2019年12月29日日曜日


2020年1月5日 午前10時30分

降誕節第2主日礼拝(No39

      司式 鈴木志津恵 

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  58

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編80・1-29(着席のまま)

讃 美 歌  148

聖書朗読  詩編100・1-5

祈  祷

讃 美 歌  393

説  教  「全地よ、主に向かって喜びの叫びをあげよ」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  368

使徒信条  (9341A

献  金              戒能 直子

報  告

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2019年12月28日土曜日


牧師の日記から(246)「最近読んだ本の紹介」

大澤真幸編『戦後思想の到達点 柄谷行人・見田宗介が自身を語る』(NHK出版)柄谷行人と見田宗介は、存命の思想家の中で、私が最も信頼している研究者と言える。それぞれの著作をかなり以前から読んできたが、この二人を交差して考えたことはなかった。それぞれ全く独自の世界を構築しているからだ。本書は、この二人の思想的巨人に大澤真幸が率直に切り込んで、それぞれの思索の足跡を解説してくれる。二人の著作はいずれもかなり難解で、正確に読み取れているか覚束ないところがあるのだが、編者である大沢真幸のインタビューによってそれぞれの問題意識の推移を辿ることができる。宗教、あるいはキリスト教の未来について、私が読み取った点を紹介してみよう。

柄谷行人の交換論は、カール・マルクスの『資本論』を再解釈して、人類史を次のように読み解く。すなわち「互酬の時代A=ネーション」を解体して、「略奪と再配分の時代B=国家」、「貨幣と商品の交換の時代C=資本」と整理する。そしてさらに未来社会を「交換D」として、新たな互酬の世界を構想しなければならないとする。そしてその「交換D」の世界を支える思想として、普遍宗教を想定している。その意味で柄谷の場合は、宗教に対する一定の評価と期待が見られるのだ。(柄谷行人『交換様式とマルクスその可能性の中心』(文学界12月号)

一方で社会学者の見田宗介は、特にその最後の部分で、これからの社会がどうなるかを大胆に予測している。現代社会は1970年前後で人類史的な人口転換に達したという。すなわち人類の爆発的な増殖期が収束し、安定した平衡期へと移行して来ていると分析する。この急激な人口増が始まった時期を、見田はカール・ヤスパースを援用して紀元0年前後の「軸の時代Ⅰ」と見る。それは都市化と貨幣経済によって始まったが、その「軸の時代Ⅰ」に対応してギリシア哲学やキリスト教、仏教などの普遍宗教が始まったと見る。そしてこの急激な人口増が、資源を消費し尽くして既に臨界点に達し、これ以降の人類は滅亡への道を辿るのか、それとも安定した平衡期へと軟着陸するかの岐路に立たされていると見る。そしてこの新しい「軸の時代Ⅱ」の思想や宗教のあり方も変容を迫られるというのだ。それは「天国や地獄というものが存在するという信仰に依存することなしに、この有限性としての生を歓びに充実した生として生きることを支える思想でなければならない」と見田は大胆に予測する。つまり宗教の役割についてかなり否定的な観方を提示しているのだ。

実際に先進諸国では宗教(キリスト教)の位置は大きく変容し、日本でも宗教は実質的に衰退の一途を辿っている。そこに環境問題が切迫している。「生態破壊、環境破滅の脅威こそ、私たちの時代の最も重要な宗教的な課題ではないか。最早自らのメンバーの拡大に固執することではない。どれほど多くの宗教が、未だに生命そのものの複合的なサバイバルに専念するのではなく、自分自身の組織的サバイバルに専念していることだろうか。(L.Boff)(戒能信生)

2019年12月22日日曜日


2019年12月29日 午前10時30分

降誕節第1礼拝(No38

      司式 野口 倢司 

    奏  黙 想        奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  20

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編79・1-13(着席のまま)

讃 美 歌  521

聖書朗読  士師記11・1-11

祈  祷

讃 美 歌  534

説  教  「士師エフタ」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  530

使徒信条  (9341A

献  金              岡﨑 大祐

報  告

頌  栄  87(13節)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(冬休み)

