2024年4月27日土曜日

 

 牧師の日記から(466

421日(日)主日礼拝。復活節に入っているが、読み残しているルカ福音書231-12の講解説教「ピラトの法廷」。総督ピラトの尋問に加えて、領主ヘロデの取り調べをこの福音書だけが付け加えている。イエスが、総督ピラト、領主ヘロデという政治的権力者と対峙したことが記される。私たちキリスト者は否応なく政治的局面に引きずり出されることがあるのだろう。「使徒信条」の「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という表現について、K・バルトが「聖なる場所に犬が迷い込んできたように」と揶揄しているが、私たちは政治と決して無縁でなく、好むと好まざるに関わらず政治的責任を負わされているのではないか。

22日(月)午前中は月曜会のため東駒形教会へ。この日は、大貫隆さんの『贖罪信仰の起源と変容』の最後の部分を、私が紹介する。原始キリスト教において「贖罪信仰」がどのように生まれ継承されたのかについて、精密な大貫仮説が展開されている。特に「贖罪信仰では罪は論理的にイエス・キリストの贖罪死よりも先にあり、後ろから来るそれによって贖われる。ところが存在の破れとしての罪はイエス・キリストの犠牲死と同時かつ一体である他はない。そこで伝統的な贖罪信仰の底が割れる」という説明には心から同意し感銘を受けた。これは私自身がE・ブルンナーの『我等の信仰』から読み取った贖罪信仰理解と通底するのだ。

23日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院で内蔵のエコー検査と胃カメラ検査を受ける。毎年この時期の慣例になっているが、取り敢えず癌等の存在は確認されないとのことでホッとする。

24日(水)午前中、キリスト教会館に行き、7階のテナントのことで関係者と折衝する。教会婦人会連合が退去するのに伴い、入居を希望する団体との交渉。厄介だがNCAの大切な収入源でもあるので看過できない。一連の経過を、京都の法人本部にメールで報告。

26日(金)午後、目白の聖母ホームに杉森澄子さんを訪ねる。この施設に入所されてから初めての訪問。感染症のため面会が制限されて来たが、ご主人の彰さんの了解を得てようやく面会が可能になった。車椅子の澄子さんは、思ったよりお元気そうで、ホームでの生活の具体的な困難や、その中で頑張っておられることを話してくれた。教会から送られる週報等を丹念に読んでおられて、この欄に私が紹介した書籍のいくつかを読みたいと所望される。次回にお持ちすることを約束した。聖母ホームは、都内の老人施設の中で最も評価の高い施設だが、医師として長年働き、自立心に富む澄子さんにしてみれば、規制ばかり多くて、患者本位になっていないということのようだ。これから時折訪ねることを約束する。帰りに日本聖書神学校の図書館に寄り、改めて会員登録をする。これまでは講師として制限なく利用できたのだが、講師を退任したので、年間2,000円の登録料を払って利用することになる。(戒能信生)

2024年4月21日日曜日

 

2024年4月28日 午前10時30分

復活節第5主日礼拝(No54

             司式 橋本  茂

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・81-88(カフ)

讃 美 歌  407

聖書朗読  ヨエル書3・1-5

祈  祷

讃 美 歌  388

説  教  「老人は夢を見、若者は幻を見る」

戒能信生牧師

讃 美 歌  346

使徒信条  (9341A

献  金               戒能直子                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

礼拝後、定期教会総会(ホールにて、軽食の用意があります)

・総会後、週報等発送作業

・らふぁえる練習(2:00~)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月20日土曜日

 

 牧師の日記から(465

414日(日)主日礼拝はルカ福音書2439-53の講解説教「焼き魚と復活の主」。各福音書の復活証言に濃厚に残っているガリラヤでの復活伝承が、ルカ福音書だけには省かれている。にもかかわらず、エルサレムで弟子たちに現れた復活の主が「焼き魚」を一切れ食べたという伝承が採用されている。ガリラヤ湖で獲れる魚を焼いて食べる習慣は、ガリラヤの日常生活を反映している。「福音はエルサレムから地の果てまで」という神学的枠組みを主張して、ガリラヤ復活伝承を排除したルカ福音書にして、「焼き魚を食べる復活の主」という伝承を採用せざるを得なかったのだろう。多様な復活証言から教会が出発したことを示唆している。隠退教師の上林順一郎先生が礼拝に参加されていた。礼拝後、オリーブの会で、インドネシアから一時帰国した西村正寛さんの「椰子の木に囲まれて」の報告を聞く。イスラム国であるインドネシアの日常生活が紹介された。午後、教会会計の決算を検算する作業を直子さんに、エクセルの表作成を羊子に頼む。会計の野口倢司さんにメールで送り確認。

