2020年12月27日日曜日

 

2021年1月3日 午前10時30分

降誕節第3主日礼拝(No40

      司式 野口 倢司

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・121-128

(アイン)

讃 美 歌  367

聖書朗読  エレミヤ書31・27-34

祈  祷

讃 美 歌  355

説  教  「新しい契約」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  368

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「日本盲人キリスト教伝道協議会の働きのために」 橋本 茂

報  告

頌  栄  84

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

2020年12月26日土曜日

 

牧師の日記から(298)「最近読んだ本の紹介」

五十旗頭真ほか編『岡本行夫 現場主義を貫いた外交官』(朝日文庫)梅本和義さんから頂いて一読した。テレビなどで外交評論家として知られる岡本さんは、この4月にコロナ・ウィルスに感染して急逝した。その岡本さんの外交官時代の仕事ぶりや、退官後の多面的な活動が生き生きと語られている。この人ならではの現場主義に立って、沖縄問題や東日本大震災の救援活動等に幅広く関わっていたことを知ることが出来る。また橋本政権や小泉政権の首相補佐官として活躍した当時の裏話や、特に沖縄の普天間基地移設計画から辺野古沖埋立てに到る経緯、その中での秘録とも言うべきエピソードを驚きながら読まされた。梅本さんご夫妻の結婚の媒酌人で、梅本さん自身もかつての上司への短い追悼文を寄稿している。

青野太潮『どう読むか、新約聖書』(YOBEL新書)著者の青野さんから贈呈されて目を通した。数年前、神学生交流プログラムの講師としてお招きし、その「十字架の神学」解釈を三日間にわたって詳細に伺ったことがある。それは今年刊行された『次世代への提言』に収録されている。本書は私も講師を務めていた東京バプテスト神学校での4日間に渡る集中講義をまとめたもので、分かりやすく青野神学に触れることが出来る。特に興味深かったのは、2章「処女降誕物語をどう読むか」で、神話化されたクリスマス物語を「十字架の逆説」として読み替える視点に改めて学ばされた。

武田武長『ただ一つの契約の弧のもとで』(新教出版社)これも著者から贈呈された。『時の徴』の編集同人でもある武田さんは、ユダヤ人問題、特にキリスト教の歴史に深く刻み込まれている反ユダヤ主義を神学的に抉り出し、特にロマ書の釈義を通してその誤謬を徹底して見直している。この国ではユダヤ人問題はあまり議論されないが、欧米では今なお深刻な課題である。例えば私自身、特に説教の中で、無意識のうちにアンチ・セミティズム的な解釈や表現に陥っていることに気づかされる。武田さんの博士論文をもとにした論文集で、言わばライフ・ワークの書籍化でもある。

岡田暁生「モーツアルト」(ちくまプリマー新書)天才モーツアルトについては興味深い様々なエピソードが伝えられている。しかしこの小さな本は、この天才の生涯を簡略に素描しながら、例えば「モーツアルトは神を信じていたか?」というような問いを立てて、新しい視点から論じていて興味深く読んだ。ただこの天才の思想的な背景、キリスト教への理解やフリーメーソンとの関わりなどを、主にそのオペラ解釈を通して試みている。私はオペラについての素養が全くなく、「ドン・ジョバンニ」にしても「魔笛」にしても、あまり丁寧に聴いていない。そもそもオペラは別の脚本家がいる。そのオペラ脚本の思想と表現を、作曲家の思想として取り上げるのはどうなのだろうと疑問を抱きもした。しかしこの書物を道案内に、書斎のオーディオで久しぶりに「レクイエム」や「ジュピター」などを聴き直してみた。(戒能信生)

 

2020年12月27日 午前10時30分

降誕節第2主日礼拝(No39

      司式 梅本 順子

    奏  黙 想        奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  3

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・113-120

(サメク)

讃 美 歌  282

聖書朗読  イザヤ書60・1-5

      ルカ福音書2・22―38

祈  祷

讃 美 歌  180

説  教  「シメオンの賛歌」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  366

使徒信条  (9341A

献  金                萩原 好子

報  告

頌  栄  51

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

礼拝後、入門講座「サクラメントとは何か」戒能牧師

・お茶の会は、感染拡大を避けるためしばらく見合わせています。

・週報等発送作業

2020年12月19日土曜日

 

牧師の日記から(297)「最近読んだ本の紹介」

徐正敏『日韓関係論草稿 ふたつの国の溝を埋めるために』(朝日撰書)著者の徐正敏さんは、明治学院大学の教員で、1956年生まれの日韓キリスト教史の研究者。昨年出版された『協力と抵抗の内面史』の共同研究者だった。朝日新聞の言論サイト『論座』に連載したエッセーをまとめたもので、著者より贈呈されて一読した。副題に示されるように、歴史的に最も冷え込んでいるとされる日韓関係の「溝を埋めるために」、歴史的な史実や著者が経験した様々なエピソードを紹介している。例えば100年前の三・一独立宣言に、「日本を責める論調」がないことや、徹底した非暴力抵抗運動だったという指摘は改めて考えさせられた。

