2022年7月30日土曜日

 

牧師の日記から(377)「最近読んだ本の紹介」

向井和美『読書会という幸福』(岩波新書)雑誌『世界』に連載されていた時から拾い読みしていたが、新書にまとめられたので一気に読んだ。私立の中高一貫校の図書室司書であり、翻訳者でもある著者が、30年近く続けてきた様々な読書会の経験を詳しく報告してくれる。10人前後の信頼する仲間で、主に翻訳物の古典的小説を読んでお互いに感想を語り合うという仕方の読書会が、これほど実りのある豊かなものだと知って羨ましく思った。もっとも私自身も、牧師の仲間たち(信徒が含まれることもあるが)と勉強会や神学読書会を続けて来たし、現在も形を変えて続けている。自分一人では読み通せない大著や難解な書物を、親しい友人たちと一緒ならば不思議なことに読み通せるのだ。私たちのやり方は、次回取り上げる書物と発題者を決めて、月一回、2時間ほど集まるという仕方。私は教会では牧師であり、神学校では教師であるので、言わば教える立場に立たされることが多い。一種の「牧師病」とも言えるが、これは危険なのだ。読書会は、そのような危険に対する防波堤になり得るのではないか。牧師同士だということもあって、お互いに遠慮なく批判し合う対等の議論ができる。これがどれだけ大切かということを思い知らされている。

山下英愛『新版 ナショナリズムの狭間から』(岩波現代文庫)韓国人の父と日本人の母の間に生れた日本国籍の著者が、韓国に留学し、自らのアイデンティティーを何処に求めるか悩みながら、フェミニズムについて学んで来た。その経験から、韓国の地で「慰安婦問題」に取り組み、その経験からの論考が集成されている。つまり日韓の狭間で、そのいずれにも与し得ない立場から、慰安婦問題が突きつける課題と、その問題点を浮き彫りにしていく。現在の韓国における慰安婦問題をめぐる錯綜した状況も詳しく知ることができる。20205月、元慰安婦・李容洙さんの挺隊協・正義連に対する告発の実情を紹介しくれる。被害者(著者は元慰安婦を「サバイバー」と呼ぶのが印象的!)と運動体との齟齬、そこで考えねばならない課題が明らかにされる。日韓外交の暗礁になっているこの問題を、ナショナリズムの陥穽に陥ることなく見つめる視点の必要が説かれている。

中島国彦『森鴎外』(岩波新書)今年は森鴎外没後100年という。一時期、鴎外の史伝物に嵌まって、『渋江抽斎』や『井沢蘭軒』などを耽読したことがある。この新書は、森鴎外の生涯を、その多彩な作品や交友を通して描いている。さらに同時代にどのように評価されていたかにも目を配り、近年の詳細な鴎外研究の成果も紹介されており、さながら鴎外学の入門書の感がある。それにしても陸軍軍医総監、帝室博物館館長、さらに帝国美術院長にまで登り詰めた鴎外が、その遺書で「余ハ石見人森林太郎トシテ死セント欲ス、…宮内省陸軍ノ栄典ハ絶対ニ取リヤメヲ乞フ…コレ何人ノ容喙ヲモ許サズ」と言い残した真意は何処にあるのだろうか。かつて、三鷹市の禅林寺にある鴎外の墓を訪ねたことがある。(戒能信生)

2022年7月24日日曜日

 

2022年7月31日 午前10時30分

聖霊降臨節第9主日礼拝(No16

司式 野口 倢司

前  奏  黙想      奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  1(1234節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編45・1-18

讃 美 歌  132(12345節)

聖書朗読  マタイ福音書10・34-36

祈  祷

讃 美 歌  346(12節)

説  教  「平和と祈り」

               長尾有起牧師

讃 美 歌  418(123節)

使徒信条  (9341A

献  金             橋本 茂

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・西川穂

・礼拝後、週報発送作業、ご協力ください。

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

・戒能牧師は、浦安教会の講壇奉仕と講演のために出張しています。

2022年7月23日土曜日

 

牧師の日記から(376)「最近読んだ本の紹介」

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ、他『アレクシェーヴィチとの対話』(岩波書店)『戦争は女の顔をしていない』など一連のドキュメンタリー文学で知られるノーベル賞作家の歩みを、NHKのディレクターが追った一種のインタビュー集。Eテレで度重ねてこの作家を取り上げる番組を制作して来た過程をつぶさに紹介してくれる。結果として彼女の多岐にわたる作品の紹介と解説になっている。大祖国戦争などの大きな物語に回収され得ない「小さな人々」の証言に徹底して聞くことによって、初めて見えて来る戦争の実相がそこで明らかにされる。それはさらに、スターリンによって迫害されシベリアに追放された人々の運命を掘り起こし、アフガニスタン戦争に駆り出されたロシアの若者たちの現実を抉り出し、チェルノブイリ原発事故によって愛する者の命を奪われ、住む土地を追われた人々のその後の人生を詳細に伝えることになる。そして今、ウクライナ戦争が始まった。徹底して小さな人々の声に聞き続ける著者の闘いはさらに続くことになる。ノーベル賞受賞講演「負け戦」も収録されている。

