2026年8月22日土曜日

 

「希望の砦」柴田朋子

希望をもつのが難しい。そう思う日が増えてきました。

国会では7月、国旗損壊罪法や改正皇室典範が成立しました。国旗を使った表現は大きく制約されることになります。皇室典範改正においては、神話上の人物である神武天皇が当然のように持ち出され、「2600年以上にわたる皇室の伝統」というフィクションが堂々と語られていました。立法の場でそのようなことが議論されるとは、とても近代国家とは思えません。

そして722日、熊本日日新聞によって、陸上自衛隊情報部隊が市民数千人について「愛国心」など思想信条の情報を組織的に調査・収集していることが報じられました。憲法違反の大問題になると思った矢先、「国家情報局」の設置が閣議決定されました。

何年も前から、世の中の空気が戦前に近づいているということが指摘され、このままでは日本が再び戦争への道を歩むようになるという危惧も繰り返し語られてきました。私自身、強い危機感を抱いています。少なくとも国家による思想統制は露骨な現実になりつつあるように感じます。

排外主義的な政策も強化されています。入管庁による「不法滞在者ゼロプラン」はいっそう強化され、外国人の強制送還が積極的に行われています。先日は、難民認定を求める訴訟に敗訴した男性が、自主帰国を決めて東京入管に出頭し、そのまま拘束・収容されるということも起こりました。収容に耐えられる体調ではなく、健康状態の悪化が心配されました。支援者たちが抗議し、数日後に解放されましたが、必要性のない、非人道的な収容であったのは明らかでした。権力がその気になれば、人の自由も尊厳も簡単に奪われてしまうという現実に、怒りと悔しさで気持ちがはち切れそうになります。

社会において正義と平和の実現を目指し、希望をもち続けることはキリスト者の責任だと信じています。一方で、自分の無力さに打ちのめされることもしばしばあります。ですが聖書は言います。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが/主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る」(イザヤ書4030-31節)。一度は疲れ倒れても、あるいは何度倒れても、主に望みを置くなら新たに力を与えられる。何度絶望したとしても、主に望みを置くのなら、自由にこの空を飛ぶことのできる翼を与えられる。

そのことを信じ、希望をもち続けたいと願います。そして教会は、絶望した人が訪れ、希望を与えられて再び立ち上がる場所でありたいと願うのです。教会が、希望の砦であるように。神の望まれる正義と平和を追い求める人々の砦、そこで希望を与えられて世界へと歩み出していく場であるように。

 

子育て相談カフェ通信15回「 地図なしに」大森意索

子どもたちの中には、地図を見ればパッとわかる子と、地図を見てもよく分からない子がいます。それは持って生まれた特性のようなものです。お母さんがスーパーでの買い物を子どもに頼む時、それも初めて行くところであったとき、どう説明するかを考えてみてください。地図で説明しますか?それともまず、角を右に曲がって少し行ったら信号機があるからそこを渡って左にいくとコンビニがあり、さらに進むと八百屋さんに着くというふうに説明するでしょうか?

子どもの得意・不得意が分かるある検査で、この地図を見てパッとわかる理解の仕方を同時処理と言い、地図ではなくて逐次方向を説明していく方を得意とする理解の仕方を継次処理と言います。そして、これは一人一人違っていて、どちらの方が得意かは、人それぞれ生まれながらに決まっているのです。そのことを知らないで、親や先生が、みんなと同じように(単に平均的なだけですが)教えようとすると、不得意なことはとても難しいのです。同時処理が苦手な子は地図は苦手なのです。ですから、それぞれの持ち味(得意、不得意)を知っておくと良いのではないかと思っています。