礼拝後、お茶の会

2019年12月21日土曜日


牧師の日記から(245)「最近読んだ本の紹介」

川添愛『聖者のかけら』(新潮社)13世紀の半ば、新興の托鉢修道会フランシスコ会とドミニコ会の競合を背景に、アッシジの聖フランシスコの遺体の行方をめぐる歴史ミステリー。ウンベルト・エーコの傑作『薔薇の名前』以降、中世カトリック教会や修道院を舞台としたミステリーが盛んに書かれるようになった。しかし当時の修道院同士の葛藤や教理論争についての理解が不十分で、リアリティーを持たないものが多い。その点で、本書は清貧を重んじたフランシスコと、その没後のフランシスコ会の興隆との矛盾、さらには当時の聖遺物信仰などを巧みに織り込んだ見事なミステリーになっていて、興味深く読まされた。

永田圭介『あまつましみづ 異能の改革者永井えい子の生涯』(教文館)。我が国で最も親しまれている讃美歌の一つ「あまつましみず」(21-404)を作詞した永井えい子の評伝。彼女が女性記者の草分けとして、足尾鉱毒事件のルポルタージュを『毎日新聞』に連載したことや、その後アメリカに渡り結婚、実業の世界で活躍したことなど、本書で初めて知ることが多い。明治期に渡米して、帰って来なかった日本人クリスチャンのことはほとんど知られていない。

原武史『「松本清張」で読む昭和史』(NHK出版新書)この著者の天皇制についての著作にはほぼ目を通しているが、著者の趣味である鉄道と天皇制を軸にして、松本清張が描いた昭和を縦横に論じていて面白かった。特に清張の遺作『神々の乱心』が取り上げた宮中におけるシャーマニズムの名残りについて、象徴天皇制の中に潜む宮中祭祀の危険性として指摘している。

礫川全次『日本人は本当に無宗教なのか』(平凡社新書)著者は在野の歴史研究者で、明治政府の宗教政策がこの国独特の宗教意識(国民の大多数が自らを無宗教と自認する)の骨格を形成したとしている。いわゆる宗教学の専門家でないこともあって、これまで取り上げられてこなかった資料や歴史的事象をいくつも紹介していて、大変勉強になった。例えば、内村鑑三の不敬事件を批判した帝国大学教授井上哲次郎が、晩年に神権天皇制に対する筆禍事件を引き起こしてすべての公職を追われた事情を丹念に掘り起こしていて参考になった。

森本あんり『キリスト教でたどるアメリカ史』(角川ソフィア文庫)『反知性主義』に先立って書かれているが、文庫化されたのを機に読み直してみた。この国のアメリカ研究の多くは、キリスト教抜きの視点からなされる場合が多い。しかし近代国家でアメリカ合衆国ほど宗教的な国はないと言える。その背景を、ふんだんに資料を用いて説得的に説明してくれる。例えばリンカーンの第二次大統領就任演説に散りばめられた聖句を見てもそれが分かる。激しい内戦によって膨大な犠牲を出した南北戦争を神の怒りの鞭と受け止め、「今なお『主の裁きは真実にしてことごとく正しい』(詩編199)と言わなければなりません」と言明しているのだ。(戒能信生)

2019年12月15日日曜日


2019年12月22日 午前10時30分

クリスマス主日合同礼拝(No37

      司式 橋本  茂 

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編77・1-21(着席のまま)

讃 美 歌  255

聖書朗読  ゼカリヤ書2・14-17

      マタイ福音書1・1-17

祈  祷

讃 美 歌  267

説  教  「隠された暗号

          イエス・キリストの系図」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  258

使徒信条  (9341A

転入会式  西川 穂

聖 餐 式    配餐・野口倢司、高岸泰子

讃 美 歌  81

献  金              大森 意索

報  告

頌  栄  87(13節)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

礼拝後、CS生徒による「5つのおくりもの」、奉仕者への感謝、集合写真撮影、愛餐会、千代田教会器楽アンサンブル演奏(荒井眞・久美子、梅本和義)、クイズ大会(松野名誉牧師、橋本茂)、サンタクロース登場(2:00閉会予定)


2019年12月14日土曜日


牧師の日記から(244

128日(日)アドベント第2主日礼拝。使徒言行録12章の講解説教「使徒たちの苦難」。ヘロデ・アグリッパ王によるエルサレム教会への迫害によって、ヨハネの兄弟ヤコブが斬殺され、ペトロも逮捕される。このような政治的な弾圧に対して教会は全く無力で、「教会では彼のために熱心な祈りがささげられていた」と記されるのみである。以下、ペトロが天使の介入によって解放される伝承が紹介されている。使徒言行録には何度か牢獄からの解放の奇跡が紹介されているが、それは初代教会の迫害状況を背景にしているのだろう。この獄からの解放の奇跡伝承は、同じような迫害下にある人々を励ますためのものだったろう。戦時下の救世軍やホーリネス教会の弾圧でも同じことが繰り返されている。

