牧師の日記(574)最近読んだ本の紹介
山本義隆「最首悟さん追悼にかえて」友人に教えられてインターネットから探して読んだ。山本義隆は、言うまでもなく元東大全共闘議長で、現在84歳。最首悟は、東京大学理学部助手として東大闘争を担い、30年近く助手の身分のままで退職し、以降は予備校の講師をして、この2月に89歳で亡くなった。この長大な追悼文は、東大理学部学生としての二人の出会いから始まり、60年代から70年代にかけての学生運動への関わりが詳細に語られる。60年安保闘争から、大管法闘争、そしてベトナム反戦運動を経て、東大医学部紛争から全学に拡がった東大闘争への歴史が、当事者の視点から生々しく語られる。最終的には「東京帝国主義大学解体!」というスローガンに行きつくが、最首悟はあくまで東大助手に留まったまま、学問や研究の意味を自らにも厳しく問い続ける道を歩む。最首自身はこう語っている。「私の場合は『出て行ったらおしまいだ、それだと戦後の文化人と同じになってしまう。大学に籍を置きながら、大学を批判し自分を否定するんだ』と考えていました。半分は『俺は怠惰だから』と思いながら、それでも大学から出て行かない。三里塚にも水俣へも行かない。行ってはいけないんだ。そう決めていました。」その後、実際には水俣問題に誠実に関わり、そこから科学技術が及ぼす環境破壊(汎水俣病症候群)の問題へと展開し、重い障害をもって生まれたお嬢さんを育てる中で「いのち」の問題に関わり続ける。さらに2016年に起きた津久井やまゆり園事件(元職員が、重度の障碍者たち19人を殺害し、その他26人に重軽傷を負わせた事件)の被告との面会や書簡の遣り取りを通して、「いのち」こそが大切であり、人間を役に立つかどうか、有用性があるかどうかで見る優生思想を断固として拒否する姿勢を先鋭化させていく。「出て行ったらおしまいだ」という最首の言葉は、私自身の大学闘争から牧師への道を歩み始めた時の想いとどこかで共通する。東神大全共闘の大部分が教会を去る道を選んだのに対して、私自身は教会に踏み留まって、あくまで既存の教会の中で教会員と真向かいながら自らを問い続ける決断だった。それがどこまでできたのか、リタイア間際になって改めて考えさせられている。(戒能信生)