2020年5月31日日曜日


2020年6月7日 午前10時30分

聖霊降臨節第2主日合同礼拝(No10

      司式 高岸 泰子

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-48

讃 美 歌  6

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編102・1-29(着席のまま)

讃 美 歌  342

聖書朗読  イザヤ書40・12-17

使徒言行録20・13-24

祈  祷

讃 美 歌  533

説  教  「聖霊に促されて」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  525

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「奥羽教区土沢教会の働き

  を覚えて」      戒能 直子           

報  告

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 

  長老任職式          梅本 順子



【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会(新旧長老引継ぎ 於・ホール)

牧師の日記から(268)「最近読んだ本の紹介」

竹内洋『教養主義の没落』(中公新書)戦後生まれの私でも、高校生の頃、誰に勧められたのか阿部次郎『三太郎の日記』、西田幾太郎『善の研究』、『倉田百三『愛と認識との出発』を手に取っている。おそらく歯が立たなかったのだろう、その内容はほとんど覚えていない。この三冊に代表される旧制高校以来の教養主義が、戦後もなお続いていたのだ。それが1970年頃を境に読まれなくなっていく過程を、大学生の読書傾向などの調査をもとに丹念に跡付けている。その背景には、大学の大衆化、岩波文化を中心とするエリート主義の後退、あるいは反知性主義への傾斜といった知をめぐる変遷があるという。著者が前尾繁三郎や木川田一隆といったかつての政財界人に深い教養があったことに注目し、現在の官僚や政財界人にそれが失われていることを嘆いているところが興味深かった。

堤美果、中島岳志、大澤真幸、高橋源一郎『支配の構造 国家とメディア 世論はいかに操られるか』(SB書房)2018年NHK-Eテレビ『100de名著』のスペシャル・バージョンで「メディア論」が取り上げられた。4人の気鋭の論者たちが現在の政治とメディアを批判的に取り上げて話題になった。そのメンバーが、現在の安倍政権とメディアの癒着と忖度の現実に、再結集して共同討議を展開する。取り上げられるのは、ハルバースタム『メディアの権力』、トクヴィル『アメリカのデモクラシー』、ベネディクト・アンダーソン『創造の共同体』、ブラッドベリ『華氏451度』。まるで読書会に参加しているようで刺激的だった。この本がNHK出版から発行されない事実が、現在のメディア状況を示している。

保阪正康『続 昭和の怪物 七つの謎』(講談社現代新書)前作が面白かったので、続編を読んだ。三島由紀夫、近衛文麿、橘孝三郎、野村吉次郎、田中角栄、伊藤昌哉、後藤田正晴の7人を取り上げている(三人目は五・一五事件に加担した右翼の大立者で立花隆の叔父)。いずれも本人やその周辺に徹底して取材したインタビューを下敷きにしている。言わばオーラル・ヒストリーの手法と言えるが、その取材力の広さと厚みに驚かされる。いずれも週刊誌に連載したものだが、実に読みやすい。これはこの著者の他のノンフィクションにも言えるのだが、週刊誌的文体とでも言うべきだろうか。

和田誠『ことばの波止場』(中公文庫)昨年亡くなった和田誠さんのエッセイ集。それも、デザインやイラストといった専門分野でなく、言葉遊びを中心にした著者独特の蘊蓄が繰り広げられる。折句やアナグラム、回文、押韻といった日本語の特質から、替え歌やしりとりなどを具体的に取り上げているが、その言語感覚の鋭さとセンスに驚く。もともと、落合恵子さんの依頼でクレヨンハウスのセミナーで講演したものというが、とぼけた味わいの挿絵と共に楽しんで読んだ。 

 (戒能信生)

2020年5月24日日曜日


2020年5月31日 午前10時30分

聖霊降臨節第1主日礼拝(No8

      司式 大森 意索

    奏  黙 想        奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  6

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編101・1-8(着席のまま)

讃 美 歌  348

聖書朗読  サムエル記上4・1-22

祈  祷

讃 美 歌  348

説  教  「奪われた契約の箱」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  343

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・野口倢司、大森意索

讃 美 歌  78

献  金             岡﨑 大祐 

報  告

頌  栄  50

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(休止)