最近では自動車だとカーナビがありますし、個人でもスマホに頼って、とりあえず行き先を入力すれば、連れて行ってくれるようになりましたので、地図を見ながら探すということがほとんどないかもしれません。地図の苦手な子には朗報なのですが、最近ちょっと考えてしまいました。私もほとんど地図を見なくなりましたが、駅で行き先を入力してスマホで見るとき、自分がどちらに向いているのかが分からないということがあります。自分がどっちに向いて立っていて、どちらに向かって進んだらよいか分からないのです。そんな時はとりあえず10Мくらい歩いて、スマホで移動位置を確認する。そうやって位置を確認し、方向が逆だったら、もとにもどる・・・。結局、自分の足で歩いてみないとわからないのです。便利になり、機器に頼ってある程度素早く対応ができる社会になりましたが、どこに向かって進めば良いのかは、便利な機器だけではわからない。便利なものに頼っていろいろとできるようになったけれど最終的には自分で確認しないと、どの方向に向かっていくのかわからない。現代の私たちが抱えた状況を象徴的に示しているのかもしれません。

2026年8月16日日曜日

 

2026年8月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第14主日 礼拝(No.21)

             司式 梅本 和義

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  71・1-13

讃 歌 歌  192

聖  書  列王記下16・8-16

      ヨハネ福音書12・1-8

祈  祷

讃 美 歌  450

説  教  「ナルドの香油」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  567

使徒信条  9341A

献  金             田村喜代子

報  告

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

・大森意索伝道師は、東支区本所緑星教会の説教奉仕に出かけられています。

・柴田朋子伝道師は、北支区下落合教会の説教

 奉仕に出かけられています。

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

牧師の日記から(567)「最近読んだ本の紹介」(戒能信生)

阿部正子編『訴歌』(皓星社)から、先週に引き続き、ハンセン病療養所の患者さんたちによって詠まれた短歌のいくつかを紹介する。

「骨埋めむ島とは覚悟定め来て涙落ちたりベッドの上に」

                       小川一男 1939

「病むわれをせめてわが家に死なせむと療園(えん)に入るを父母はこばみぬ」                  大仏正人 1953

「十年前強制の如く送られこし十二人のうち我一人残る」

                        歌川澄夫 1956

「警官にバスを拒否され海沿いのこの道歩みし三十五年前の君」

                        内海俊夫 1978

「癩を病む我を見給ふ父の目は死ねよと如し生みの子我に」

                        瀬戸愛子 1953

「吾の癩告げられし日に死んで呉れといひたりし父の涙も悲し」

                        館 寿樹 1973

「癩全治一号となりたる人は未だ島に住むこの海越へて帰る日はいつ」                     二宮重子 1952

「足を病む我を背負ひて寒き日に医局に通ひし遠き日の夫」

                        北内市子 1988

「手の自由奪われし妻のボタンはめ髪を梳くのも慣れしこの頃」

                        島立 神 1956

「自らの神経痛に苦しみつつ夫はわが手をさすりてくるる」

                        岩本妙子 1965

「二枚づつ塵紙をたたみ小箱におく目しいの夫の取り安きように」

                       石井加代子 1965

「腰痛に起ち居苦しめばわが立つによいしょと傍(そば)に妻が声掛く」                    井上真佐夫 1985

「戦後九年園の民主化なるといへども守衛の壁に手錠掛けてある」

                        横山石鳥 1955

「親子連れ逃走せしは孤児院へ子を送らるる前の夜なりし」

                        木村美村 1935

「記念(かたみ)とて友の遺せしバイブルの金文字の光りわれは偲ぶも」                    向井花一郎 1930

「社会復帰をよろこぶ君のかたはらに病重き君の妻ぎみうつむきて居り」                     深川 徹 1964

「ためらはず癩病む吾らの身のまはり整えくれる若き看護婦」

                        田川健一 1956

「病みゐるをうべないつつも移されし重病棟にきて涙落つ」

                        北村愛子 1960

「すでに目の見えぬ友等と聖歌うたふ光にこだはる思ひ癒へゆく」

                        飯川春乃 1996 

 

2026年8月16日 午前10時30分

聖霊降臨節第13主日 礼拝(No.20)