いしいひさいち『ののちゃん全集⑬』(徳間書店)朝日新聞朝刊に連載されている四コマ漫画『ののちやん』が、その前段の『となりの山田君』から数えると1万回を超えるという。これは国民的漫画『サザエさん』をはるかに越える。羊子がその2020年、2021年分を収録した全集⑬を買って来てくれたので読み直してみた。毎朝朝刊で見ているはずなのに、ほとんど覚えていないことに気づいたが、さらに考えさせられたことがある。この2年の間、『ののちゃん』では一度もCovit-19=新型コロナ・ウィルス感染症について取り上げていないのだ。2010年代、東日本大震災や原子力発電所の爆発事故についても一度も触れられてないことは知っていたが、改めてこの漫画家のありふれた日常だけを描く強固な姿勢に興味を覚えた。実は、私はこの作者のデビュー当時から注目して、ほとんどその全作品に目を通している。最初期の『バイトくん』や『がんばれタブチ君』などを愛読して来た。この作者は、政治や社会の問題に無関心なのではなく、かつては政治家や権力者たちを徹底してからかう痛烈な政治マンガを多数描いている。そうであるのに、『ののちゃん』には、そのような政治的事件や社会的事象には全く触れられないのだ。そこに、この作者の日常生活に対する徹底した拘りを感じる。すなわち新聞紙上で取り上げられている政治的社会的事件に捉われることなく、主人公ののちゃんの小学校でのドタバタや、家族の日常だけが繰り返し繰り返しユーモアを込めて描かれるのだ。翻ってこの2年余、私たちはどれだけコロナ禍に拘束された生活して来ただろうか。しかし『ののちゃんは』は同じ紙面で取り上げられる大きな事件や事故に見向きもしないで、ののちゃんとその周辺の日常だけが描かれるのだ。そこに、この作者の強烈な主張と平凡な日常への固執を読み取る思いだった。(戒能信生)

2022年7月19日火曜日

 

2022年7月24日 午前10時30分

聖霊降臨節第8主日礼拝(No15

司式 高岸 泰子

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  1(1234節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編44・1-27

讃 美 歌  514(123節)

聖書朗読  アモス書6・1-3

ルカ福音書12・13―21

祈  祷

讃 美 歌  514(456節)

説  教  「愚かな金持ち」

              戒能 信生牧師

讃 美 歌  466(123456節)

使徒信条  (9341A

献  金            萩原 好子

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井眞

・礼拝後、入門の会「使徒信条①」

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2022年7月16日土曜日

 

牧師の日記から(375)「最近読んだ本の紹介」

スヴェトラーナ・アレクシェーヴィチ「文学はあるべき姿を取り戻した」(『ユリイカ』7月号)『戦争は女の顔をしていない』で知られるノーベル文学賞作家に、ウクライナ戦争後の状況について翻訳者の沼野恭子さんがロング・インタビューしたもの。彼女の父はベラルーシ人、母はウクライナ人だという。ベラルーシの民主化運動に参加して、現在は祖国を追われてヨーロッパに滞在している。ポスト・ソ連のロシア人たちの心的状況について、彼女の証言はきわめて説得的だった。偉大なロシアへの回帰の幻想が多くの人々を支配しているという。それが、プーチン政権とウクライナ戦争がロシア国内で圧倒的に支持されている背景にあるというのだ。翻ってこの国の政治状況を考えさせられた。経済的に落ち目になっている現在の人々の心情と共通するものがあるのではないだろうか。

国立歴史民俗博物館編『性差の日本史』(インターナショナル新書)この国のジェンダー格差が、先進国の中でも際だって低く、なんと116位と報じられている。この新書は、古代から中世、さらに現代までの性差の歴史を、文献や絵画など様々な資料で例示してくれてとても興味深かった。この国のキリスト教の歴史においても、明治の初期には女子教育や矯風会運動など、性差の克服のために先進的に取り組んできたはずだ。しかし現在でも、信徒の男女比が1:2であるにもかかわらず、牧師の男女比は、依然として男性8・女性2という比率のままだ。主任牧師の男女比になると9:1だという。ここから変えて行かなければこの国の教会の将来はないとさえ私は考えさせられている。しかしそれは容易なことではない。

