2021年2月28日日曜日

 

2021年3月7日 午前10時30分

受難節第3主日礼拝(No48

      司式 石井 房恵

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  6(123節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編122・1-9

讃 美 歌  204(12節)

聖書朗読  エレミヤ書1・4-10

ルカ福音書5・27-32

祈  祷

讃 美 歌  474(1、2節)

説  教  「徴税人レビの召命」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  442(1、2節)

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「沖縄教区美里教会石垣修理のために」     鈴木志津恵

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

礼拝後、定例長老会

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

2021年2月27日土曜日

 

牧師の日記から(307

221日(日)ルカ福音書51726の講解説教「中風の人の癒し」。屋根を破って病人をつり降ろした人々に対して、イエスが「その人たちの信仰を見て」「人よ、あなたの罪は赦されたと」と宣言する。それが、居合わせたファリサイ人や律法学者たちから神を冒涜するものとして非難される。イエスの宣教活動と当時の宗教指導者たちの衝突の初発が報告されている。久しぶりに松野ヤスコさんが礼拝に出席された。少し瘦せられたが、とてもお元気そう。昼食を共にしながら最近の様子を伺い、44日の松野俊一先生の納骨式の相談をする。清瀬にある救世軍のケアハウスへの入居を考えているとのこと。駅まで直子さんに送ってもらう。

22日(月)午後から西早稲田のキリスト教会館に行き、NCAの発送作業。5月から、「日本キリスト教史を読む」のアンコール講座がリモートで始まるので、その準備も始めなければならない。夜、台湾の台南神学院で教えている高井ヘラー由紀さんからメールが届き、国際シンポジウムで発題するので、「スペイン風邪と日本の教会」についての資料を送って欲しいとの依頼。直ちに『福音と世界』に書いた原稿と関連資料をメールで送る。

23日(火)午後から、「コロナと差別を考える集い」にZoomで参加。NCC総主事の金性済さんの講演「地の果てのヘイト差別とキリストの証人として」。レイシズム(人種差別)と部落差別との共通点と差異について質問する。そこに天皇制の課題があるという答え。来週末に「柏木義円の日記を読む」研究会があり、私が発題なので、このところ明治期の義円の日記を読み込んでいる。そこには牧師の日常がびっしり書き込まれている。散在する教会員の家庭訪問に出かけ、日に何通もの手紙を書き、さらに『上毛教界月報』の原稿書きと編集作業、そして病妻を抱えながら子どもたちの育児や家事に追われる日常が詳細に書き込まれている。

24日(水)午後から早稲田奉仕園での上林順一郎先生の聖書講座に出席。創世記の天地創造の記事の講解なのだが、よく準備され、聖書学的な問題だけでなく、神学的な目配りもなされていて、大変勉強になる。宣教研究所に寄って資料探し。夜はひたすら義円の日記を読み込む。

25日(木)午前中は、4月から始まる共同研究「コロナ後の教会の希望」の準備。この研究会はすべてZoomで行われる予定。午後からZoomNCAの理事会。京都にあるセミナーハウスが、コロナ禍で営業停止していることもあり、NCA自体が財政的に行き詰っている。この難局をどう乗り越えるのか、難題山積。新年度の事業計画や予算、そして人事について協議。

26日(金)婦人矯風会の川谷淑子さんから『矯風会百年史』が送られてくる。矢嶋楫子について調べているので助かるが千頁を越える大著。夜は北支区連合祈祷会委員会をZoomで。35日(金)19:00から、東日本大震災を覚える祈祷会をZoomで実施する。その準備について協議。この3週間ほど腰痛て難儀したが、ようやく収まってきたようだ。(戒能信生)

2021年2月21日日曜日

 

2021年2月28日 午前10時30分

受難節第1主日礼拝(No47

      司式 野口 倢司

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-29

讃 美 歌  6(123節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編121・1-8

讃 美 歌  155(12節)

聖書朗読  サムエル記下15・10-16

祈  祷

讃 美 歌  528(1、2節)

説  教  「アブサロムの反逆」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  529(1、2節)

転入会式              石井寛治

使徒信条  (9341A

献  金             齊藤 織恵

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(休校)

礼拝後、入門の会「主の祈り」戒能牧師

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

CS教師会

・週報等発送作業 ご協力ください

・礼拝の讃美歌について、感染の危険を避けるため、1節2節だけを奏楽し、会衆は発声を控え、歌詞を目で追うこととしています。

2021年2月20日土曜日

 