9日(月)夕方新宿のメガネ屋さんに立ち寄り、新しい眼鏡を受け取る。最近辞書などの小さな文字が読みづらくなり、多少は効果があるといいのだが。そのまま目白の日本聖書神学校で授業。この日は由木康の生涯を取り上げる。

10日(火)同人誌『時の徴』のために、11月の西中国教区教師研修会での講演「教団の宣教論の推移と課題」を整理して送稿。井上良雄先生の小説教もノートから起こして送る。夜は早稲田奉仕園での山口里子さんの新約ゼミに参加。マルコ福音書435節以下の「嵐を静めるイエス」の伝承が、アメリカのイエス・セミナーでは一致してマルコの創作と見做されているという。しかしまるまる創作とは考えにくいのではないか。何らかの伝承がもとにあったと想定するのだが。

11日(水)午前中、聖書を学び祈る会。列王記上17章以下の預言者エリヤの伝承を取り上げる。祭司たちが王の絶対権力の下で無力化されたのに代って、預言者たちが立ち上がり、活発な批判活動を始める。『羊の群』のために、永眠者記念礼拝の説教と北支区の学習会での講演「ホーリネス弾圧と日本の教会」の原稿を送稿する。後は、明日の講座のための準備とレジュメの作成。

12日(木)昼前からキリスト教会館へ行き、NCAの事務処理。ついでに謝恩日献金や台風被害のための対外献金を担当者に手渡しする。午後、連続講座「日本キリスト教史を読む」の最終講義。50人以上の参加者で会場は満杯状態。この講座を3年間続けて来て、この日が最終回。その後、参加者の有志でお茶の会があり、皆さんからいろいろな感想やご意見を伺う。最初の時期の講座を聞き逃した人たちから補講やアンコール開講の要望があった。どうしたらいいだろうか。

13日(金)この日は在宅日で、少しのんびりする。私たち家族からのクリスマス・カードに署名をする。故・雨宮栄一先生の書斎から見つかった遺稿について、新教出版社から出版することになる。来年前半はその校訂作業に追われることに。

14日(土)午前中、聖書と人間を考える会。西村正寛さんの「ボタ山での少年時代」の話を聞く。聖書研究はエレミヤ書4章で、既に紀元前7世紀に自然破壊についての記述があることが注目される。ただ預言者の裁きの預言について、翻訳上の議論があることを紹介する。午後は、説教の準備や週報作り。(戒能信生)

2019年12月8日日曜日


2019年12月15日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No36

      司式 高岸 泰子 

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242(123節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編76・1-13(着席のまま)

讃 美 歌  236

聖書朗読  マラキ書3・19-24

      使徒言行録13・1-12

祈  祷

讃 美 歌  240

説  教  「海外伝道へ」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  514

使徒信条  (9341A

献  金              梅本 順子

報  告

頌  栄  87(13節)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会(クリスマス・カードに一言添えて署名してください。今日で署名は締め切りです。)

牧師の日記から(243

121日(日)アドベント第1主日礼拝。使徒言行録11章の講解説教「キリスト者と呼ばれて」。イエス・キリストの福音はシリア州の州都アンティオキアにまで及び、このヘレニズム的国際都市に教会が生まれる。そしてその信徒たちは、周囲からXristianoiと呼ばれた。「キリスト者」という呼び名は、もともとは周りの人々から投げつけられたあだ名というか蔑称であったようだ。100年ほど前、ローマ市の道路工事の際、地下の遺構から粗雑な落書きが見つかった。そこには十字架が描かれ、「アレクサメノス、その神を拝む」と乱雑な字で彫り込まれていた。それは美術的・考古学的には全く価値のない悪戯書きに過ぎないが、紀元3世紀にアレクサメノスという奴隷のキリスト者がいて、仲間たちから馬鹿にされたり揶揄われたりしていた様子が伺われる。「福音を恥としない」という逆説的な表現は、そのことを指しているのだろう。礼拝後、アドベント全体祈祷会、長老会と続く。西川穂(みのる)さんの転入会が承認された。また新しい仲間が加えられたことを喜びたい。夜は羊子の誕生祝いで、家族で一緒に食事。

2日(月)午後、日本聖書神学校の図書館で、故・雨宮栄一牧師の著作目録に追加するための調べ物。『教団新報』の執筆記事を検索して16件追加できた。夜はそのまま授業で、賀川豊彦の生涯について講義。