半藤一利・保坂正康『ナショナリズムの正体』(文春文庫)この国の代表的な保守リベラリストとも言うべき二人の対談で、最近のナショナリズムの風潮への警告が語られている。ヘイトスピーチや改憲論議の中で特にその傾向が顕著だという。二人とも揃って安倍政権を批判しているのが印象的だった。その安倍さんが参議院選挙中に殺害され、一挙にその政治的評価が高まり、国葬にするとまで言われている。しかし安倍政治なるものへの批判や問いが忘却されてしまうことへの深刻な危惧が残るだろう。

藤沢周平『一茶』(文春文庫)以前読んでいるが、寝られない夜に引っ張り出して再読した。信州の貧しい農家に生れた少年が、江戸に奉公に出され、独学で俳句を学び、やがて俳諧師として名をなすに到る、その生涯を、晩年の帰郷後の老醜と言うべき最期まで追っている。著者の若き日、結核の闘病中に俳句に親しんだ経験が活かされているという。以前、信州柏原の一茶記念館を訪ねた時、一茶が四国を巡行した記録を見たことがある。私の郷里の俳句好きの豪農を訪ねて、句会を催しているのだ。驚いたのは、その際、貧しい小作人までもが句会に参加して俳句を寄せている事実。そこに江戸中期の文化の成熟を見る思いだった。(戒能信生)

2022年7月10日日曜日

 

2022年7月17日 午前10時30分

聖霊降臨節第7主日礼拝(No14

司式 石井 房恵

前  奏  黙想      奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  1(1234節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編43・1-5

讃 美 歌  481(1234節)

聖書朗読  エレミヤ書23・24-25

ルカ福音書12・8-12

祈  祷

讃 美 歌  463(123節)

説  教  「主イエスの仲間として」

               戒能信生牧師

讃 美 歌  449(1234節)

使徒信条  (9341A

献  金             野口倢司

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2022年7月9日土曜日

 

牧師の日記から(374)「最近読んだ本の紹介」

榎本空『それで君の声はどこにあるんだ?』(岩波書店)同志社神学部を卒業した著者が、台湾の長栄大学でC.S.Song(宋盛泉)に学び、その影響を受けてユニオン神学校に留学して黒人神学で有名なジェームズ・H・コーンの薫陶を受ける一種の留学記。宋盛泉は、私も若い時期に親しくして、3度にわたって彼を囲むターグンクを主催したことがある。そのSongの近況を知ることができて、嬉しかった。さらにコーンの黒人解放神学に学んだ詳細がリアリティーをもって紹介されて感銘を受けた。著者はアシュラム運動の指導者だった故・榎本保朗牧師の孫にあたるという。まだ30歳前半の若き神学者のこれからの活躍に期待する。しかしコーンの神学を日本の教会の現状で展開するのはきわめて難しい。友人だった故・栗林輝夫もやはりユニオン神学校に学び、被差別部落出身の自身の経験をもとに『荊冠の神学』を書いたが、容易にこの国では根付かなかった。「属格の神学」の困難さと言ってしまえばそれまでだが、著者の沖縄体験と幼少期の阿波根昌鴻との出会いを軸に応答してもらいたい。

奥泉光・加藤陽子『この国の戦争 太平洋戦争をどう読むか』(河出新書)小説家と歴史家が、「教育勅語」や「軍人勅諭」を読み解いて、太平洋戦争に至る歴史に肉薄する。さらに清沢洌『暗黒日記』や田中小実昌『ポロポロ』、山田風太郎『戦中派不戦日記』などの戦争文学を取り上げて対談している。軍国主義の英雄的な物語に回収されない戦争の現実を文学としてどのように捉えるかを論じていて学ばされ、考えさせられた。特にウクライナ戦争の現状と行く末を考えると、これは他人事ではない。

成田龍一『歴史像を伝える』(岩波新書)新しい教科「歴史総合」のために、練達の著者が「歴史像を伝える」具体例を提示してくれる。例えば、冒頭で紹介される1963年に撮影された「21歳の嫁の手」の写真は衝撃的。既に戦後になっているが、この国の貧しさと女性の置かれた位置が一目で判る。その他、福澤諭吉の思想の転変や小津安二郎の映画、山本七平の『一下級将校の見た帝国陸軍』、さらには村上春樹の『ねじまき鳥クロニクル』などが歴史の実相に迫る素材として取り上げられ解析される。このような手法が、キリスト教史研究にも用いられないだろうかと考えさせられた。

