2021年7月31日土曜日

 

牧師の日記から(328)「最近読んだ本の紹介」

ブレイディみかこ『ぼくはイエローでホワイトで、ちょっとブルー』(新潮文庫)最近この人の書くエッセーをよく目にする(昨年『福音と世界』にも連載していた)。新潮社のPR誌『波』の連載時に断片的に読んでいたが、本屋大賞の受賞を機に文庫化されたというので、改めて読み直した。イギリス在住の保育士である著者が、ロンドン郊外の公立底辺校に通う中学生の息子をめぐる日常を、独特のパンクな文体で報告する。EU離脱後のイギリス社会の断面を、12歳の男の子が公立中学や地域で次々に出会う事件や出来事を通して描いている。それが、これまで私が聞かされてきたイギリスとは全く異なるのだ。公立底辺中学の教育事情、経済格差の拡大、移民の増大、いじめや差別の実態……そんな中での母と息子の対話が絶妙。息子「国籍や民族性が違う多様性がいいって言うけど、どうしてこんなにややこしいの」、母「多様性ってやつは物事をややこしくするし、喧嘩や衝突が絶えないし、そりゃない方が楽よ。多様性はうんざりするほど大変だしめんどくさいけど、無知を減らすからいいことなんだと母ちゃんは思う。」この続編が書かれるとのことで、是非読んでみたい。

栗原康『サボる哲学 労働の未来から逃散せよ』(NHK出版新書)。アナキズㇺの視点から、17世紀カリブ海の海賊の歴史、アメリカでの黒人解放運動(ハリエット・タブマン モーゼと呼ばれた黒人女性)、18世紀イギリスのラッダイト(産業革命に対する民衆の機械打ち壊し運動)などを捉え直すと、きわめて現代的な課題が見えて来るという。特にコロナ禍の現在、一遍上人から大杉栄、ミシェル・フーコーを読み直し、「万国の労働者よ、駄々をこねろ」と宣言する。共産主義思想が凋落した今、アナキズムが改めて見直されているようだ。なにより著者の文体が、まるでラップ音楽のようなリズムで語られ、それが結構心地よいのに驚く。著者は政治学が専門の若きアナキストで、一度その講演を聞いたことがある。

勝田文『風太郎不戦日記 1,2,3』(KODANSHA)作家・山田風太郎の『不戦日記』は、長すぎることもあってほんの一部に目を通しただけ。それを勝田文(娘の羊子お気に入りのマンガ家)が三巻の漫画に仕立てたと勧められて読んだ。昭和20年、医学生であった山田風太郎の学生生活、空襲や疎開体験など、戦時下の世相と普通の人々の日常が実に巧みに描かれていて感嘆する。原著の『不戦日記』よりもはるかに読みやすく、むしろ当時の雰囲気を感じることができるのではないか。

石坂啓「ハルコロ ⅠⅡ」(岩波現代文庫)本多勝一原作のアイヌの若い女性を主人公とする物語を、石坂啓が漫画化したもの。自然と共生するアイヌの人々の暮らしや風習、祭りや信仰などがごく自然に描かれている。監修をした萱野茂さんも絶賛しているので、民俗学的にも信頼できるようだ。なまじのアイヌ紹介本よりも、このようにマンガで描かれるほうが説得力があるかも知れない。(戒能信生)

2021年7月25日日曜日

 

2021年8月1日 午前10時30分

平和聖日(聖霊降臨節第11)主日礼拝(No18

      司式 鈴木志津恵

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  4(12節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編143・1-12

讃 美 歌  401(12節)

聖書朗読  ホセア書6・1-6

      ルカ福音書8・16-18

祈  祷

讃 美 歌  461(12節)

説  教  「燈火を掲げて」  戒能信生牧師

讃 美 歌  532(123節)

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・大森意索、梅本順子

讃 美 歌  81(12節)