3日(火)午後、門前仲町の雨宮美枝子さん宅を下田洋一牧師と共に弔問する。雨宮先生の書斎に案内され、著作目録に追加する論稿を数点見つける。残された書籍の中からドイツ教会闘争関係の貴重な文献は、農村伝道神学校に寄贈することを相談する。しかしその選別が厄介ではある。もう一つの問題は、雨宮牧師が書き残した反ナチ抵抗運動クラウザウ・グループについての遺稿。未定稿ではあるが、目次や序文、文献表等、基本的な原稿は揃っている。この原稿を整理して、出版すべきがどうかを編集者と協議しなければならない。

4日(水)午前中、聖書を学び祈る会。列王記上16章を取り上げる。ヤラベアム王没後の北王国の政治体制が記されている。軍部が実権を握り、度重なる軍事クーデターによって政情不安が続く状況が読み取れる。午後、雨宮牧師の著作目録を一応仕上げて、『賀川豊彦研究』の追悼号のためにメールで送稿。

5日(木)朝早く新幹線で軽井沢へ。養護施設沓掛学荘の職員礼拝で奨励。午後、佐久平の老人施設に保志治子さんを見舞う。お元気そうで、白内障の手術がうまく行って喜んでおられた。今日の聖書個所を読み祈る。夕方の新幹線で帰宅。

6日(金)午前1030分からの支区連合祈祷会に出席するため、根津教会へ。関東大震災以前に建てられたヴォーリスの建築。午後は早稲田教会で、関西から上京した神田健次先生たちと来年3月の神学生交流プログラムの打ち合わせ。

7日(土)午後から信濃町教会での北支区クリスマス音楽祭に出席。合唱あり、器楽演奏ありで楽しいプログラムだった。帰宅して週報や長老会報告などの作成と説教の準備。今週も少し忙しかったが、健康が支えられて感謝。(戒能信生)

2019年12月2日月曜日


2019年12月8日 午前10時30分

待降節第2主日礼拝(No35

      司式 常磐 陽子 

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242(12節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編75・1-11(着席のまま)

讃 美 歌  229

聖書朗読  イザヤ書2・1-5

      使徒言行録12・1-24

祈  祷

讃 美 歌  235

説  教  「使徒たちの苦難」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  531

使徒信条  (9341A

献  金              内山 央絵

報  告

頌  栄  87(13節)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校 お話し・野口洋子、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会(クリスマス・カードに一言添えて署名してください。)

・聖書を読む会(民数記2711036113担当・常盤陽子)

15:00 北支区按手礼式(信濃町教会)

2019年11月30日土曜日


牧師の日記から(242

1124日(日)主日礼拝。士師記7110の講解説教「士師ギデオンと300人の勇士」。旧約聖書では人数はしばしば誇張されることが多い。ところがこのテキストでは、ミディアン人たちの襲来に対して各部族から招集された兵士を選抜し、最後には300人しか残らなかったと伝えている。食料や武具などを用意できたのは精々300人分程度であったからだろう。しかしこのわずか300人によって、ミディアン人を撃退したというのだ。今から100年程前、ウィスコンシン州の小さなホテルで偶然同室になった二人のセールスマンが、お互いがクリスチャンと知って共に祈り、ここからホテルや刑務所、学校などへの聖書頒布を目的とするギデオン協会の働きが始まったとされている。しかしその発会式にはたった三人しか集まらなかった。それでこの士師記の故事から「ギデオン協会」と命名されたという。私たちの教会も、その小ささ、少なさの現実からもう一度希望をもって歩みだそう。夜は、明日の月曜会の発題の準備。

25日(月)午前中、月曜会で東駒形教会へ。大貫隆『終末論の系譜』の13章について発題する。夕方、新宿のメガネ屋さんに寄り、眼鏡を新調する。これまで使ってきたものが、コーティングが剥がれ見えにくくなっていたのだ。その足で聖書神学校へ。この日は賀川豊彦の生涯について講義。

26日(火)午前中、賛育会病院の内科の定期検診。インフルエンザの予防注射もしてもらう。夜は北支区連合祈祷委員会。先日亡くなった雨宮栄一牧師の著作目録の作成に取りかかる。結構大変な作業だが、雨宮先生の関心の拡がりが分る。

27日(水)午前中、聖書を学び祈る会で列王記上15章を取り上げる。歴代誌との異同を見ながら、北王国と南王国との分裂後の歴史を追う。午後、NCAの聖書講座に参加。その後、鬼子母神前の割烹で上林先生にご馳走になる。帰宅後は、著作目録作成の作業。結構な分量になりそうだ。長老会のアジェンダ作りも。