谷口桂子『吉村昭の人生作法』(中公新書ラクレ)吉村昭の歴史小説にはほとんど目を通しているはず。岩波新書の近代日本史シリーズで、歴史研究者たちが例外なく吉村昭の作品を参考文献に挙げていたのが印象に残っている。小説家であるのに、その資料の厳密な読み込みと解釈には定評があるのだ。その吉村昭のエッセーなどから、この小説家の「人生作法」を抜き出していて興味深かった。その日常生活において、小説を書くことを目標として、それ以外のことに余力を割くことを出来る限り避けてきた様子が伺える。牧師もまた、説教と牧会に全力を尽くすべきなのだが、それは容易なことではない。(戒能信生)

2022年7月3日日曜日

 

2022年7月10日 午前10時30分

聖霊降臨節第6主日礼拝(No14

司式 橋本  茂

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  1(1234節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編42・1-12

讃 美 歌  17(1234節)

聖書朗読  アモス書7・10-17

ルカ福音書12・4-

祈  祷

讃 美 歌  468(123節)

説  教  「五羽の雀」

               戒能信生牧師

讃 美 歌  513(123節)

使徒信条  (9341A

献  金             野口洋子

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」岡﨑大祐

・ライブ配信・西川穂

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。ご利用ください。

2022年7月2日土曜日

 

牧師の日記から(373

626日(日)主日礼拝。列王記下251-21の講解説教「ユダ王国の滅亡」。バビロニア帝国によってエルサレムは陥落し、ユダ王国は滅亡する。こうして聖書の民の歴史は終焉を迎えたかと思われた時、残された人々の間で、なぜこういう事態になったのかという問いが始まる。それがイスラエルの歴史の検証へとつながり、主なる神との契約に背いて他の神々に心を移した民の罪と過ちへの罪責理解に至る。主なる神は、敵国バビロニアの手を用いて民の罪を裁かれた。つまりヤハウェは、イスラエル民族だけの守護神ではなく、世界を創造された神であるという神観への転換と言える。ここからイスラエルの歴史の新たな編纂が始まる。ヨシュア記から始まり、列王記・歴代誌へと至る旧約の歴史文書が成立する。礼拝後、臨時総会で2022年度の予算案が承認される。その後、『羊の群』82号や週報等の発送作業。らふぁえるの練習。夜、少し暑さが収まってから散歩。

27日(月)午前中、東駒形教会での牧師の勉強会・月曜会に出席。榎本空著『それで君の声はどこにあるんだ』(岩波書店)を真鍋孝幸牧師の発題で取り上げる。その後、長尾邦宏牧師と、深川教会の後任人事のことで相談。招聘委員会から後任候補の推薦を依頼されたのだ。午後帰宅し、日本聖書神学校と農村伝道神学校に人事の依頼。『時の徴』発送の準備。夜、散歩の途中、荒木町のBons-Barに立ち寄る。もう22年も続いているとのこと。浄土真宗の僧侶が経営しており、これが二回目の訪問。ほとんど満席の酔客を相手に、重誓偈を先導して読経し、短い説法をしてくれた。

28日(火)午前中、散歩。午後『時の徴』の編集委員会と発送作業。購読依頼も含めて、約900通の発送作業。酷暑の中で同人7名が集まり、条谷泉さんも来て手伝ってくれた。その後、浦安教会での説教と講演の準備。

29日(水)午前中、大須賀電気が来て、牧師館の古くなったエアコンを新しい機種に取り替えてくれた。随分値引きもしてくれて有り難い。合間を縫って散歩。午後はNCAの講座「キリスト教と文学」をZoomで視聴。山本周五郎の『柳橋物語』が取り上げられる。この作品が敗戦直後に大衆文学として書かれたことに改めて驚く。そこでは江戸下町を舞台に、「世間」の価値観に対して「愛」が語られているのだという。

30日(木)午前中、門前仲町の歯科医で定期検診。午後、共同研究「コロナ後の教会の可能性」の出版について、キリスト新聞社とリモート会議。ウクライナ戦争の影響で印刷経費も15%は値上がりしているとのこと。出版協力費の捻出が課題ではある。

71日(金)午前中、東京医科歯科大学病院の皮膚科を受診。ジンマシンは少しずつ治まってきているとのこと。飲み薬を続けることになる。今日も熱暑。夕方から、市ヶ谷で旧友の神田健次、原誠、岡田仁さんたちと落ち合い、一緒に食事。コロナ禍もあって随分久しぶりで、お互いの歩んで来た道や現在の生活などについて遅くまで話し込む。(戒能信生)