献  金  対外献金「東京教区千葉支区小見川教会会堂建築のために」鈴木志津恵

報  告

頌  栄  87(1、2、3節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・内山央絵

・ライブ配信担当・西川 穂

・礼拝後、定例長老会

・お茶の会は感染症拡大を避けるため差し控えています。礼拝堂の後ろに飲み物を用意していますので、必要な方はご利用下さい。

2021年7月24日土曜日

 

牧師の日記から(327)「最近読んだ本の紹介」

藤原聖子『宗教と過激思想』(中公新書)1990年に一連のオウム真理教事件が発覚した直後、この国の宗教界では、キリスト教だけでなく、伝統仏教も新宗教も一斉に教勢が低下したとされる。宗教は怖ろしいという空気がこの国を支配したのだ。その前後、一神教は危険だという言説がしきりに流行った。イスラム原理主義を引き合いに、日本古来の神道や仏教は危険ではないというのだ。しかし藤原さんのこの新書は、キリスト教やムスリムだけでなく、仏教やヒンドゥ教、さらにこの国の仏教や神道からも過激思想が生まれた歴史を洗い出している。その意味ではどの宗教も危険なものになり得るのだ。その当時、教会の看板や週報に「この教会は、統一教会やエホバの証人とは関係ありません」と掲げるケースが見られた。その時感じた違和感を覚えている。「私たちの教会は危険ではありません」などという弁明は、言わば宗教の責任を放棄する宣言に他ならないのではないか。それで思い出す。明治24年、第一高等中学校の教育勅語奉戴式で最敬礼をしなかった内村鑑三がバッシングを受けて辞任させられたいわゆる「不敬事件」が起こる。その時、東京帝国大学教授井上哲治郎は「キリスト教は日本の国体に合わない」と指弾した。この批判に対して、一部の例外を除いて、多くの教会は「キリスト教は日本の国体にふさわしい宗教だ」という弁明に終始した。そこに、その後のキリスト教会の歩みが規定されたという指摘がある。どの宗教が危険かではなく、世界の平和を願う宗教の本質を具体的に証ししていく責任と使命があるのではないか。

クリストファー・デ・ハメル『中世の写本ができるまで』(白水社)聖書を始めとするヨーロッパ中世の写本の歴史を、イギリスの第一人者が手書き写本の美しい写真をもとに詳細に解説してくれる。羊皮紙の作り方、紙の普及、インクや書体、さらに彩色や装幀に至るまで。12世紀頃までは、修道院で写本が作成されたが、それ以降は世俗の写字生や写本画家に依頼して作成されたという。16世紀にグーテンベルクを始めとする印刷技術が導入されるまで、写本は智の技術として全盛を誇る。そこに注ぎ込まれた写字生たちの労力と時間に感嘆するばかり。

へニング・マンケル『手 ヴァランダーの世界』(創元社推理文庫)スウェーデンの田舎警察の刑事を主人公とするこのシリーズは、主人公の死によって既に完結している。この一冊は、番外編として書かれた中編と、著者自身によるシリーズ各編の解説、登場人物などをインデックスの形にまとめている。すなわちヴァランダー・シリーズの総索引になっている。1990年代から2010年頃までのスウェーデン社会の変化を、こういう仕方で眺めることができる。時間の余裕ができたら、これを手掛かりに、このシリーズを読み返してみたいと思う。かつてこの国でも、松本清張や水上勉など、戦後の社会と世相を見事に切り取った推理小説が書かれた。現在そのような作品が見られないのは寂しい限り。(戒能信生)

2021年7月18日日曜日

 

2021年7月25日 午前10時30分

聖霊降臨節第10主日礼拝(No17

      司式 大森 意索

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  3(45節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編142・1-8

讃 美 歌  455(12節)

聖書朗読  列王記上12・1-19

祈  祷

讃 美 歌  468(12節)

説  教  「イスラエル王国の分裂」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  507(123節)

