2024年4月14日日曜日

 

2024年4月21日 午前10時30分

復活節第4主日礼拝(No53

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・73-80(ヨド)

讃 美 歌  298

聖書朗読  イザヤ書62・1-

      ルカ福音書23・1-12

祈  祷

讃 美 歌  297

説  教  「ピラトの法廷」

戒能信生牧師

讃 美 歌  300

使徒信条  (9341A

献  金              石井摩耶子                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

礼拝後、「私の愛唱聖句」高岸泰子

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月13日土曜日

 

 牧師の日記から(464)「最近読んだ本の紹介」

高階秀爾『エラスムス 闘う人文主義者』(筑摩選書)国立西洋美術館や大原美術館の館長を歴任した高名な美術史家である著者がエラスムスの評伝を書いたというので一読した。なんと半世紀以前、大学紛争の余燼冷めやらぬ時期に、ある雑誌に連載したものが元になっているという。著者があの時代の雰囲気の中でエラスムスに仮託して考えていたことを披瀝しているのだ。宗教改革の嵐が吹き荒れた時代に生きた稀有な人文主義者エラスムスの生涯を、その肖像メダルに刻まれた「CONCEDO NULLI(我、何者にも譲らず)」という標語を軸に読み解いている。エラスムスは、当時のカトリック教会の堕落を痛烈に批判し、ルターたち宗教改革者を評価するが、しかしそのどちらにも距離を置く独自の立場を貫こうとした。結果としてその両者から非難され、優柔不断、日和見主義者、卑怯者というレッテルを貼られて、孤立の内に死んだとされる。しかし著者は、そのエラスムスに自らの位置を重ねる。すなわち当時の学生運動の熱気に、正義を求める熱狂主義を見て、それに対してフマニストとして一定の距離を置こうとする。キリスト教や神学の立場からではなく、美術史の視点から、あえてエラスムスに自らを重ねようとしている。

和田春樹『回想 市民運動の時代と歴史家』(作品社)和田春樹さんは、ロシア史の専門的な研究者で、東大社会科学研究所の所長も務めた人。だが私たちの間では、ヴェトナム戦争反対の市民運動を共に担い、さらに韓国民主化闘争支援の運動を牽引した運動の仲間だった。この『回想』で取り上げられている時期、私は和田さんの活動範囲のすぐ近くにいて、会議でもしばしば一緒になったし、共にデモで歩いたし、何度も講演を聞いている。だから19671980年のこの時期の和田さんの活動の多くを、同時代人としての共感をもって読むことが出来た。そして難しい政治判断が求められた時の和田さんの誠実さを肌身で感じてきた。10年ほど前、池明観先生の感謝とお別れの会を主催したとき、シンポジストの一人に和田さんをお願いし、その時初めて個人的に言葉を交わした。私の質問「当時の市民運動の中で、さぞ忙しかったでしょうに、ロシア史の勉強を続けていましたか?」和田さんの答え「勉強していましたよ。」この本を読みながら、さもありなんと思わされた。

 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)吉本隆明の長女である漫画家のハルノ宵子が、晶文社刊の『吉本隆明全集』の月報に連載したものに、妹の作家吉本ばななとの対談を加えて一冊にしたもの。吉本主義者や吉本ファンの視点ではなく、家族の位置から最晩年の吉本の日常生活が率直に明かされている。吉本隆明という存在は、私たちの世代には一種神話化されているところがあるが、それを小気味がいいほど徹底的に解体してくれる。その上で、書いたものとその生活が重なっているという一点でこそ、父親を認め評価しているところがすばらしい。(戒能信生)

 

2024年4月14日 午前10時30分

復活節第3主日礼拝(No52

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・65-72(テト)

讃 美 歌  336

聖書朗読  イザヤ書61・1-

      ルカ福音書24・36-53

祈  祷

讃 美 歌  330

説  教  「焼き魚と復活の主」

戒能信生牧師

讃 美 歌  329

使徒信条  (9341A

献  金               石井寛治                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・荒井久美子

礼拝後、オリーブの会「椰子の木に囲まれて」発題・西村正寛(軽食の用意あり)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月7日日曜日

 

 牧師の日記から(463)「最近読んだ本の紹介」

茨木のり子『言の葉①②③』(ちくま文庫)この文庫本三冊に、茨木のり子のほとんど全詩集が収録され、さらに彼女のエッセーの主なものも収められ、この詩人の作品全体を見渡すことができる。この二ヶ月ほどの間に、この三冊を初めから終わりまで二度繰り返して読んだ。私は詩集などをきちんと読んでこなかったので、これは例外的なことになる。

先ずその詩だが、8冊の詩集『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『人名詩集』『自分の感受性くらい』『寸志』『食卓に珈琲の匂い流れ』『倚りかからず』からセレクトされたもの、詩集に未収録の詩、加えて韓国現代詩から著者が選び訳した数編が含まれている。現代詩は、人によって好き嫌いがあるだろうが、私自身が繰り返し読んで、心に残った詩の断片を、いくつか紹介してみよう。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を/人のせいにするな/みずから水やりを怠っておいて・・・初心の消えかかるのを/暮しのせいにするな/そもそもが ひよわな志にすぎなかった/駄目なことの一切を/時代のせいにするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」『自分の感受性くらい』

「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては止まり また噴きあげる/三歳の童子だって笑い出すだろう/文学研究せねば あばばばばと言えないとしたら/四つの島/笑ぎに笑ぎてどよもすか/三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア・・・」『四海波静』