蔭山宏『カール・シュミット』(中公新書)ナチス・ドイツのイデオローグとして知られる政治学者カール・シュミットの再評価については、キリスト教神学との関連でもしばしば取り上げられる。タウベスの『パウロ神学』の中でもシュミットとの不思議な対話が出てくるし、丸山眞男が「最も尊敬する敵」としたとも言われている。政治思想に対する前提が私に備わってないためだろうか、本書を読む限りでは、どうもよく分らないというのが率直な感想。前期シュミットと後期シュミットを分けて考える向きもあるようだが、その後半生は結局は自己弁明と自己正当化に終始したとしか私には思えなかった。どうしてシュミットが「マックス・ヴェーバー以降の最大の政治思想家」と言われるのか謎としか言いようがない。

松本宣郎『キリスト教徒大迫害の研究』(南窓社)ローマ史・キリスト教史の研究で知られる著者の学問的な著作で、7,200円もする専門書。教会の印刷室で見つけて目を通した。見返しに寄贈者として「熊谷裕子」とある。たまたま川島貞雄先生が訳したシュタウファーの『キリスト教とローマ皇帝たち』を読んでいるので関連を調べてみた。しかしこの本にはシュタウファーの著作は取り上げられていないようだ。ところで以前から不思議に思っていたのだが、この国の優れたローマ史研究者の中には、秀村欣二、土井正興、弓削達、そして松本宣郎とキリスト者が多い。

島薗進『新宗教を問う 近代日本人と救いの信仰』(ちくま新書)著者は日本宗教学のトップランナーで、私もこの人の著作から多くを学んで来た。この新書は小さな書物だが、新宗教をめぐる著者の多岐にわたる研究を集大成したような内容で、私自身の「日本宗教史」の講義に大いに参考になる。ことに、オウム真理教以降の新宗教をめぐる状況を取り扱った最後の部分で、スピリチュアリティー(霊性)ヘの流れを取り上げている。そこでは、水俣病患者の一人の女性の証言を通して、「救済」に代わる新しい霊性のサンプルを提示していると言える。それは、もはや宗教の枠を越える新しい宗教の可能性をイメージしているようだ。因みに、高倉徳太郎が晩年入院していた東大病院島薗内科は、著者の祖父島薗順次郎のことだそうだ。昨年島薗さんの講演を聞いたとき、直接確認した。(戒能信生)

2020年12月13日日曜日

 

2020年12月20日 午前10時30分

降誕節第1主日合同礼拝(No38

      司式 大森 意索

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242(4節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・105-112(ヌン)

讃 美 歌  258

聖書朗読  イザヤ書9・1-6

      ルカ福音書2・1―21

祈  祷

讃 美 歌  252

説  教  「飼い葉桶の救い主」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  255

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・野口倢司、大森意索

讃 美 歌  79

献  金                 齊藤 織恵

報  告

頌  栄  25

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

礼拝後、クリスマス祝会(司会・大森意索)教会学校生徒の絵本、各奉仕者への感謝、集合写真(戸外)、千代田教会アンサンブル演奏、サンタクロース登場(12:45で終了予定)

2020年12月12日土曜日

 

牧師の日記から(296)「最近読んだ本の紹介」

小松栄三郎『小さき群れなれど』(勝どき書房)条谷泉さんから頂いて一読した。最初期の日本聖公会の司祭・飯田栄次郎の伝記。幕末期、小録の御家人の次男に生れ、幕府の陸軍講義所でフランス式軍事訓練を受け、明治政府の鎮台附教官として陸軍少尉に任官するが、西南戦争に従軍する直前にキリスト教に触れて退官し、生涯を伝道に尽くした人。様々な困難と迫害の中で、成田の近くの農村に現在も続く日本聖公会福田教会を創立した。「汝の敵を愛せよ」という聖句に打たれて回心したという。陸軍講義所時代に勝海舟と交流があったようで、聖句を書いた海舟の書がこの教会に伝えられているという。勝海舟がクリスチャンになったかどうかは議論のあるところだが、宣教師との交流などの事情にも触れられている。

三浦綾子『われ弱ければ 矢嶋楫子伝』(小学館)女子学院の初代校長を務め、長きにわたって基督教婦人矯風会の会頭を担い、明治期の代表的な女性キリスト者であった矢嶋楫子のことを調べている。私の日本キリスト教史の授業で取り上げる人物が男性に偏っているので(圧倒的な資料不足がその理由)、女性のキリスト者たちを取り上げたいと以前から考えていた。そこでこの人の資料を探し始めたのだが、三浦綾子の小説が示すように、矢嶋楫子の人となりを示すエピソードは様々に伝えられているが、その信仰理解を示す資料が限られるのが悩み。ただ楫子は、新島襄よりも10歳年長で、明治期のキリスト教界の最長老の一人だった。徳富蘇峰・蘆花兄弟の叔母に当たり、その入信の経緯や教育者として、また女性運動家としての歩みが興味深いのだが…。

