子育て相談カフェ通信(12回)
私が公立病院を辞めて、3年になりました。30年ちょっと公務員を長く努めましたので、自分ながらよく頑張ったと思っています。が、私の場合は公務員を続けたかったというよりも、未熟児医療に関わりたかったのです。今でこそ未熟児医療も広く知られるようになりましたが、1990年代は不採算部門であった小児医療の中で、さらに医療保健上も不十分な点が多い部門でした。こうした事情で、未熟児医療は公的機関のほうが子どもたちにとって手厚かったために、長く公務員を続けることになったわけです。私が未熟児医療を開始したときはバブル最盛期で、普通に働いているのが、何か損みたいな時代でした。当時は都立病院不要論が主流で、勤めた時の待遇は今から考えると時間外勤務が多くてブラック企業のようでした。が、それでも都立病院の方が、新生児医療では他の病院よりも恵まれていたのでした。
先日ある方から私へのかなり厳しい言葉を受けました。「・・だから、大森さんは公務員体質で、物事をうやむやにして、本気で取り組まない!」と。まあ少しアルコールも入っていたので、彼の本音での問いかけだったのでしょう。彼から見ると、何かに取り組む熱量が低いように見えるようです。「ああ、そんな風に思われていたのか」と少し驚くとともに、思い当たる節もあったのです。私は、イソップ物語に出てくるコウモリに親近感を覚えています。単に名前がオオモリと似ているだけでなく、コウモリが、獣にも鳥にも与せず、結局、どっちつかずで、どちらからも嫌われてしまう、そうしたありように親近感を覚えるのです。立場性をはっきりさせない優柔不断とも言えますが、それが私に近いのです。どちらかの意見が主流になったとき、「ちょっと待てよ」と思ってしまう。右であれ、左であれ政治的な熱狂には、どこか冷めた、批判的な自分がいて、主流からは遠くにいる。どちらの側にも与せず、結局どちらからも嫌われるコウモリに親近感を覚えるのです。もしかすると、かつての西欧キリスト教は、それが主流であったために、その場に私がいたら、むしろ批判的だったかもしれません。けれど、日本のキリスト教は昔も今も主流ではありません。なので、私にはここが、与えられた場なのだと思ったりもしています。当たり前や熱狂の中で、見えなくされている側にイエスがおられたことを覚えて。(大森意索)