2020年5月23日土曜日


牧師の日記から(267)「最近読んだ本の紹介」

速水融『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』(藤原書店)大正18年から三年にわたって大流行したいわゆる「スペイン風邪」で、日本国内だけでも45万人が死んだ事実を、歴史人口学の手法で分析している。当時の新聞を丹念に集め、このインフルエンザがどのように報道され、人々はどのように対応したかが紹介されている。例えば1920年(大正9年)1月には、東京市内で猛威を振るい、火葬場が間に合わない状況だったという。感染のピークは119日で、この日だけでも「市内で337名が感冒によって死亡」(『時事新報』)と報じられ、その前後は「魔の三週間」とされている。速水さんは「この時期に東京に住んでいた者は、文字通り生きた心地はしなかったであろう」と解説している。気になって、当時のキリスト教会の資料を丹念に探したが、そういう緊張感は皆無で、何件か教会員の「肺炎」についての言及はあるものの、スペイン風邪についての記述は全く見られない。この違いの理由はどこにあるのだろうか。スペイン風邪の犠牲者になった当時の貧しい庶民にとって、キリスト教会は敷居が高かったということなのだろうか。この点はさらに調べてみたい。

安田寛『唱歌と十字架 明治音楽事始め』(音楽の友社)教会の印刷室の書棚で見つけた。明治の初め、音楽教育のために採用された『小学唱歌』の大部分は、讃美歌から採られたことは今ではよく知られている。その『小学唱歌』の編纂者である御雇外国人メーソン招聘の事情と謎について、探偵小説仕立てで書かれている。当時の文部省には、開明派の森有礼や田中不二麿たちが西洋音楽の導入を推進しようとしたのに対して、国学派の元田永孚(教育勅語の執筆者)たちが執拗に反対して「わが国固有の邦楽を培養」することを主張した。そのために音楽取調掛に邦楽者を入れて西洋音楽導入を阻止しようとした。ところが、雅楽稽古所の伶人上眞之を皮切りに、同僚の奥好義、辻則承などが次々にメーソンに弟子入りして、チェロやヴァイオリンなどの西洋楽器を学び、これがきっかけで雅楽者たちによるオーケストラ演奏が宮中に取り入れられるようになったという。古来伝統の笙や琵琶、篳篥(ひちりき)などの継承を家の職業として受け継いできた楽人たちは、むしろ積極的に西洋音楽を学ぼうとしたというのだ。

やなせたかし『アンパンマンの遺書』(岩波現代文庫)私が中学生の頃、映画雑誌に独特の絵入りの映画評を著者が書いていたのが記憶に残っている。その後、『アンパンマン』で子どもたちに爆発的な人気者になる。教会から曙橋の駅に行く途中に、アンパンマン・ビルがある。やなせたかしが苦労して手に入れた家の跡地に建てられたという。強くて無敵の正義のヒーローではなく、自分の身体をちぎって、お腹の減った人に分け与えるというアンパンマン誕生の秘密を、自分の挫折多い生涯の歩みと重ねて書いた自伝で、とても面白かった。(戒能信生)

2020年5月17日日曜日


2020年5月24日 午前10時30分

復活節第7主日礼拝(No7

      司式 橋本  茂

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編100・1-5

讃 美 歌  509

聖書朗読  列王記下5・9-19a

使徒言行録20・1-11

祈  祷

讃 美 歌  461

説  教  「眠りこけた若者」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  451

使徒信条  (9341A

献  金             大森 意索 

報  告

頌  栄  46(2度繰り返し)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(休止)


2020年5月16日土曜日


牧師の日記から(266)「最近読んだ本の紹介」

大木毅『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(岩波新書)第二次大戦のドイツの戦争について、ノルマンディ上陸作戦やヨーロッパ戦線など、西側連合軍との戦闘のイメージが強い。しかしナチス・ドイツが最大の戦力を投じたのはソ連侵攻であり、実際にスターリングラード攻防戦が象徴するように最も激戦であった。それは、「ドイツの生命線の東方への確保」と称して、東ヨーロッパからウクライナにまで戦線を拡大したことによる。「日本の生命線は満州」という戦前のこの国の掛け声を思い出す。しかも共産主義政権を打倒するという目的を掲げたので、それは「絶滅戦争」の様相を呈した。戦後の戦史研究では、独ソ戦についてヒトラーの無謀な介入が強調され、ドイツ国防軍の無罪化が計られたが、本書は資料に基づいて独ソ戦の実態を報告している。その犠牲の大きさと凄惨さ、さらに最新鋭のドイツ国防軍を撃退してそのままベルリンにまで反攻したソ連軍の底力に改めて驚かされる。たまたま、故・雨宮栄一先生の遺稿『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』の原稿整理をしているので、独ソ戦の推移が国防軍内のクーデター計画にどのような影響を与えたのかという点で参考になった。