28日(木)午後からNCAの事務所で事務仕事。夜は「災害におけるエキュメニカルな支援を考える」集会で、主催者として挨拶。このところ各地の自然災害が続き、それぞれ教派を越えた支援活動が展開されている。熊本地震や昨年の西日本豪雨による岡山の被災地支援などに関わった人々が集まり、それぞれの経験から情報を交換した。率直に言えば、福音派の牧師たちが積極的に活動しているのに、我が日本基督教団の取り組みが不十分だという印象がある。

29日(金)野口さん作成のクリスマス・カードに宛名書きと署名。夜は、NCAのプログラム「ジャーナリストにその本音を聞く」で、元・毎日新聞の佐々木宏人さんの話を聞く。昭和20818日に暗殺された戸田帯刀神父の事件について、改めて詳しく紹介してくれた。カトリック教会は300年前の殉教者たちの列福には熱心だが、70年前の殉教者が放置されたままなのは何故か。戦時下に妥協し屈服した教会の実態があぶり出されるからだという。貴重な機会だったのに、参加者が少なくて講師に申し訳ないし、残念だった。(戒能信生)

2019年11月24日日曜日


2019年12月1日 午前10時30分

待降節第1主日礼拝(No34

      司式 大森 意索 

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-12

讃 美 歌  242(1節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編74・1-23(着席のまま)

讃 美 歌  241

聖書朗読  イザヤ書52・1-10

      使徒言行録11・1-30

祈  祷

讃 美 歌  242

説  教  「キリスト者と呼ばれて」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  528

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「台風の被害に遭った教会

      を覚えて」       茨木 啓子

報  告

頌  栄  85(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会(クリスマス・カードに一言添えて署名してください。)

・定例長老会

牧師の日記から(241

1117日(日)主日礼拝。使徒言行録1034-48の講解説教「神は差別しない」。ペトロは、百卒長コルネリウスの家に集まった人々に「神は人を差別しない」と宣言する。その時、これら異邦人たちの上に聖霊の風が吹いたという。こうして、ユダヤ民族宗教の枠を越えるイエス・キリストの福音宣教が始まったと使徒言行録は伝えている。礼拝後、フルート・アンサンブルらふぁえるのミニ・コンサート。いつも第4日曜日の午後、千代田教会を練習会場として使用してくれているのだ。ジブリ映画の楽しい曲や、練習を重ねたブランデンブルグ交響曲、それに石井房恵さんたちのオカリナ演奏も披露された。近隣の人や通りがかった人まで参加してくれて会堂は満杯状態。楽しい一時だった。

18日(月)午後、霊南坂教会での東京同信会研修会に参加。隠退された上林順一郎牧師の講演を聞き、いろいろ考えさせられた。その足で、目白の神学校へ。この日は受講生たちの高倉徳太郎についてのリーディング・レポート。

19日(火)午前中、神学読書会。この日からハルナックの『キリスト教の本質』を読み始める。武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な紹介と発題。出席は牧師8名、信徒2名の計10名。午後、元・毎日新聞の記者佐々木宏人さんが来られる。再来週のNCAのプログラム「ジャーナリストにその本音を聞く」の打ち合わせのため。1945818日、すなわち終戦の三日後に何者かに銃殺された戸田帯刀神父の事件の真相を徹底的に追跡した『封印された殉教』の著者でもある。最近の各新聞の宗教報道の問題や、大嘗祭についての報道、来日されるローマ教皇のことにまで話しが及ぶ。夜は九段教会での連合祈祷会に出席。戸山教会の西谷幸介牧師の奨励に感銘を受けた。祈りは求めであり、叫びなのだと勧められた。

20日(水)午前中、聖書を学び祈る会。列王記上14章を取り上げる。北王国イスラエルと南王国ユダの分裂後の王たちの統治と、特にその宗教政策を申命記記者は批判的に記録している。田沼大典さんが大田区から自転車で来て出席してくれた。この日は外出せず、書斎でのんびり本を読む。12月の予定表の作成。

21日(木)午前中、四ツ谷駅前の眼科で緑内障の定期健診。視野検査や眼底検査など。進行は抑えされており、眼圧を下げる点眼で様子を見ることになった。その後、郵便局に行き、振り込まれた献金や『時の徴』の購読料の払い出し手続き。この日は西早稲田のNCA事務所に行くのはさぼり、自宅で仕事。

