2022年12月31日土曜日

 

クリスマス・カードに添えて私たち家族の近況報告

信生は、千代田教会の牧師として8年目。75歳という年齢で、身体のあちこちにガタが来ています。3月には急性高血糖症で2週間余り入院し、10キロほど体重が減りました。その後、医師から指示されて毎日5000歩前後の散歩を続け、現在では平常値に戻っています。そんな中で、ここ数年取り組んで来た故・雨宮栄一先生の遺稿を整理した『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』(新教出版社)を刊行することができました。Zoomによる講座「日本キリスト教史を読む」も継続し、『時の徴』や『柏木義円研究』も粘り強く続けています。そろそろ外部の仕事や責任を整理しようと考えていますが…。

直子さんも71歳になり、教会の薔薇や庭の草木の世話をなんとか続けています。今年は甘柿700個ほど、無花果は300個ほど収穫でき、皆さんに喜ばれました。

嘉信、羊子、謙、清美さんたちも元気で、それぞれの仕事や生活に追われているようです。近くにお越しの際には、是非、声をかけてください。

202212

戒能信生、直子、嘉信、羊子、謙、清美

160-0002東京都新宿区四谷坂町4-34千代田教会

03-3351-4489 Email k-kaino@mvb.biglobe.ne.jp

2022年12月25日日曜日

 2023年1月1日 午前10時30分

降誕節第2主日礼拝(No37

司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  20

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編66・1-20

讃 美 歌  278

聖書朗読  創世記1・1-5

      ヨハネ福音書13・34-35

祈  祷

讃 美 歌  367

説  教  「新しい掟 互いに愛し合いなさい」

戒能信生牧師

讃 美 歌  368

使徒信条  (9341A

献  金  「日本キリスト教団教誨師会の働き

を覚え」      石井摩耶子

報  告

頌  栄  85(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・大森意索

・少しゆっくりお茶の会(ホール)

 

牧師の日記から(398)「最近読んだ本の紹介」

小林登志子『古代オリエント全史』(中公新書)副題に「エジプト、メソポタミアからペルシアまで4000年の興亡」とある。旧約聖書の背景にある古代オリエントの全体像を、最近の研究を踏まえて俯瞰してくれる。そこにはイスラエル民族や旧約聖書についての記述は、当然のことながらごく僅かしかない。つまり、我々が旧約聖書を通して理解している世界は、古代オリエント史のごく一部でしかないのだ。無文字社会の故に忘れられた様々な民族があり、文字を持ったとしても大国の興亡に巻き込まれて滅亡した国家も数知れない。特に古代のシリアが大国の草刈り場にされて侵略・支配された歴史は、現在も続いている事実に改めて考えさせられた。そのような中で、弱小民族でしかなかったイスラエルの民とその信仰が今日まで伝えられているのは、ほとんど奇跡に近いと言えるだろう。

長谷部恭男・杉田篤・加藤陽子『歴史の逆流』(朝日新書)憲法学・政治学・歴史学の研究者による鼎談。現在のこの国を取り巻く政治状況についての分析と呵責のない批判が展開されている。特に安倍政権、管政権への批判は手厳しい。その上で、改めて戦後70年以上続いたこの国の平和が、今大きな岐路に立たされていることを教えられる。そうこうしているうちに、いつの間にか軍事費が倍増され、原子力発電ヘの依存がさらに拡大されようとしている。暗殺事件によって安倍政権の憑きものが落ちたように見えるが、その後に来る社会の行く末を凝視しなければならない。

永井荷風『断腸亭日乗 上下』(岩波文庫)この二ヶ月ほど、散歩の途中に少しずつ読み進めて、ようやく81歳で亡くなるまでを読み終えた。ずっと以前に一度読んでいるが、改めて読み直して興趣が尽きなかった。折しも新潮社のPR誌『波』に川本三郎の「荷風の昭和」という連載があり、読み合わせて教えられるところが多かった。徹底した個人主義者として、明治・大正・昭和を生きた荷風の生涯に改めて敬服する。早世した荷風の実弟・鷲津貞二郎は、日本基督教会の牧師であり、終生、荷風との関係も良好だった。鷲津牧師の逝去に際して荷風はこう書き残している。「貞二郎は余とは性行全く相反したる人にて、その一生を基督教の伝道にささげたるなり。放蕩無頼余が如きものの実弟にかくの如き温厚篤実なる宗教家ありしはまことに不可思議の事といふべし。」

大岡昇平・石原吉郎「対談 極限の死と日常の死」(現代詩読本『石原吉郎』所収、1978年)友人の柴崎聰さんからコピーを送って貰って読んだ。詩人・石原吉郎は、信濃町教会の信徒で、私が学生の頃、時折ジャンパー姿の石原さんを見かけているが、直接話したことはない。しかしシベリア抑留の体験を記したその文章に、随分大きな影響を受けている。大岡昇平も、晩年の「成城日記」を愛読していたが、この二人が対談していることを知らなかったのだ。考えてみると二人は、あの戦時下で兵士として生死の境をくぐり抜け、俘虜の経験を共有しているのだ。(戒能信生)