使徒信条  (9341A

献  金             鈴木志津恵

報  告

頌  栄  87(1、2、3節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(お休み)

・ライブ配信担当・荒井 眞

・礼拝後、入門の会「死と葬儀③」

・CS教師会

・週報発送作業(時間の余裕のある方はご協力ください)

・お茶の会は感染症拡大を避けるため差し控えています。礼拝堂の後ろに飲み物を用意していますので、必要な方はご利用下さい。

2021年7月17日土曜日

 

牧師の日記から(326)「最近読んだ本の紹介」

竹下節子『疫病の精神史』(ちくま新書)カトリック教会の歴史から、その時々に蔓延する疫病をどのように受け止め、どう対してきたかを概観してくれる。古代から中世にかけて、疫病の猖獗にキリスト教会は懸命に取り組んでいる。そこに神の警告を読み取りつつ、しかし病む者の看病と看取りに多くの信仰者が献身的に奉仕して来た。しかし近代に至ると、医師や病院が取って代わり、教会はその役割を放擲してしまったのではないか。21世紀の現代、Covid-19のパンデミックによって、改めて教会の使命と役割が問われている。パスカルが、そしてルナンが、疫病の危機に対してどのような信仰理解を示したのかを教えられた。

神田千里『戦国乱世を生きる力』(ちくま学芸文庫)応仁の乱から戦国時代にかけての一揆の思想と、その中での宗教の役割を取り上げる。加賀を中心とする一向一揆と浄土真宗について、また切支丹の動向とその影響について、従来の通説を覆す視点が示される。例えば織田信長の延暦寺への攻撃は、戦国武将として必ずしも特異なものではなかったとする。また武士だけでなく農民たちも自ら武装し、しばしば私闘に及んだのは、「自力救済」思想が背景にあるという指摘に考えさせられた。その意味で親鸞の「他力本願」は、秩序維持に適合する宗教思想だったことになる。

野口冨士男『海軍日記』(中公文庫)昭和19年の秋、33歳の病弱な小説家が海軍に召集される。以来翌年8月の敗戦によって復員するまで、横須賀海兵団での新兵としての日々を、隠し持った小さな手帳に書き付けた稀有な記録(軍隊で下級兵士が私的な日記をつけることは許されなかった。厠などで秘かに書き込み、面会の折りに家族に渡して保管された)。「一切の嘘を書くまい」と決意したその日録は、きわめてリアルに戦争末期の海軍の実態と兵士たちの日常を伝えている。「不馴化性患者」(栄養失調症を海軍ではこう呼んだ)の病兵としての危機感が、読む側にも迫ってくる。

安田武『戦争体験 1970年への遺書』(ちくま学芸文庫)安田武の名前は、『思想の科学』研究会や「きけわだつみの会」の活動で知っている。学徒出陣し、ソ連軍による抑留を経て帰国した後、徹底的に自身の戦争体験に拘り続けたその文章は、いま読んでもリアリティがある。自分の戦争体験をいかなるイデオロギーにも、また戦後政治の動向にも回収されまいと決意し、結果として孤立していくその生き方が胸を打つ。

太田省一『すべてはタモリ、たけし、さんまから始まった』(ちくま新書)テレビのお笑い番組の熱心な視聴者ではないが、それでもこの40年近く彼らの提供する「笑い」は身近にあった。それが何を意味するのか、そこにどのように時代が反映しているのか、そして現在の新たな格差社会の中で笑いはどのように変質しているかを改めて教えられる。最近人気のサンドイッチマンという漫才コンビの特徴が「やさしさ」にあるという指摘には考えさせられた。(戒能信生)

2021年7月11日日曜日

 

2021年7月18日 午前10時30分

聖霊降臨節第9主日礼拝(No16

      司式 橋本  茂

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  3(45節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編141・1-10

讃 美 歌  537(12節)

聖書朗読  創世記21・1-8

      ルカ福音書8・4-15

祈  祷

讃 美 歌  386(12節)