22日(金)来週の月曜会での発題のため大貫隆著『終末論の系譜』のヨハネ福音書の部分について調べて、発題のレジュメを作成する。午後は、北支区報『北斗星』のバックナンバーを読み直して、1991年から93年の時期の支区の課題についてのメモの作成。夜、エパタ教会での支区宣教研究委員会で発題。

23日(土)午後、信濃町教会での支区社会委員会の「大嘗祭をどう見たか」に参加。30年前とはかなり様相が違う。しかしやはり明白な神道祭儀を公的行事として国費を支出する問題は残る。教会は声をあげなければならない。(戒能信生)

2019年11月17日日曜日


2019年11月24日 午前10時30分

収穫感謝合同主日礼拝(No33

      司式 鈴木志津恵 

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  16

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編73・1-28(着席のまま)

子どもの祝福       

讃 美 歌  396

聖書朗読  士師記7・1-8

祈  祷

讃 美 歌  369

説  教  「勇者ギデオンと300人の仲間」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  464

使徒信条  (9341A

献  金             石井 房恵

報  告

頌  栄  85(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 



【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後、お茶の会

CS教師会

・週報等発送作業

・らふぁえる練習

牧師の日記から(240

1110日(日)主日礼拝。使徒言行録10133の講解説教「それは夢から始まった」。カイサリアの町のローマの百卒長コルネリウス見た夢、近くの町ヤッファに滞在してたペトロの夢。この二つの夢が結びついて、異邦人への伝道が始まったという伝承。旧約聖書にもいくつもの夢が語られている。逃亡の旅の途中で石を枕にしたヤコブの見た夢、その息子ヨセフの見た夢、さらに現代でも、例えばマルティン・ルーサー・キングのワシントン大行進の有名な演説「I have a dream」がある。夢は絶望の淵にある人を励まし奮い立たせる。しかし私たちはいつしか夢を見なくなっている。見たとしても、すぐに忘れてしまう。夢や幻から、何事かが始まるのではないだろうか。礼拝後、聖書を読む会では直子さんの発題で、モーセの妻ミリアムを取り上げる。夜は明日からの出張の準備。

11日(月)朝、バスタ新宿から高速バスで羽田に行き、広島への日航機に乗る。山の中にある広島空港は初めて。迎えに来てくれた甲山教会の梅崎須磨子牧師の車で1時間半程走って、会場の「かんぽの郷庄原」に着く。この日から二泊三日で西中国教区教師研修会。開会礼拝に引き続き、講演Ⅰ「日本基督教団の宣教論の推移と課題」。出席した30数名の牧師たちがよく聞いてくれた。12年前にもこの教区の教師研修会に来ているが、牧師たちの顔ぶれがかなり変わっている。30歳前後の若い牧師たちが多い。世代交代が進んでいるのだ。しかし地方の教会もまた、教勢の停滞と信徒の高齢化の中で悩んでいる。講演を終えてゆっくり温泉に入り、夜は若い牧師たちと懇談。

12日(火)午前中、講演Ⅱ「西中国教区と新しい宣教論の模索」。講演の責任を終えてホッとする。午後は自由時間で、何人かの牧師たちと名物の蕎麦を食べに行き、その後、紅葉の山々を見ながらドライブ。久しぶりに自然に囲まれてのんびりする。特に観光地でもないのだが、紅葉の山々を満喫する。夜も温泉にゆっくり入り、牧師たちと楽しく懇親。これが研修会の醍醐味ではある。

13日(水)お昼で研修会は終わる。古くからの友人・盛谷祐三牧師や荒川純太郎牧師も参加してくれて、ゆっくり話せたのが嬉しかった。また梅崎牧師の車で空港まで送ってもらい、夕方帰宅。溜まっているメールや手紙の処理をし、明日の講演の準備をして、さすがに疲れたので、早々に寝てしまう。

14日(木)午前中、西早稲田のキリスト教会館に行き、NCAの事務仕事。2時から連続講座「井上良雄とその時代」。井上先生については客観的に話すことはできない。あまりにも近すぎて、どうしても自分の主観が入ってしまう。40名余の参加者が熱心に聞いてくれた。講座のアンケートを取ったところ、アンコール開講の希望が多いのに驚く。3年も続いた講座なので、初めの頃の講義を聞いていない人も多いのは事実だが・・・。運営委員会で検討することとする。

15日(金)この日は一日在宅。頼まれていた短い原稿を苦労して書いて、メールで送稿。タイトなスケジュールも一息ついた感じ。(戒能信生)