 「人間には/行方不明の時間が必要です/なぜかはわからないけれど/そんなふうに囁くものがあるのです/三十分であれ 一時間であれ/ポワンと一人/なにものからも離れて/うたたねにしろ/瞑想にしろ/不埒なことをいたすにしろ・・・」『行方不明の時間』

 茨木のり子のエッセーは、不思議にも再読出来る。金子光晴や山之口貘、井伏鱒二の詩についての文章を、繰り返し楽しみながら読めるのだ。詩人だから言葉についての感覚が鋭いのは当然だが、次の一文にハッとさせられた。「聖書の今までの文語訳に比べて、新しい口語訳のいかにも間のびして味わいに乏しいかということはだれの目にも一目瞭然である。」ここまでは、しばしば聞くことだが、続いてこう述べる。「文語がどのようにして生まれ練りあげられてきたのか。母胎は漢文であろうし、奈良時代からとしても千年以上の歴史があるわけである。万葉仮名を案出し、吃り吃りぎくしゃくと文体を創りあげていった草創期から、文語の流麗さに至るまでご先祖達の払った苦労を思うと、なんともいえないいとおしさが湧いてくる。」つまり千年の歴史のある文語に比べて、口語はまだ百年足らずだという指摘に思わず納得させられた。(戒能信生)

 

2024年4月7日 午前10時30分

復活節第2主日礼拝(No51

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・57-64(ヘト)

讃 美 歌  318

聖書朗読  出エジプト記15・1-11

      ルカ福音書24・13-35

祈  祷

讃 美 歌  327

説  教  「同行する主イエス」

戒能信生牧師

讃 美 歌  352

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「能登半島地震の被災教会のために」       荒井 眞                       

報  告  

頌  栄  331

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・大森意索

礼拝後、週報等発送作業

・定例長老会(12:30-14:00

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年3月30日土曜日

 

 牧師の日記から(462

324(日)主日礼拝。説教は西川穂神学生の担当で、フィレモン書から「以前は無益な者でしたが、今は役に立つ者となっています」と題して話される。4月から新宿西教会の伝道師として赴任することになったが、この説教題のようにその働きが用いられるように切に祈る。礼拝後、受難週全体祈祷会、続いて向山康子さんの「私の愛唱讃美歌」。その後、ホールでの軽食の間に会場設営をして、13時から故・松野ヤスコさんの告別式。2時過ぎに出棺して落合葬祭場で火葬に付す。遺骨は教会で預かり、来週の墓前礼拝の際に教会墓地に納骨することになる。葬儀社の佐々木さんがすべて用意周到に整えてくれて助かった。支区定期総会には橋本茂長老が出席してくれて、私はやむなく欠席する。

25日(月)午前中、東駒形教会での月曜会に参加。大貫隆著『原始キリスト教の贖罪信仰の起源と変容』の第3章を北千住教会の堀成美牧師の発題で取り上げる。午後帰宅して、翌日の神学読書会の準備。

26日(火)午前中、神学読書会でハルナックの『マルキオン』の最後の部分を私の発題で学ぶ。2世紀最大の異端とされるが、このマルキオンこそがその後の教会の新約聖書正典化や正統主義神学、教会論にも決定的な影響を与えたことが見事に論証されている。次回からは並木浩一先生の『ヨブ記を読もう』を取り上げる。この日の出席者は少なく6名。午後、『時の徴』の高倉徹総幹事日記の翻刻作業をお願いしている青地恵さんが来られて、校正と解題の打ち合わせ。その後、大森意索さんが来て卒業論文の相談に乗る。子どもの礼拝をめぐるビジョンについて楽しく語り合う。夜は、来週の山口里子ゼミで取り上げられる「日本における贖罪信仰の系譜と課題」のレジュメ原稿を仕上げて送稿。

27日(水)午前中、堀端を散歩。桜の古木はまだ蕾が堅い。午後四ツ谷駅前の皮膚科を受診。ジンマシンは治まっているようだ。西川穂さんへの教会とCSからのプレゼント(図書カード)を準備する。荒井眞さんから、メールで来週の墓前礼拝のプログラムの催促。慌てて作成する。

28日(木)午後から、NCAの今年度最後の運営委員会を久しぶりに対面で行う。長年事務局をボランティアで担ったくれた神保信子さんへの感謝の会でもある。関東活動センター運営委員長としての私の責任もこの日で終わり、以降は委員の一人として協力することになる。

29日(金)午前中は赤坂の長野国助法律事務所で、亡くなった松野ヤスコさんの遺産整理について相談。結構厄介な手続きになりそう。帰宅して、午後1時からキリスト教会館管理組合総会にリモートで参加。特別管理費の値上げが承認される。インボイス制度の検討も始まる。前途多難ではある。夜は『時の徴』の原稿を整理してメールで送稿。

30日(土)午後、直子さんはイースターの玉子作りの作業。3時過ぎにいつものように須賀さん家族が会堂清掃に来てくれる。(戒能信生)

 

2024年3月31日 午前10時30分

復活節第1主日(合同)礼拝(No50

             司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  23

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・49-56(ザイン)

讃 美 歌  326

聖書朗読  イザヤ書55・8-11

      ルカ福音書23・55-24・12

祈  祷

讃 美 歌  382

説  教  「復活 女性たちの証言」

戒能信生牧師

讃 美 歌  333

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐 高岸泰子、釜坂由理子

讃 美 歌  79

献  金             荒井久美子                       

報  告  

頌  栄  89(2度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(合同礼拝に合流)

・ライブ配信担当・西川穂

礼拝後、イースター愛餐会(於・会堂)

西川穂神学生歓送会

・(12:45教会出発)

・(14:00)墓前礼拝・松野ヤスコ納骨式(多磨

 霊園千代田教会墓所 第181630番)