15日(月)昼から学生時代の友人たちが集まって、一種の同窓会。この日は、いつものメンバー(桜井秀教、久保田文貞、板垣弘毅、岡安博)に加えて静岡から戸井雄二さん、横浜から塩野靖男さんも参加された。夕方の6時過ぎまで延々6時間以上も話し合って、飽きることがない不思議な時間。『時の徴』の校正が届いたので、修正してメールで送稿。

16日(火)午前中、神学読書会で並木浩一先生の『ヨブ記を読もう』を取り上げる。初回ということで、並木先生が長年取り組んで来たヨブ記研究の簡単な紹介と、並木ヨブ記論の特徴について私が発題する。出席者は5名。午後は、キリスト教会館に行き、柴崎聰さんの読書会「キリスト教と文学」に参加。この日は、ミヒャエル・エンデの『モモ』が取り上げられる。出席者は8名で少なかったが充実した時間だった。総会資料の編集担当の荒井眞さんから、校正が届き、一部誤植などを修正して返送する。92歳になる荒井さんに、総会資料作成をお願いするのは恐縮の限りだが、大変助かっている。『柏木義円研究8号』の再校が届き、チェックして校了とする。但し表紙の目次のフォントをもう少し大きくしてもらう。年寄りには字が小さ過ぎるのだ。

17日(水)午前中、聖書を学び祈る会は休会。この日、先日93歳で亡くなった大塩光子さんの告別式が町屋斎場であるが、失礼して遠くから光子さんを偲んで祈るときをもつ。お世話になった人々が次々に亡くなっていくのは寂しい限り。午後、桜の散った後の堀端を散歩。

18日(木)荒井眞さんから総会資料の最終稿が届き、印刷部数等を打ち合わせ。夜、会計監査をお願いしている向山功さん宅を訪ねて、最後の確認をしてもらう。月曜会での大貫隆さんの贖罪論についての紹介と発題の準備。精密な書物なので、要約するのに骨が折れる。(戒能信生)

2024年4月14日日曜日

 

2024年4月21日 午前10時30分

復活節第4主日礼拝(No53

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・73-80(ヨド)

讃 美 歌  298

聖書朗読  イザヤ書62・1-

      ルカ福音書23・1-12

祈  祷

讃 美 歌  297

説  教  「ピラトの法廷」

戒能信生牧師

讃 美 歌  300

使徒信条  (9341A

献  金              石井摩耶子                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

礼拝後、「私の愛唱聖句」高岸泰子

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月13日土曜日

 

 牧師の日記から(464)「最近読んだ本の紹介」

高階秀爾『エラスムス 闘う人文主義者』(筑摩選書)国立西洋美術館や大原美術館の館長を歴任した高名な美術史家である著者がエラスムスの評伝を書いたというので一読した。なんと半世紀以前、大学紛争の余燼冷めやらぬ時期に、ある雑誌に連載したものが元になっているという。著者があの時代の雰囲気の中でエラスムスに仮託して考えていたことを披瀝しているのだ。宗教改革の嵐が吹き荒れた時代に生きた稀有な人文主義者エラスムスの生涯を、その肖像メダルに刻まれた「CONCEDO NULLI(我、何者にも譲らず)」という標語を軸に読み解いている。エラスムスは、当時のカトリック教会の堕落を痛烈に批判し、ルターたち宗教改革者を評価するが、しかしそのどちらにも距離を置く独自の立場を貫こうとした。結果としてその両者から非難され、優柔不断、日和見主義者、卑怯者というレッテルを貼られて、孤立の内に死んだとされる。しかし著者は、そのエラスムスに自らの位置を重ねる。すなわち当時の学生運動の熱気に、正義を求める熱狂主義を見て、それに対してフマニストとして一定の距離を置こうとする。キリスト教や神学の立場からではなく、美術史の視点から、あえてエラスムスに自らを重ねようとしている。

