「AIに翻弄される」柴田朋子
数ヶ月前、SNS上でオペラ歌手のように歌う柴犬の動画が流れてきました。がしっと足を踏ん張った柴犬が「動かせるものなら動かしてみろ」と朗々と歌い上げる姿は、生成AIによって作られたものに違いありません。散歩の途中で突然立ち止まって動かなくなり、押しても引いても歩こうとしない頑固な柴犬の様子がよく表現されており、思わず笑ってしまいました。
2022年に登場したChatGPTを皮切りに、多数の生成AIが公開され、誰でも使うことができるようになりました。インターネット上には、AIで作られたと思われる画像や動画、文章が溢れています。最近は、ネット上の文章を読むたびに「これは人間が書いたのか、AIが書いたのか」と疑うようになりました。画像や動画を見るときも同様です。そのことに大きなストレスを感じます。AIは、人間の手による著作物や芸術作品などを大量に学習し、必要に応じてそれに類するものを生成しています。そこに人の血は通っていません。柴犬が歌う動画について言えば、何年も修練を積んだ歌手による歌や、作曲家が心血を注いで作った曲を学習したAIが、それらを模して生成したものです。それは人間の営みを掠め取って作られたものではないか、そういうものに心を動かされてなるものかと思うのです。
この数年、AIを使いこなせなければ取り残される、というメッセージを何度となく受け取っています。そのことにまったく焦りを感じないと言えば嘘になります。しかし、世界中の人がAIを使うことで、膨大な電力と大量の冷却水が消費され、環境破壊に拍車がかかるという話を聞けば、気軽にAIに「プロンプト」を打ち込むことはためらわれます。また、AIによって人間の仕事が奪われ、多数の人が失業するという予測も現実のものになりつつあります。AIが人間の幸せに資するものとは、到底思えないのです。
今年は、AIが人間の制御を離れて自律的に動き、外部のシステムに侵入するというAIの「暴走」も起こりました。この事件の報道を読んで私が連想したのはバベルの塔(創世記11章)でした。人間が自らの技術を誇り、神のように世界を支配しようとして建設したバベルの塔。生成AIは、現代のバベルの塔のように思えます。人間が自分の力を過信した結果、制御できないものを作り、取り返しのつかない破綻を招こうとしているのではないでしょうか。バベルの塔は、建設中に神が人々の言語を混乱させ、全地に散らされたので完成しませんでした。AIの開発にもブレーキがかかり、人間が人間らしく生きていく世界が保たれることを願っています。