牧師の日記から(566)「最近読んだ本の紹介」(戒能信生)
阿部正子編『訴歌』(皓星社)ハンセン病療養所には患者さんたちによって数多くの短歌や俳句などが残されている。全国の療養所を訪ね歩いて、それを丹念に集め『ハンセン病文学全集』(全10巻)を編集したのが能登恵美子だった。この稀有な編集者が亡くなった後、その中から3300首を抜粋して読みやすく編集し直したのが本書。知人から頂いて、毎日少しずつ味わうようにして読んでいる。患者さんたちの名前の多くは本名ではない。歌われた年代が最後に附されているので、時代背景を想像できるものもある。世間から隔離され、忘れられた存在とされた患者さんたちの生命の叫びであり、技術的な巧拙を越えて訴えるものがある。まさに「訴歌」と言える。いくつか紹介しよう。
「ふるさとのありて帰れぬ君の骨を拾ひて終りぬ波音聞こゆ」
政石蒙 1989
「病み重りし命自ら断ちし父よ吾は眼を病みぬ身は麻痺しゆくに」
須田洋二 1956
「療養所は広く明るくなりたるに病める夫婦の命断ちたり」
青木伸一 1991
「癩園前にバスの停留所出来てより我等が外出きびしくなりぬ」
阿南一弘 1966
「帰る家無けれど恋ほし海を越えて灯またたたく故里見れば」
宿里礼子 1988
「アララギ会費七十銭に苦しみし石川孝若く死にたり」
入江章子 1991
「監房に罵りわらふもの狂ひ夜深く醒めてその声を聴く」
明石海人 1939
「年久しく手にふれざりし白粉(おしろい)のかはきて瓶にかさと音たつ」 瀬戸千秋 1939
「患者三百露軍侵攻に自決せしとふ旧満州の療園の秘話」
山本吉徳 1998
「癩病めば優生手術うけて住む夫婦舎地区に子らの声なし」
北田由喜子 1973
「藤本松夫の死刑は止めよと大臣に打電し止めどなく涙こぼれつ」
田村史朗 1957
「共に病みし藤本松夫の命むなしかりき死刑囚の再審開かれむとして思ふ」
山本吉徳 1980
「園内作業に得し一日の拾円にて買ひ求めたる鉛筆二本」
笠居誠一 1953
「噫(ああ)つひに寮友の死刑確定す吾等一万五千の癩者にとりて悲しき日なり」
深川徹 1960
「後遺症ありて出られぬ寮園(えん)の外社会と呼びて憬れやまず」
阿南一弘 1966