和田春樹『回想 市民運動の時代と歴史家』(作品社)和田春樹さんは、ロシア史の専門的な研究者で、東大社会科学研究所の所長も務めた人。だが私たちの間では、ヴェトナム戦争反対の市民運動を共に担い、さらに韓国民主化闘争支援の運動を牽引した運動の仲間だった。この『回想』で取り上げられている時期、私は和田さんの活動範囲のすぐ近くにいて、会議でもしばしば一緒になったし、共にデモで歩いたし、何度も講演を聞いている。だから19671980年のこの時期の和田さんの活動の多くを、同時代人としての共感をもって読むことが出来た。そして難しい政治判断が求められた時の和田さんの誠実さを肌身で感じてきた。10年ほど前、池明観先生の感謝とお別れの会を主催したとき、シンポジストの一人に和田さんをお願いし、その時初めて個人的に言葉を交わした。私の質問「当時の市民運動の中で、さぞ忙しかったでしょうに、ロシア史の勉強を続けていましたか?」和田さんの答え「勉強していましたよ。」この本を読みながら、さもありなんと思わされた。

 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)吉本隆明の長女である漫画家のハルノ宵子が、晶文社刊の『吉本隆明全集』の月報に連載したものに、妹の作家吉本ばななとの対談を加えて一冊にしたもの。吉本主義者や吉本ファンの視点ではなく、家族の位置から最晩年の吉本の日常生活が率直に明かされている。吉本隆明という存在は、私たちの世代には一種神話化されているところがあるが、それを小気味がいいほど徹底的に解体してくれる。その上で、書いたものとその生活が重なっているという一点でこそ、父親を認め評価しているところがすばらしい。(戒能信生)

 

2024年4月14日 午前10時30分

復活節第3主日礼拝(No52

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・65-72(テト)

讃 美 歌  336

聖書朗読  イザヤ書61・1-

      ルカ福音書24・36-53

祈  祷

讃 美 歌  330

説  教  「焼き魚と復活の主」

戒能信生牧師

讃 美 歌  329

使徒信条  (9341A

献  金               石井寛治                      

報  告  

頌  栄  331(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・荒井久美子

礼拝後、オリーブの会「椰子の木に囲まれて」発題・西村正寛(軽食の用意あり)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年4月7日日曜日

 

 牧師の日記から(463)「最近読んだ本の紹介」

茨木のり子『言の葉①②③』(ちくま文庫)この文庫本三冊に、茨木のり子のほとんど全詩集が収録され、さらに彼女のエッセーの主なものも収められ、この詩人の作品全体を見渡すことができる。この二ヶ月ほどの間に、この三冊を初めから終わりまで二度繰り返して読んだ。私は詩集などをきちんと読んでこなかったので、これは例外的なことになる。

先ずその詩だが、8冊の詩集『対話』『見えない配達夫』『鎮魂歌』『人名詩集』『自分の感受性くらい』『寸志』『食卓に珈琲の匂い流れ』『倚りかからず』からセレクトされたもの、詩集に未収録の詩、加えて韓国現代詩から著者が選び訳した数編が含まれている。現代詩は、人によって好き嫌いがあるだろうが、私自身が繰り返し読んで、心に残った詩の断片を、いくつか紹介してみよう。

「ぱさぱさに乾いてゆく心を/人のせいにするな/みずから水やりを怠っておいて・・・初心の消えかかるのを/暮しのせいにするな/そもそもが ひよわな志にすぎなかった/駄目なことの一切を/時代のせいにするな/わずかに光る尊厳の放棄/自分の感受性くらい/自分で守れ/ばかものよ」『自分の感受性くらい』

「戦争責任を問われて/その人は言った/そういう言葉のアヤについて/文学方面はあまり研究していないので/お答えできかねます/思わず笑いが込みあげて/どす黒い笑い吐血のように/噴きあげては止まり また噴きあげる/三歳の童子だって笑い出すだろう/文学研究せねば あばばばばと言えないとしたら/四つの島/笑ぎに笑ぎてどよもすか/三十年に一つのとてつもないブラック・ユーモア・・・」『四海波静』