神野直彦『経済学は悲しみを分かち合うために』(岩波書店)条谷泉さんから読んでみてはと頂いた。東京大学経済学部教授で財政学が専門の著者の自伝。私の恩師でもある隅谷三喜男先生のことや、『隅谷著作集』編纂で一緒に仕事をした経済学者たちのことも出てきて興味深く通読した。財政学とは、一言で言えば公正な税制度であり、貧富の格差を是正するための配分論であることがよく分った。つまり強欲な資本主義の横行と非人間的な市場経済至上主義に対抗するただ一つの手段が、公平な税制度であり、そのキーワードは「分かち合い」だと言う。財政学や税制について無知であった蒙を啓いてくれる一冊ではあった。

森政稔『戦後「社会科学」の思想』(NHKブックス)戦後の社会思想の流れを、現在の新保守主義に至るまで要領よく整理して解説してくれる。戦後のマルクス思想全盛の時代から、大衆社会の到来、ニュー・レフトの時代、そして新自由主義が支配的になる現在に至るまで、その時々の内外の代表的な思想のトレンドを次から次へと紹介している。日本の研究者だけを上げても、丸山眞男、大塚久雄、藤田省三、平田清明、鶴見俊輔、吉本隆明、真木悠助(見田宗介)など、私自身が苦労して学んで来た人々の思想と理論がコンパクトに紹介され、その問題点が指摘されていく。教養学部での講義をまとめたもので、大変便利ではある。ただ、その時々にこれらの人々の書物を読んで影響を受け、悩み葛藤しながら歩んで来た者にとっては、率直に言って「なんだかなあ」という印象が残る。つまり小熊英二の戦後思想の解説と同様に、過ぎ去った過去の整理という感想を抱かざるを得なかった。これが世代の違いというものなのだろうか。(戒能信生)

2020年5月17日 午前10時30分

復活節第6主日礼拝(No7

      司式 鈴木志津恵

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編99・1-9(着席のまま)

讃 美 歌  369

聖書朗読  出エジプト記33・7-11

使徒言行録19・21-40

祈  祷

讃 美 歌  401

説  教  「エフェソでの騒動」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  464

使徒信条  (9341A

献  金             茨木 啓子 

報  告

頌  栄  46(2度繰り返し)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(休止)

2020年5月9日土曜日


牧師の日記から(264)「最近読んだ本の紹介」

吉村昭『雪の花』(新潮文庫)吉村昭の史伝物はほとんど読んでいるはずだが、読み逃していた一冊。COVID-19の感染拡大に対応して書店に並べられていたので手に取った。幕末期、福井藩の町医・笠原良策が西洋医学を学び、辛苦の末に長崎から種痘を手に入れ、幼児に移植して天然痘の流行を押さえる。この国における感染症に対するワクチン接種の出発点となるその苦闘の歩みを、ドキュメンタリー・タッチで描いている。藩の役人たちの不作為や漢方医たちの抵抗、そして周囲の無理解と偏見に立ち向かった先人たち労苦を知ることが出来る。

マイク・デイヴィス「疫病の年に」(『世界』5月号)雑誌『世界』のコロナ特集号に掲載されたアメリカの歴史家の論考。皆保険制度のない合衆国の医療現状、製薬会社の利益至上主義が指摘されている。アメリカで最初のCOVID-19 集団感染はシアトルの老人ホームだったという。営利目的の老人ホーム産業が、過当競争の中で基本的な感染予防を怠っているという。さらに巨大製薬会社18社のうち15社は、収益性の高い心臓病の薬や精神安定剤などの開発に主力を置き、感染症に対する新しい抗生物質や抗ウィルス剤等の研究開発を放棄しているという。市場経済至上主義が公衆衛生の環境をむしばんでいる実情が伺える。