説  教  「種蒔く人の譬」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  53(1234節)

使徒信条  (9341A

献  金             齊藤 織恵

報  告

頌  栄  87(1、2、3節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(お休み)

・ライブ配信担当・野口倢司

・礼拝後、オリーブの会「国際交流基金の話し」梅本和義

・お茶の会は感染症拡大を避けるため差し控えています。礼拝堂の後ろに飲み物を用意していますので、必要な方はご利用下さい。

2021年7月10日土曜日

 牧師の日記から(325)「最近読んだ本の紹介」

『中野好夫(ちくま日本文学全集)』(筑摩書房)矢嶋楫子を調べている関係で、以前図書館から借りて読んだ『蘆花徳富健次郎』を読み直す必要に迫られたが、もうどこにも売っていない。致し方なく羊子に古本屋でこの文庫本を探してもらった(『蘆花健次郎』第三部が収録されている)。大逆事件直後の第一高等学校での蘆花の講演『謀反論』をめぐる詳細な解説が参考になる。ついでに収録されている「親鸞 その晩年と死」やロスチャイルド家の創成を取り上げた「血の決算報告書」、サヴォナローラについての「狂信と殉教」などを再読した。読み返して、自分が中野好夫にいかに影響を受けているかを再認識させられた。私は日本キリスト教史を、人物史という仕方で捉えようとしてきたが、そこに中野好夫の人間洞察とその手法が影響を与えていることに改めて気づかされたのだ。

マイクル・ビショップ『時の他に敵なし』(竹書房文庫)羊子に薦められて読んだ現代アメリカのSF小説。いわゆるタイム・トラベルものだが、黒人の若者が200万年前のアフリカに時間旅行する。そこで、ホモ・ハビリスという原生人の小さな共同体に受け入れられる。そこでは、肌の色による差別は一切なく(原生人がアフリカを脱出する前なので、当然ながらすべて黒人なのだ)、過酷な自然環境の中で生き延びる能力だけが求められる。ある意味では、現代社会の知識や経験が全く通用しない中で、食料を得、食べ、眠り、そして愛し合う生活が始まる。これはSF小説を借りて、一切の差別のない世界のメタファーとも言える。文庫本の小さい活字で600頁を越えるが、あっという間に読み終った。翻訳者があとがきで少なくとも二回は読み返してほしいと繰り返しているのが印象的だった。

吉村昭『冬の道 吉村昭自選注記短編集』(中公文庫)この著者の史伝ものにはほとんど目を通しているが、小説はあまり読んでいない。中でも戦時中から敗戦直後の著者自身の経験を踏まえた私小説が興味深かった。またいわゆる刑務所ものと言われるいくつかの作品も印象深い。しかしなによりこの著者の硬質な文体が自分の性に合うことを改めて実感した。

塩見鮮一郎『貧民の帝都』(河出文庫)NHK大河ドラマで取り上げられている渋沢栄一に関する書籍が多数出版されているが、これは渋沢の貧民救済事業を取り上げた珍しい一冊。教科書には全く触れられないが、明治維新の際、江戸幕府が崩壊して明治政府が確立されるまで、東京は言わば無政府状態で混乱し(人口が半減した!)、多くの貧民で溢れたという。そのために明治5年に東京養育院が創設され、貧民や行路者を収容し始める。施設は浅草、上野などを転々とし最終的に大塚に落ち着くが、貧民に税金を用いて救済する必要はないとする政治家や官僚たちの議論(この「自己責任論」は現在でも横行している)に抵抗してこの施設を存続させたのが渋沢栄一だという。併せて明治期の東京の貧民窟の実態を紹介しているので参考になる。この四谷にもスラムがあった。(戒能信生)

2021年7月4日日曜日

 

2021年7月11日 午前10時30分

聖霊降臨節第8主日礼拝(No15

      司式 常盤 陽子

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-49

讃 美 歌  3(34節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編140・1-14

讃 美 歌  416(12節、3節)