 「人間には/行方不明の時間が必要です/なぜかはわからないけれど/そんなふうに囁くものがあるのです/三十分であれ 一時間であれ/ポワンと一人/なにものからも離れて/うたたねにしろ/瞑想にしろ/不埒なことをいたすにしろ・・・」『行方不明の時間』

 茨木のり子のエッセーは、不思議にも再読出来る。金子光晴や山之口貘、井伏鱒二の詩についての文章を、繰り返し楽しみながら読めるのだ。詩人だから言葉についての感覚が鋭いのは当然だが、次の一文にハッとさせられた。「聖書の今までの文語訳に比べて、新しい口語訳のいかにも間のびして味わいに乏しいかということはだれの目にも一目瞭然である。」ここまでは、しばしば聞くことだが、続いてこう述べる。「文語がどのようにして生まれ練りあげられてきたのか。母胎は漢文であろうし、奈良時代からとしても千年以上の歴史があるわけである。万葉仮名を案出し、吃り吃りぎくしゃくと文体を創りあげていった草創期から、文語の流麗さに至るまでご先祖達の払った苦労を思うと、なんともいえないいとおしさが湧いてくる。」つまり千年の歴史のある文語に比べて、口語はまだ百年足らずだという指摘に思わず納得させられた。(戒能信生)

 

2024年4月7日 午前10時30分

復活節第2主日礼拝(No51

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・57-64(ヘト)

讃 美 歌  318

聖書朗読  出エジプト記15・1-11

      ルカ福音書24・13-35

祈  祷

讃 美 歌  327

説  教  「同行する主イエス」

戒能信生牧師

讃 美 歌  352

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「能登半島地震の被災教会のために」       荒井 眞                       

報  告  

頌  栄  331

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(9:30)お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・大森意索

礼拝後、週報等発送作業

・定例長老会(12:30-14:00

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年3月30日土曜日

 

 牧師の日記から(462

324(日)主日礼拝。説教は西川穂神学生の担当で、フィレモン書から「以前は無益な者でしたが、今は役に立つ者となっています」と題して話される。4月から新宿西教会の伝道師として赴任することになったが、この説教題のようにその働きが用いられるように切に祈る。礼拝後、受難週全体祈祷会、続いて向山康子さんの「私の愛唱讃美歌」。その後、ホールでの軽食の間に会場設営をして、13時から故・松野ヤスコさんの告別式。2時過ぎに出棺して落合葬祭場で火葬に付す。遺骨は教会で預かり、来週の墓前礼拝の際に教会墓地に納骨することになる。葬儀社の佐々木さんがすべて用意周到に整えてくれて助かった。支区定期総会には橋本茂長老が出席してくれて、私はやむなく欠席する。

25日(月)午前中、東駒形教会での月曜会に参加。大貫隆著『原始キリスト教の贖罪信仰の起源と変容』の第3章を北千住教会の堀成美牧師の発題で取り上げる。午後帰宅して、翌日の神学読書会の準備。

26日(火)午前中、神学読書会でハルナックの『マルキオン』の最後の部分を私の発題で学ぶ。2世紀最大の異端とされるが、このマルキオンこそがその後の教会の新約聖書正典化や正統主義神学、教会論にも決定的な影響を与えたことが見事に論証されている。次回からは並木浩一先生の『ヨブ記を読もう』を取り上げる。この日の出席者は少なく6名。午後、『時の徴』の高倉徹総幹事日記の翻刻作業をお願いしている青地恵さんが来られて、校正と解題の打ち合わせ。その後、大森意索さんが来て卒業論文の相談に乗る。子どもの礼拝をめぐるビジョンについて楽しく語り合う。夜は、来週の山口里子ゼミで取り上げられる「日本における贖罪信仰の系譜と課題」のレジュメ原稿を仕上げて送稿。

27日(水)午前中、堀端を散歩。桜の古木はまだ蕾が堅い。午後四ツ谷駅前の皮膚科を受診。ジンマシンは治まっているようだ。西川穂さんへの教会とCSからのプレゼント(図書カード)を準備する。荒井眞さんから、メールで来週の墓前礼拝のプログラムの催促。慌てて作成する。