『岡村民子著作集Ⅰ、Ⅱ』(新教出版社)同じく、女性神学者として「聖書聖典論」を展開し、婦人会連合の聖書研究に甚大な影響を与えた岡村民子についても調べている。ところが、この人の個人史的な事情が全く判らないので困っている。渡辺善太の薫陶を受け、この国の女性神学者としては随一の人なのだが、生涯独身であったこともあり、身辺のことが全く知られていないのだ。時間をかけてじっくり調べていこうと考えている。

ベネディクト・セール『キリスト教会史100の日付』(白水社文庫クセジュ)キリスト教史の中から、100の項目を取り上げて、その年代順に解説しくれる。連綿と続く教会史の叙述ではなく、いわば2000年の歴史から100のトピックを選ぶと、歴史の流れが俄然立ち上がる感がある。著者はフランスの中世史研究者なので、カトリックの視点を学ぶことができる。

マイケル・コナリー『素晴らしき世界 上下』(講談社文庫)私が読んできたミステリーで、まだ作者が現役なのはこの人くらいしかいない。「刑事ボッシュ」シリーズの最新刊で、警察を退職した主人公が、若い女性刑事とコンビを組んで未解決事件に取り組む新しいシリーズの一冊。年をとって身体のあちこちにガタがきたロートルの元刑事の活躍に、自分を重ね合わせて楽しみながら読んだ。(戒能信生)

2020年12月6日日曜日

 

2020年12月13日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No37

      司式 常盤 陽子

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242(3節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・97-104(メム)

讃 美 歌  178

聖書朗読  サムエル記上2・1-11

      ルカ福音書1・39―56

祈  祷

讃 美 歌  236

説  教  「マリアの賛歌」

     戒能 信生牧師

讃 美 歌  175

使徒信条  (9341A

献  金                 西村 正寛

報  告

頌  栄  25

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校 お話・野口洋子、奏楽・戒能直子

礼拝後、お茶の会(感染症の拡大を考慮し、当分お茶とお菓子は控えることとします。会堂の後ろに麦茶と紙コップを用意してありますので、必要な方はご利用ください。)

・聖書を読む会(於・礼拝堂)担当・鈴木志津恵(ルツ記14章)

・クリスマス・カードにご署名ください(印刷室に用意してあります)。

2020年12月5日土曜日

 

牧師の日記から(295)「最近読んだ本の紹介」

尾崎眞理子『大江健三郎全小説解説』(講談社)著者は読売新聞の文芸部記者として、既に大江健三郎への長時間にわたるインタビューをもとに『大江健三郎 作家自身を語る』を書いている(確か、以前にこの欄でも紹介した)。今回のこの大著は、講談社から刊行された『全小説集』15巻に掲載された詳細な「解説」を一冊にまとめたもので、500頁を超える力作。それぞれの作品が書かれた時代背景とその中での大江の小説の位置を解説し、その作品の紹介に留まらず、厳密な書誌的な検証を施し、同時代の作家や評論家たちの書評にも広く目を配り、海外の読者たちの反応も含めて、大江の小説がどのように読まれ、評価され、あるいは批判されてきたかを精密に追っている。私は大江の出身地の近くで育ち、高校時代の担任教師が大江と高校時代の同級生だったこともあって、学生時代からかなり熱心にこの人の小説を読んできたつもりだった。しかし本書を通して、読み逃していた小説がいかに多いかに改めて気付かされた。さらに、いつ頃から私が大江の作品を読まなくなったのか、そしてそれは何故なのかについても、改めて考えさせられた。1994年に大江がノーベル文学賞を受賞してから、私はエッセー等を除いて、この作家の特に長編小説の読者ではなくなったのだ。著者の詳細な解説によって、その後の大江の長編小説の歩みに改めて眼を開かれる想いだった。日本文学に固有の私小説の伝統を断固として拒否した大江は、しかし一連の長編小説で「私小説的」に時代の問題と取り組んでいるという。それは文豪とか大家という位置に後退するのではなく、常に世界と時代の問題と格闘し、しかもそれを自分自身の人生に絡めて考え続けて来た軌跡を示している。いつかドストエフスキーの小説を読み直してみようと考えているが、それに大江健三郎の長編小説を加えなければならないようだ。

高野秀行・清水克行『ハードボイルド読書合戦』(集英社文庫)辺境をめぐる冒険家と中世日本史の研究者が、定期的に読書会をした記録。そこで取り上げられている本が興味を引かれたので目を通した。特にイブン・バットゥータの『大旅行記』の項は興味津々だった。バットゥータは14世紀に当時のイスラム社会の全域を踏破した大旅行家で、東洋文庫で全8巻にもなる稀代の大作で、もちろん私は読んでいない。これもいつか挑戦したいと考えているのだ。それともう一つ、ダニエル・エヴェレットの『ビダハン』も取り上げられている。この本は、アマゾン奥地の少数民族ビタハンに宣教師として乗り込んだ言語学者が、ビタハンの言語を習得して行くうちにむしろ西洋文明とキリスト教信仰そのものを疑うようになり、信仰も相対化されていった経験が紹介されており、社会学者の見田宗介も注目していた。宣教論との関連でもきわめて注目すべきもので、それがこの二人にどのように読まれているのかに関心をもった。農耕文化が支配的になる以前の、採取狩猟生活の意味を改めて考えさせられる。(戒能信生)