牧師の日記から(306)「最近読んだ本の紹介」

古矢旬『グローバル時代のアメリカ』(岩波新書)「シリーズ・アメリカ合衆国」の四冊目。1970年代からトランプ大統領の出現までの時代を取り上げている。この50年間のアメリカ史は、自分自身の歩みと平行しているので、ある臨場感をもって読んだ。これまで特に日本との関係で合衆国の外交政策に専ら関心をもってきたが、冷戦の終結を経て唯一の覇権国家となった合衆国の内政の変遷を改めて教えられた。共和党と民主党という二大政党によって大統領選挙が行なわれ、上院下院の連邦議会が構成されるとばかり思い込んできたが、この50年の間に政党はねじれ、変質して来たという。典型的には、かつて奴隷解放を主張したリンカンは共和党選出の大統領だったが、現在の共和党はトランプ与党として、リベラル政権とは到底言えなくなっている。つまりアメリカ民主主義は大きく変容し、対外政策、税制、人種差別、銃器所持、人工中絶問題などで内部に深刻な対立と分断を抱えている。そこでは、自国至上主義やポピュリズムが横行し、とりわけ市場優先の経済政策によって貧富の格差が拡大し、この国の戦後民主主義のお手本では最早あり得ない。ようやくトランプは去りバイデン大統領が就任したものの、これからのアメリカ合衆国は、そして世界はどうなっていくのか暗澹たる想いに駆られた。

島田裕巳『捨てられる宗教』(SB新書)宗教学者であるこの著者が書いたものは、「日本宗教史」の講義の参考にするためほぼ目を通してきている。例えば葬儀の変遷に日本人の宗教意識の変容をみる著者は、宗教が捨てられる時代になったという。その最大の理由は、平均寿命が伸びたからだと見る。つまり長寿社会になっている先進国ではいずれも宗教は衰退し、まだまだ医療環境が整わず、幼児死亡率が高く、平均寿命が低い開発途上国では宗教がなお勢力を保持していると指摘する。そこには死生観の差異が影響しており、後進国でもやがて豊かになり平均寿命が延びてくると、宗教は廃れていくと予想する。宗教社会学的にはおそらくそう言えるのだろうが、果たして宗教の生命力はそれだけだろうか。

對馬達雄『ヒトラーの脱走兵』(中公新書)第二次世界大戦下において、戦場から脱走して処刑されたドイツ軍兵士は2万人に及ぶという。それは、交戦国のアメリカやイギリス軍の場合の100倍以上に達する。特に絶滅戦争と言われた独ソ戦線において大量の脱走兵が出ているが、なにより総統ヒトラーが「脱走兵は死なねばならない」(『わが闘争』)と言ったことによるとされる。奇跡的に処刑を免れて生き延びた人々の戦後を追い、その名誉回復に至るまでの苦闘をドキュメントしている。「裏切りか抵抗か、ドイツ最後のタブー」という副題が示すように、戦争責任の最後の重い課題を取り上げている。翻って「生きて虜囚の辱めを受けず」(戦陣訓)とされた日本軍の場合はどうだったのかが気になった。(戒能信生)

 

2021年2月14日日曜日

 

2021年2月21日 午前10時30分

降誕節第10主日礼拝(No46

      司式 大森 意索

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-29

讃 美 歌  6(123節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編120・1-7)

讃 美 歌  452(12節)

聖書朗読  イザヤ書65・17-25

ルカ福音書5・17-26

祈  祷

讃 美 歌  467(1、2節、3節)

説  教  「中風の人の癒し」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  479(1、2節)

使徒信条  (9341A

献  金             戒能 直子

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

・礼拝の讃美歌について、感染の危険を避けるため、1節2節だけを奏楽し、会衆は発声を控え、歌詞を目で追うこととしたいと思います。ご協力ください。

2021年2月13日土曜日

 

牧師の日記から(305)「最近読んだ本の紹介」

増田義郎『アステカとインカ 黄金帝国の滅亡』(講談社学術文庫)コロンブスによってアメリカ大陸が「発見?」されてから、主にスペインからの冒険者たちによって中南米の各地が占領されていく。コルテスによってメキシコ高原のアステカ文明が、またピサロによってインカ帝国が滅ぼされた全過程が詳述される。従来は占領者・支配者側からの資料に基づいて書かれることが多かったが、出来る限り被支配者の側の証言や資料も取り入れてその全貌を明らかにしている。それにしても、それは残酷な、そして暴力に満ちたものだった。300万人はいたというインカの人々が現在では200人くらいしか残っていないというのだ。その背後にスペイン人たちの黄金に対する欲望と、キリスト教信仰があったという。著者自身が推進した『大航海時代叢書』(全42巻、岩波書店)を駆使した内容で、この残酷な占領史と現代がひと繋ぎになっている現実に唖然とさせられる。銃器等の武器の違いがあったにせよ、ほんの僅かのスペイン兵たちにインカ帝国が滅ぼされた背景には、天然痘を初めとするヨーロッパから持ち込まれた感染症の拡大があったという。このことも忘れてはならないだろう。

梁英聖『レイシズムとは何か』(ちくま新書)この国における在日コリアンに対する差別の歴史と実態を、レイシズム(人種差別)の視点から明らかにしていて、多くを学ばされた。日本には「単一民族神話」があり、人種差別はないとされてきた。しかしアイヌ民族や沖縄人差別は厳然として存在するし、また在日朝鮮人・韓国人に対する差別も依然として根強く残っている。一つには、この国で差別と言えば「部落差別」問題が取り上げられることが多く、反差別教育も熱心に展開されてきたことがあるのかもしれない。その点で本書が部落差別との関連や差異について全く取り上げられていないことに不満が残った。