28日(木)午後から、NCAの今年度最後の運営委員会を久しぶりに対面で行う。長年事務局をボランティアで担ったくれた神保信子さんへの感謝の会でもある。関東活動センター運営委員長としての私の責任もこの日で終わり、以降は委員の一人として協力することになる。

29日(金)午前中は赤坂の長野国助法律事務所で、亡くなった松野ヤスコさんの遺産整理について相談。結構厄介な手続きになりそう。帰宅して、午後1時からキリスト教会館管理組合総会にリモートで参加。特別管理費の値上げが承認される。インボイス制度の検討も始まる。前途多難ではある。夜は『時の徴』の原稿を整理してメールで送稿。

30日(土)午後、直子さんはイースターの玉子作りの作業。3時過ぎにいつものように須賀さん家族が会堂清掃に来てくれる。(戒能信生)

 

2024年3月31日 午前10時30分

復活節第1主日(合同)礼拝(No50

             司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-42

讃 美 歌  23

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・49-56(ザイン)

讃 美 歌  326

聖書朗読  イザヤ書55・8-11

      ルカ福音書23・55-24・12

祈  祷

讃 美 歌  382

説  教  「復活 女性たちの証言」

戒能信生牧師

讃 美 歌  333

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐 高岸泰子、釜坂由理子

讃 美 歌  79

献  金             荒井久美子                       

報  告  

頌  栄  89(2度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(合同礼拝に合流)

・ライブ配信担当・西川穂

礼拝後、イースター愛餐会(於・会堂)

西川穂神学生歓送会

・(12:45教会出発)

・(14:00)墓前礼拝・松野ヤスコ納骨式(多磨

 霊園千代田教会墓所 第181630番)

2024年3月23日土曜日

 

牧師の日記から(461

317(日)主日礼拝。ルカ福音書2266-71の講解説教「最高法院の裁判」。ルカ福音書の受難物語の特徴に留意しながら学ぶ。改めてイエスの受難の意味を、「苦しむ者と共に苦しむキリスト」として理解する可能性を探る。それは、私(個人)の罪とその救いに集約されがちな贖罪信仰から一歩踏み出て、世界の苦しみに連帯する服従へと拡がるのではないか。夕方、四ッ谷からホテルニュー大谷を回って迎賓館に出るコースを散歩。桜の蕾がほんの少し色づきかかっている。今週末にも開花か?

18日(月)朝9時過ぎの新幹線で京都へ。この日から三日間、修学院セミナーハウスで、第13回神学生交流プログラムが行なわれる。私はこのプログラムの実務委員として長く関わって来たが、今回を最後に若い世代の担い手に交代してもらいたいと考えている。6つの神学校から合計8名の参加。校長は神田健次先生、講師は原誠先生で、私の親友でもある。

19日(火)朝早く起きて、曼殊院や修学院の周辺を散歩。自然と静寂の中で素晴らしいひととき。西川穂神学生から電話が入り、4月から新宿西教会の伝道師として迎えられることが決まったとのこと。様々な課題は残るが、ともかく西川さんに牧師としての道が開かれたことを喜ぶ。

20日(水)三日目はフィールド・トリップとして京都・大阪の切支丹遺跡を神田健次先生の案内で巡る。マイクロバスをレンタルし、四條畷の切支丹の墓石や、京都市内の殉教地を見学する。織田信長の時代に、京都や大阪の近辺に教会やセミナリオ、病院があり、その後徹底して弾圧された。切支丹の問題は、様々な可能性を想像させてくれる。夕方の新幹線で帰京。弁護士の松居智子先生から、松野ヤスコさんのバイタルが下がって来ているので、万一の際の対応を相談してきた。取り敢えず出入りの葬儀社に連絡し、亡くなった際にはご遺体を千代田教会に運ぶように手配する。神学生交流プログラムの会計報告を作成する。

21日(木)早朝、松居先生から電話で、先ほど松野ヤスコさんが亡くなったとの連絡。直ちに葬儀社に連絡して、千代田教会へのご遺体の搬送を依頼。ご遺族の伊藤地塩さん、松野三郎さんに連絡をとり、葬儀などの相談をする。11時過ぎご遺体が到着。ホールの和室に安置し、納棺式を行なう。24日の主日礼拝に引き続き、葬儀を行なうことになる。1時からキリスト教会館管理組合委員会。その後、NCAの事務所で事務仕事や会計処理。ヤスコさん逝去と葬儀について教会員の皆さんに連絡する。