             司式 石井摩耶子

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  70・1-13

讃 歌 歌  470

聖  書  エレミヤ書29・4-7

      エフェソ書2・14-17

讃 美 歌  561

説  教  「園に果樹を植えよ」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  371

使徒信条  9341A

献  金             鈴木志津江

報  告

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、オリーブの会「私の戦争体験」橋本悠久子、オルゴール演奏(岡﨑祐一)(軽食の用意があります)

・大森意索伝道師は、岡山御津キリスト教会の説教奉仕で出張されています。

・柴田朋子伝道師は、北支区大泉教会の説教奉

 仕に出かけられています。

2026年8月8日土曜日

 

牧師の日記から(566)「最近読んだ本の紹介」(戒能信生)

阿部正子編『訴歌』(皓星社)ハンセン病療養所には患者さんたちによって数多くの短歌や俳句などが残されている。全国の療養所を訪ね歩いて、それを丹念に集め『ハンセン病文学全集』(全10巻)を編集したのが能登恵美子だった。この稀有な編集者が亡くなった後、その中から3300首を抜粋して読みやすく編集し直したのが本書。知人から頂いて、毎日少しずつ味わうようにして読んでいる。患者さんたちの名前の多くは本名ではない。歌われた年代が最後に附されているので、時代背景を想像できるものもある。世間から隔離され、忘れられた存在とされた患者さんたちの生命の叫びであり、技術的な巧拙を越えて訴えるものがある。まさに「訴歌」と言える。いくつか紹介しよう。

「ふるさとのありて帰れぬ君の骨を拾ひて終りぬ波音聞こゆ」

政石蒙 1989

「病み重りし命自ら断ちし父よ吾は眼を病みぬ身は麻痺しゆくに」

須田洋二 1956

「療養所は広く明るくなりたるに病める夫婦の命断ちたり」

青木伸一 1991

「癩園前にバスの停留所出来てより我等が外出きびしくなりぬ」

                       阿南一弘 1966

「帰る家無けれど恋ほし海を越えて灯またたたく故里見れば」

                       宿里礼子 1988

「アララギ会費七十銭に苦しみし石川孝若く死にたり」

                       入江章子 1991

「監房に罵りわらふもの狂ひ夜深く醒めてその声を聴く」

                       明石海人 1939

「年久しく手にふれざりし白粉(おしろい)のかはきて瓶にかさと音たつ」                                                                                                                   瀬戸千秋 1939

「患者三百露軍侵攻に自決せしとふ旧満州の療園の秘話」

                       山本吉徳 1998

「癩病めば優生手術うけて住む夫婦舎地区に子らの声なし」

                       北田由喜子 1973

「藤本松夫の死刑は止めよと大臣に打電し止めどなく涙こぼれつ」

                       田村史朗   1957

「共に病みし藤本松夫の命むなしかりき死刑囚の再審開かれむとして思ふ」                                                       

                       山本吉徳 1980

「園内作業に得し一日の拾円にて買ひ求めたる鉛筆二本」

                       笠居誠一 1953

「噫(ああ)つひに寮友の死刑確定す吾等一万五千の癩者にとりて悲しき日なり」                  

                       深川徹  1960

「後遺症ありて出られぬ寮園(えん)の外社会と呼びて憬れやまず」                     

                       阿南一弘 1966

2026年8月2日日曜日

 

2026年8月9日 午前10時30分

聖霊降臨節第12主日 礼拝(No.19)

             司式 石井 房恵

黙  想         奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  69・14-37

讃 歌 歌  289

聖書朗読  申命記7・6-8

ヨハネ福音書11・38-44

祈  祷

讃 美 歌  392

説  教  「ラザロの復活」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  510

使徒信条  9341A

献  金             釜坂由理子

報  告  

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、「私の愛唱聖句」向山功、

・お茶の会

・受洗準備会(林信子)

・大森意索伝道師は、北支区四谷新生教会の説教奉仕で出かけられています。

・柴田朋子伝道師は、奥羽教区新生釜石教会の

 説教奉仕たために出張されています。