貴堂嘉之『南北戦争の時代』(岩波新書)「シリーズ・アメリカ合衆国」の二冊目。南北戦争がどれほど大きな被害と、そしてその後に深刻な影響を及ぼしたかを改めて教えられた。なにしろ50万人が戦死し、それは第二次世界大戦の米軍戦死者よりも多かったという。因みに、この国には主にアメリカ合衆国の宣教師によってプロテスタント・キリスト教が伝えられたが、その場合、神学校が東西に二つ造られている。例えばメソジスト教会で言えば、東の青山学院と西の関西学院、日本基督教会では、明治学院と神戸神学校、バプテスト教会では、関東学院と西南学院というように。つまり戦前のアメリカ経由の各教派は、いずれも東部と西部に分かれ、それで各神学校も東と西に二つあった。それはすべて南北戦争の影響なのだ。すなわち南北戦争によってアメリカのキリスト教各教派も南北に分裂し、その結果日本への宣教も南北に分かれて別々に行なわれた。その結果、各教派が東西に分かれ、各神学校も東西に二つあるということになったのだ。ここにも南北戦争の深刻な影響があると言える。(戒能信生)

2021年2月7日日曜日

 2021年2月14日 午前10時30分

降誕節第9主日礼拝(No46

      司式 常盤 陽子

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-29

讃 美 歌  6(123節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・169-176(タウ)

讃 美 歌  196(12節)

聖書朗読  列王記下5・1-14

ルカ福音書5・12-16

祈  祷

讃 美 歌  487(1、2節)

説  教  「重い皮膚病の癒し」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  504(1、2節)

使徒信条  (9341A

献  金             大森意索

報  告

頌  栄  83

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、聖書を読む会(礼拝堂で)発題・野口洋子(サムエル記上1-2章)

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

・礼拝の讃美歌について、感染の危険を避けるため、1節2節だけを奏楽し、会衆は発声を控え、歌詞を目で追うこととしたいと思います。ご協力ください。

2021年2月6日土曜日

 

牧師の日記から(304)「最近読んだ本の紹介」

宮田光雄『ボンヘッファー 反ナチ抵抗者の生涯と思想』(岩波現代文庫)宮田先生から頂いて部分的に流し読みしたままだったのを、改めて初めから精読した。ボンヘッファーについては多くの評伝や研究書があるが、本書は小さいながらその決定版とも言うべき内容になっている。というのも、逮捕後の獄中書簡の詳細な分析や最近の資料的研究を踏まえて、いわば最期のボンヘッファーの思想と信仰を描き出そうとしている。印象に残った幾つかを紹介しよう。何篇かの獄中詩が残されているが、最後の詩が『讃美歌21469番にある「善き力にわれかこまれて」。19441219日、婚約者マリーアに宛てた手紙の文末に、この詩は記されていたという。『讃美歌21』では5節までとなっているが、原詩は7連から成り、その逐語訳と詳細な解説に添えられている。既に処刑を予期し、婚約者に別れを告げながら、しかし「善き力」への静かな信頼が歌われている。

神という作業仮説なしに、この世で生きるようにさせたもう神こそ、我々がたえずその御前に立っているところの神なのだ。神の御前で、神と共に、我々は神なしに生きる」(1944716日)。獄中書簡のこの謎のような一節は、1960年代のアメリカにおけるセキュラリズム論争(H・コックスの『世俗都市』)や「神の死の神学」との関連でしばしば引用されて来た。宮田先生は、それを本来のボンヘッファーのコンテキストに置き直し、「この世を神なきものと見る経験を神に対する信仰と結合した」と見る。そこにボンヘッファー独自の「非宗教的キリスト教」理解があるとする。実はこの個所の直前には「わが神、わが神、なぜ私をお見捨てになったのですか」というイエスの最後の言葉が引かれている。先生は「このイエスの呼びかけには、逆説的な形で、神への祈りがあるのではないか。イエスは神に身を向け、彼を見捨てた神を彼と共にいたもう神として経験するのだから」と説明する。そしてさらに「神から離反し神から遠く離れた場所に立つ私たち」に、「この十字架において神御自身が人間の苦難と死の深みにまで連帯されたことを示す」と解釈する。その時ボンヘッファーの信仰理解は、現在に生きる私たちに語りかける深みと希望を指し示す。

もう一つボンヘッファーの言葉。「これまでの年月の間、ただ自己保身のためにだけ戦って来た我々の教会は、人々のために、またこの世のための和解と救いの言葉の担い手である力をなくしてしまった。だから、これまでの言葉は無力になり、口がきけないような状態にならざるを得ない。そして、我々がキリスト者であるということは、今日では、ただ二つのことにおいてのみ成り立つだろう。すなわち、祈ることと人々のあいだで正義を行うことだ」(19445月)。この有名な言葉を、私自身いろいろな機会に引用して来た。しかしこの本で、この言葉が友人であり弟子でもあったベートゲの息子の幼児洗礼を祝福する手紙に書かれたということを初めて知ることができた。(戒能信生)