22日(金)朝一番で植木屋さんが来て、無花果や柿の樹の剪定をしてくれる。その手際の良さに感嘆する。午後4時、葬儀社の佐々木さんが来てドライアイスの交換と打ち合わせ。引き続き告別式の準備。

23日(土)朝7:30から、池袋西教会で朝祷会の奨励。31日の墓前礼拝でヤスコさんの納骨式と、松野家の墓所に分骨することになり、そのための手続きや準備。久しぶりに忙しい一週間だった。(戒能信生)

 

2024年3月24日 午前10時30分

受難節第6主日礼拝(No49

             司式 橋本  茂

前  奏  黙想     奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  23

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・41-48(ワウ)

讃 美 歌  303

聖書朗読  出エジプト記32・30-35

      フィレモン書8-17

祈  祷

讃 美 歌  451

説  教  「以前は無益な者でしたが、今は役に立つ者になっています」

西川穂神学生

讃 美 歌  452

使徒信条  (9341A

献  金             橋本悠久子                       

報  告  

頌  栄  89(2度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・受難週全体祈祷会 司会・戒能牧師

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」向山康子

ライブ配信担当・石井房恵

・松野ヤスコさんの告別式に参加される方は、会場設営の間、奥のホールに軽食の用意がありますので、そちらでお待ちください。

・故・松野ヤスコ告別式(13:00

・らふぁえる練習は3:30からになります。

・北支区定期総会(14:00)於・信濃町教会 橋本茂長老が議員として出席されます。

2024年3月16日土曜日

 

牧師の日記から(460

310(日)主日礼拝。ルカ福音書2254-62の講解説教「大祭司の中庭で」。ルカ福音書のペトロは、イエスの捕縛後も「遠くから従った」と記される。すなわちペトロは逃げ出したのではなく、大胆にも大祭司の中庭にまで忍び込んだことが強調される。しかし「あなたのためなら死んでもよいと覚悟」していたそのペトロにして、一人の女中からの問いかけに、「その人を知らず」と答えてしまう。この大祭司の中庭で、焚き火に当たりながら雑談している時に自らの信仰が問われるとは思っていなかったのだろうか。その時、鶏が鳴く。私たちの信仰の内実が問われるのは、自分の日常生活のただ中でこそという使信がそこに込められている。礼拝後、婦人会総会で婦人会の存続が議される。私はその途中で失礼して、神学校時代の古い友人山信彦さんが岐阜から来て礼拝に出席されたので、一緒に四谷駅前に出て食事。50年ぶりの再会を喜ぶ。

11日(月)午前中、門前仲町の歯科医で定期検診。帰宅して1時から日本クリスチャン・アカデミーの理事会にZoomで参加。来年度の事業計画と予算案が承認される。これでNCAにおける私の責任も一区切り。

12日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院で肺のCT検査と内科の定期検診。検査の結果は安定しているが、念のために内臓のエコーと胃カメラの検査をすることになる。この年になると身体のあちこちにガタが来ていることを痛感する。一度帰宅して、午後4時から弓町本郷教会での北支区教師部例会に出席。この春、7人の牧師が北支区を離任するのでその歓送会も兼ねている。その後、近くの中華料理屋で懇親会。板橋大山教会を辞任して隠退される竹花和成牧師と親しく話すことが出来た。

13日(水)午後、南北線の「東大前駅」で高岸泰子さんと落ち合い、本郷の慈愛病院に高岸徹さんを見舞う。簡単な会話は出来、意識もはっきりしているが、食事が摂れないのでかなり衰弱してきているようだ。徹さんの枕許で日々の聖句を読み短く祈る。

14日(木)宗宮進牧師のご遺族から、一昨日亡くなったとの連絡が来る。『時の徴』の購読者も高齢化し、長く購読してくださった人々の訃報が届くと、やはり寂しい。来週実施される神学生交流プログラムの準備。