まど・みちお『いわずにおれない』(集英社文庫)詩人まど・みちおが、96歳の時、自作の詩について編集者のインタビューに答えた小さな本。この「含羞の詩人」が、自作の詩について自ら解説した貴重な証言になっている。私はこの詩人の詩が好きで、「子どもの祝福」などでも度々紹介してきた。特に私の関心は、この詩人が若い時期、台湾でホーリネスの信仰に導かれ受洗していること。戦後、教会生活から離れてしまったことから、キリスト教と信仰の観点からのこの詩人について触れられることはほとんどない。しかし彼の自然観や宇宙への感覚に、どうしても宗教的なものを読み取ってしまう。このインタビューの中でもこう答えている。「・・・ということは、やっぱり生かされてるっちゅうことじゃないでしょうか。私は無宗教なんですが、人智を越えたある大きな力、宇宙の意志のようなものを感じずにはおられません。」「遠いところっていう語感が私はすごく好きで、この言葉をよく使うんですよ。われわれを生かしてくださっている、どうすることもできない絶対的なものから、自分たちはものすごく離れたところにおるっちゅう感じがあるんだなぁ。・・・それに遠いところにあるからこそ、憧れ、求め続けることができるんだと思います。」「その自然の法則というものは、ものすごく大きく、愛に満ちているように思えます。本当は生かされている私たち人間に、『自分は自分で生きている』と思わせてくださってるくらいに・・・。」

戒能信生)

2020年5月3日日曜日


2020年5月10日 午前10時30分

復活節第5主日礼拝(No6

      司式 常盤 陽子

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編98・1-9(着席のまま)

讃 美 歌  211

聖書朗読  エゼキエル書36・22-24

使徒言行録18・24-19・10

祈  祷

讃 美 歌  328

説  教  「別の回路から」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  399

使徒信条  (9341A

献  金             石井 房恵 

報  告

頌  栄  46(2度繰り返し)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(休止)

2020年5月2日土曜日


牧師の日記から(264)「最近読んだ本の紹介」

村上春樹『猫を棄てる 父親について語るとき』(文藝春秋)初めて村上春樹の初期の短編のいくつかを読んだ時、これまでの小説と違う新鮮な印象があった。その一つは父権主義との葛藤がほとんど見られないこと。その後のベストセラーになった長編でも、主人公の両親の存在がおしなべて希薄なのだ。著者自身の書く身辺雑記やエッセーの類にも、その父親や母親についての記述がほとんど見られない。それは何故なのかずっと気になっていた。その村上春樹が、数年前に亡くなった父親について書いた文章が小さな本として出版された。京都にある由緒ある浄土宗の寺の次男に生れ、徴兵されて中国戦線を転々とするが、最後は兵役を免れて京都大学に学んでいる。戦後は兵庫県の私立高校の国語の教師として働く。しかし父親には、戦争体験が重くのしかかっていて、毎朝読経する姿にそれが現れていたという。著者は父親の死去後、その足跡を辿り、ようやくこのような文章を書いたのだという。さすがに村上春樹の文体は優れていて、ある喚起力をもっている。読んでいて、自分と父親とのことをいろいろと考えさせられた。

速見融『歴史人口学事始め 記録と記憶の90年』(ちくま新書)歴史人口学という分野のこの国におけるパイオニアであり、推進者であった速見融の自伝。1990年代に『江戸の農民生活史 宗門改帳にみる濃尾の一農村』を読んで、多大のインパクトを受けた。フランスのアナール学派に始まる中世の人口分析の手法を取り入れ、この国に特有の宗門改帳を丹念に読み解いて、主に江戸期の濃尾地方の人口変遷を辿っている。尾張藩による大規模な新規開拓によって耕地面積が増えると、農家の次男三男が入植して人口が急増する。しかししばらくすると人口増は止まり、江戸期にそれが何回か繰り返された。農民たちの稼ぎで育て得る子どもの数が決まったと見られる。だれに命じられたのでもなく農民自身が人口調節をしていたことになる。人口と家族構成の変遷から、当時の生活やライフスタイルまでもが浮かび上がってくるというのだ。私が教勢統計の分析を試みるようになったのも、速見さんの歴史人口学の影響とも言える。この自伝で、著者の生い立ちからの歩みを詳しく知った。親族に当たる東畑精一や三木清との関わり、常民研究所での網野善彦との出会い、留学中のヨーロッパで偶然のように歴史人口学と出会い、帰国してからのめざましい業績、梅原猛との出会いと日本文化研究センターでの活躍が淡々と綴られる。晩年に、1918年に日本でも流行ったスペイン風邪の分析をしている。日本だけでも45万人が亡くなったという。1923年に関東大震災があり、その記憶が強すぎて、この感染症についての記録が顧みられなかったという。現在、COVID-19の感染拡大で礼拝を中止する教会が増えている。その当時の教会の記録(各教派の機関誌、各個教会史や週報)にはスペイン風邪のことはほとんど出てこない。改めてその事情を調べてみよう。(戒能信生)