聖書朗読  エレミヤ書7・1-7

      ルカ福音書8・1-

祈  祷

讃 美 歌  361(123節)

説  教  「女性たちの働き」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  441(12節)

使徒信条  (9341A

献  金             釜坂由理子

報  告

頌  栄  87(1、2、3節)

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(お休み)

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝後、聖書を読む会(サムエル記下131-22、担当・石井摩耶子

・お茶の会は感染症拡大を避けるため差し控えています。礼拝堂の後ろに飲み物を用意していますので、必要な方はご利用下さい。

 

2021年7月3日土曜日

 

牧師の日記から(324)「最近読んだ本の紹介」

村上春樹・柴田元幸『本当の翻訳の話しをしよう』(新潮文庫)現代アメリカ文学を翻訳してきた作家と翻訳家の二人が、フィリップ・ロスの『素晴らしいアメリカ野球』(中野好夫・常盤新平訳)から始めて、翻訳論、現代アメリカ文学の潮流、作家たちのゴシップ等を縦横に語り合う。中でも興味深かったのは、柴田の「日本翻訳史 明治篇」で、聖書の翻訳が取り上げられていること。現在でも評価の高いあの明治文語訳聖書は、刊行当時、格調が低いと評判が悪かったそうだ。翻訳陣はアメリカ人宣教師と日本人牧師たちから構成されていたが、日本人たちは漢語満載のさらに荘重な文体を主張したのに対し、宣教師たちは和語を多用した分かりやすい翻訳を主張し、結局宣教師たちの主張が容れられたからだという。ところが、明治中期以降、言文一致の文体が定着し、漢語尽くしの表現は時代遅れと見做され、結果として和語と漢語がバランスよくミックスされた文語訳聖書が定着したのだという。どこまで根拠のある話しか分らない点もあるが、なるほどと思わされた。しかし聖書はなにより朗読、音読に耐える文体が求められる。それが文語訳聖書の最大の魅力だと思う。

南原繁研究会『南原繁と戦後教育改革』(横濱大気堂)南原研究会の山口周三さんが送ってくれたので一読した。中でも元・文科省次官前川喜平氏の講演「教育基本法と私」が興味深かった。南原繁たちが敷いた戦後の「教育基本法」の路線が、その後の自民党政治の中でどのように変質させられていったかを、改めて具体的に教えられた。また文部官僚の中にも政権政党に忖度しないこのような人がいたのかと見直す思いだった。

畑中章宏『廃仏毀釈 寺院・仏像破壊の真実』(ちくま新書)明治の最初期の廃仏毀釈の経過と実際を詳細に教えてくれる。江戸時代まで習合していた寺と神社を強制的に分離した「神仏判然令」がどのような人々によって担われ、その結果各寺院で何が起こったのかを具体的に検証している。貴重な仏像や仏具が破壊されたり、売られたりする一方で、民衆によってそれが保護され守られた例もあったようだ。また神仏習合の実態には、山岳信仰や修験道との関わりも見られることを新しく教えられた。皇室の神道化の結果、それまで皇室の菩提寺であった泉涌寺(歴代の天皇の墓はここにあった)がどのように処置されたのかも教えられた。

沢木耕太郎『オリンピア1996 冠〈廃墟の光〉』(新潮文庫)1996年アトランタ・オリンピックの取材記だが、私自身はこのオリンピックについてほとんど印象に残っていない。日本選手の活躍があまり見られなかったからでもあるが、著者は商業主義が支配したオリンピックだったからだという。このシリーズは、2020東京オリンピックを当て込んでの企画だったようだが、コロナ禍による延期で出版も一年延期され、結果として政治と商業主義に利用されるオリンピックの実態を鋭く批判する内容になっている。コロナ禍のオリ・パラは果してどうなるのだろうか。(戒能信生)