15日(金)隠退教師の安田俊朗牧師から電話で、蔵書の整理について相談される。私がこれまで利用してきた大阪の古書店を紹介する。ほとんどお金にはならないが、ゴミとして処理されるよりは、必要な人に流通されることを期待する。夕方、松野ヤスコさんの後見人をお願いしている松居智子弁護士から電話。ヤスコさんの様態が急変し、施設の近くの高木病院に入院したとのこと。万一の際、千代田教会で葬儀をお願いしたいと唯一の縁者である姉上の伊藤地塩さんが希望しているとのこと。ヤスコさんの所属教会である柏教会の春原牧師に電話をして了解を得る。またその経緯を鈴木志津恵さんにメールで報せる。(戒能信生)

 

2024年3月17日 午前10時30分

受難節第5主日礼拝(No48

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  23

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編119・33-40(へー)

讃 美 歌  549

聖書朗読  イザヤ書63・15-19

      ルカ福音書22・63-71

祈  祷

讃 美 歌  289

説  教  「最高法院の裁判」

戒能信生牧師

讃 美 歌  309

使徒信条  (9341A

献  金              橋本 茂                       

報  告  

頌  栄  89(2度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・礼拝後、オリーブの会「今年度のオリーブの会を振り返って」(軽食の用意あり)

ライブ配信担当・荒井眞

礼拝堂の後ろに飲み物を用意してあります。水分補給にご利用ください。

2024年3月9日土曜日

 

牧師の日記から(459)「最近読んだ本の紹介」

石垣りん『詩の中の風景』(中公文庫)本書は、この詩人が、『婦人の友』に5年にわたって連載した詩文集を文庫化したもの。佐藤春夫から始まって最後は石垣りん自身の詩に至るまで、有名無名の53人の詩を取り上げ、それを詩人自身がどう読んだか、どう味わったかを紹介している。必ずしもその詩人の代表作ではなく、「くらしの中によみがえる」と副題がつけられているように、詩人自身の生活の中にその詩がどう響いたかが記されている。これはある意味で、詩をどう読むのかの具体例を示す一種の入門書と言えるだろう。もっと早くこの詩人と出会っていたら、そしてこの本を読んでいたら、もっと豊かに詩を楽しめたのにと、今頃になって後悔している。私は詩と不幸な出会いをしている。確か小学校の2年生の時、国語の時間に詩を教えられた。どんな詩だったかは忘れてしまったが、普通の文章と詩の違いについての教師の説明がどうしても納得できなかったことだけは鮮明に覚えている。それ以降、無意識のうちに詩を避けるようになった。だから私は詩のよい読み手ではない。それでも、人に紹介されたり勧められたりして、山村暮鳥や金子光晴、山之口貘、まどみちお、石原吉郎、谷川俊太郎といった詩人たちの詩を、分からないなりに読んで来た。教会学校や子どもの祝福のお話しに引用したりもした。しかし女性の詩人の詩を読んだことはなかった。女流作家の小説を避けてきたことも関係があるかも知れない。ところが、羊子に勧められて石垣りんのエッセー集『朝のあかり』を読んで、すっかりこの詩人の文章に引き込まれてしまった。この人の詩はもちろんのこと、エッセー集にも片端から目を通した。戦時下、女学校を出るとすぐに家族を支えるために銀行に勤め、生涯結婚せず、停年まで勤め上げた彼女は、自らの生きる証しとして詩を書き続けた。それは難解な言葉を避けた生活の中からの鮮烈な言葉で綴られる。一つだけ紹介する。

「崖 石垣りん

戦争の終り/サイパン島の崖の上から/次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら/何やら/火だの男だのに追いつめられて。 

とばなければならないからとびこんだ。ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまっさかさまにする。)

それがねぇ/まだ一人も海にとどかないのだ。十五年もたつというのに/どうしたんだろう。/あの/女。(『表札など』1962年)

茨木のり子『一本の茎の上に』(ちくま文庫)石垣りんの次は、当然のことながら茨木のり子。この女性詩人の書いたエッセー集で、とりわけ金子光晴や山之口貘との交友を綴った文章が素晴らしい。50歳を過ぎてから韓国語の習得に挑戦し、韓国の詩人たちと交流し、その詩の紹介もしている。特に尹東柱についての文章に胸を打たれる。(戒能信生)