対応されたという。同席の教授たちの反応については不肖である。」(東大学生基督教青年会『会報』78号)

和辻哲郎ほどの知識人にして戦時下の実情はこうだったのだ。それに対し斎藤勇先生の姿勢は断固たるものだった。

それでまた思い出したのが、戦後間もない頃、矢内原忠雄先生のある講演会での発言。矢内原の講演を聞いた聴衆の一人(牧師だったと伝えられる)が「留学して海外の事情に詳しい矢内原先生のような専門家は戦争の実相を見抜けたかもしれないが、我々素人には本当のことは分からなかった」と感想を述べた。それに対して矢内原はこう応えた。「東京大学には、理系・文系を問わず、それこそ海外に留学したその道の専門家たちが何人もいました。しかしその人たちも見抜けなかったのです。しかし私にはこの聖書がありました。聖書を通して、あの戦争の本当の姿を見抜くことができたのです。」(この発言は伝承で、矢内原全集などを探しても見つかりませんでした。)知識人の限界と聖書の信仰の重要さを教えられます。(戒能信生)

2025年8月17日日曜日

 

2025年8月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第12主日礼拝(No.17)

               司式 石井 寛治

黙  想         奏楽 内山  央絵

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  23・1-

讃 美 歌  467

聖書朗読  フィリピ書1・27-30

祈  祷

讃 美 歌  516

信徒講壇  「恵みとして」

               大森 意索伝道師

讃 美 歌  469

使徒信条 (9341A

献  金              内山 央絵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能信生牧師は、本日、巣鴨ときわ教会で講壇と講演の奉仕で出かけています。

 

 

2025年8月16日土曜日

 

牧師の日記から(530)「最近読んだ本の紹介」

 石垣りん『新版 ユーモアの鎖国』(ちくま文庫)石垣りんの最初のエッセー集が文庫本で復刊されたので目を通した。詩人の日常の中から、詩がどのように生まれるかを垣間見ることができる。例えば職場新聞に掲載された戦没者の名簿に、次のような詩を添える「弔詞 ……私は呼びかける/西脇さん/永町さん/みんな、ここへ戻って下さい/どのようにして戦争にまきこまれ/どのようにして死なねばならなかったか/語ってください/戦争の記憶が遠ざかるとき戦争がまた/わたしたちに近づく/そうでなければよい/八月十五日/眠っているのは私たち/苦しみにさめているのはあなたたち/行かないで下さい皆さん、どうかここに居て下さい」

 あるいは四日市の公害を取材して、次のように記す。「立札 『高圧ガスがうまっています/異常があったらデンワを下さい』/人家の塀にはられた合成ゴム会社の木の札/矢印の左の方向に歩いて行ったら/遊園地がありました/異常があるまで遊んでいてほんとうにいいのでしょうか?」

 渡辺一夫『敗戦日記』(ちくま学芸文庫)フランス文学者渡辺一夫が戦時下に密かに書き綴ったフランス語交じりの日記が、串田孫一によって翻刻された。東京大空襲の翌日311日から始まり、815日で終わっている。冒頭にダンテのLasciate ogni eperanza「すべて望みを捨てよ」が引かれている。以下、考えさせられた記述を引用してみよう。「もし竹槍を取ることを強要されたら、行けという所にどこにでも行く。しかし決してアメリカ人は殺さぬ。進んで捕虜になろう。国民のorgueil(高慢)を増長せしめた人々を呪う。すべての不幸はこれに発する」(312日)。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない」(315日)。「まさに崩壊しようとしている祖国、だが存続しなければならぬ祖国のために。生きのびることが僕の義務だと思う。知識人としては無に等しい僕でも、将来の日本にはきっと役立つ。ひどい過ちを犯し、その償いをしている今の日本を唾棄憎悪しているからだ。」(戒能信生)

 

牧師の日記から(531)「最近読んだ本の紹介」

 先週、渡辺一夫の『敗戦日記』を紹介し、316日の日記から次の一節を引用した。「知識人の弱さ、あるいは卑劣さは致命的であった。日本に真の知識人は存在しないと思わせる。知識人は、考える自由と思想の完全性を守るために、強く、かつ勇敢でなければならない。」

それで思い出したのは、堀豊彦先生が『斎藤勇先生追慕』(東京大学学生基督教青年会『会報』78号)に寄せた文章。堀豊彦は、東大法学部教授、斎藤勇はこの国の英文学の草分けの一人、いずれも篤実なクリスチャンだった。太平洋戦争の末期近く、東京帝国大学文学部教授会の席上で、和辻哲郎、斎藤勇両教授が対立したエピソードを堀豊彦が次のように紹介している。

「故和辻哲郎教授がわが国の聖戦を主張して英米畜などに負けてたまるかと、声高らかに論ぜられた。これに対して、斎藤勇先生が戦争は悪い、戦争に聖戦などなし、彼我に五分五分の言分がある。特に一方的に、しかも人間の尊厳を汚すような米英畜などという悪罵は慎むべきであると、述べられた。すると和辻教授は更に声を励まして、斎藤先生を非国民だとして極め付けられ教授会の席で罵倒された。斎藤先生は堅く黙して剛毅なる沈黙を以て対応されたという。同席の教授たちの反応については不肖である。」

和辻哲郎ほどの知識人においても戦時下の実情はこうだったのだ。それに対し斎藤勇先生の姿勢は断固たるものだった。それでまた思い出したのが、戦後間もない頃、矢内原忠雄のある講演会での発言。矢内原の講演を聞いた聴衆が「留学して海外の事情に詳しい矢内原先生たちは戦争の実相を見抜けたかもしれないが、我々庶民には本当のことは分からなかった」と述べた。それに対して矢内原はこう応えたと言うのだ。「東京大学には、理系・文系を問わず、それこそ海外に留学したその道の専門家たちが何人もいました。しかしその人たちも見抜けなかったのです。しかし私にはこの聖書がありました。聖書を通して、あの戦争の本当の姿を見抜くことができたのです。」(この発言は伝承で、矢内原全集などを探しても見つかりませんでした。)知識人の限界と聖書の信仰の重要さを教えられる。(戒能信生)

2025年8月10日日曜日

 

2025年8月17日 午前10時30分

聖霊降臨節第11主日礼拝(No.16)

            司式 戒能 牧師   黙想           奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  5

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  22・17-31

讃 美 歌  512

聖書朗読  イザヤ書2・1-5

祈  祷

讃 美 歌  561

信徒講壇  「戦争のない世界を求めて」

                  石井摩耶子

讃 美 歌  369

使徒信条 (9341A

献  金              石井 房恵

報  告  

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、オリーブの会「羊の群96号を読んで」司会・橋本茂(軽食の用意あり)

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・大森意索伝道師は、本日、西片町教会の講壇奉仕で不在です。