2022年12月18日日曜日

 

2022年12月25日 午前10時30分

降誕節第1主日(合同)礼拝(No36

司式 橋本 茂

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編65・1-11

讃 美 歌  267

聖書朗読  イザヤ書45・22-25

      ルカ福音書15・1-

祈  祷

讃 美 歌  200

説  教  「見失った羊を追って」

戒能信生牧師

讃 美 歌  265

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・橋本茂、石井房恵

讃 美 歌  81

献  金              石井寛治

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・ライブ配信担当・荒井眞

・クリスマス愛餐会(司会・野口倢司)

・記念写真撮影

・卓話・岡﨑大祐、長尾有起

・千代田教会アンサンブル演奏

・サンタクロース登場

2022年12月17日土曜日

 

牧師の日記から(397)「最近読んだ本の紹介」

鹿島茂『神田神保町書肆街考』(ちくま文庫)ちくま書房のPR誌『ちくま』に70回にわたって連載された神保町界隈の歴史についての論考。文庫本でも700頁を越える浩瀚なもので、読み切るのに時間を要する。幕末期この地に設置されたの蕃書調所(後の洋書調所)から始まり、それが維新政府による開成所、さらに外国語学校へと至る経緯を初めて知った。これが東京大学ヘとつながるのだが、内村鑑三や新渡戸稲造、徳富蘇峰たちが在籍した東京英語学校との関連も確認することができた。つまり神田から一ツ橋のあたりは、この国の高等教育の発祥地だったのだ。官立大学が本郷等に移転した後、同じ地域に明治、中央、法政、日本、専修などの私立学校が続々と設立され、その周囲に古書店が生まれたという。さらに、外国人のための専門学校も開校され、一時、神保町は中国人留学生の溜まり場になり、そこから維新號を初めとする中華料理店も出来たというのだ。各古書店の歴史については、反町重雄の『古書肆の思い出』が縦横に引用され、戦前から戦後にかけて200を越える古書店が蝟集したこのエリアの歴史と特質が詳細に紹介される。世界でも古書店がこれほど一箇所に集中するの稀という。しかしその神保町が1970年前後から、各大学の郊外移転に伴って空洞化し、由緒ある古書店が次々に店を閉じ、スキー用品店などのメッカになって今日に至る。もともとフランス文学者である著者は、しかし新しい文化の発信地としての神田神保町の再生を願って、自ら新しく書店を開いたという。一度覗きに行ってみることにしよう。

青野太潮『どう読むか、聖書の難解な箇所』(YOBEL)著者から寄贈されて目を通した。前著『どう読むか新約聖書』に続いて、青野「十字架の神学」が、分りやすく展開される。新約聖書の難解とされる箇所や誤解されているテキストを選んで、聖書学の観点から問題を解きほぐし、最後は「無条件で徹底的な神の愛とゆるしの宣言」としてのイエスの福音と「十字架の逆接」で締め括られる。実に丁寧で説得的な展開なのだが、一方でこのような聖書理解から歴史が形成されるのかしらという小さな疑問を抱く。

宮田光雄『われ反抗す、ゆえにわれら在り カミュ「ペスト」を読む』(岩波ブックレット)これも著者から贈られて読んだ。新型コロナウィルス感染症が蔓延する少し以前に書かれているが、カミュの『ペスト』が注目されるにつれて、このブックレットも多くの人に読まれたという。宮田先生は、東北大学の法学部教授の傍ら、仙台の自宅に学生寮を建てて読書指導をしたことで知られる。この小さな書物でも、無神論者として理解されてきたカミュの『ペスト』を再読し、その「反抗においては、人間は他人のなかへ、自己を超越させる」という言葉を取り上げ、ボンヘッファーの獄中書翰「神という作業仮説なしに、この世に生かされる」と並べて、両者の差異と共通点を説き明かしている。(戒能信生)

 

2022年12月11日日曜日

 

2022年12月18日 午前10時30分

待降節第4主日礼拝(No35

司式 戒能牧師

前  奏  黙想     奏楽 梅本順子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242(4節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編64・1-11

讃 美 歌  229

聖書朗読  イザヤ書11・1-10

祈  祷

讃 美 歌  244

説  教  「その日が来れば」

長尾有起牧師

讃 美 歌  236

使徒信条  (9341A

献  金              荒井 眞

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井久美子

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

2022年12月10日土曜日

 

牧師の日記から(396

124日(日)主日礼拝。ルカ福音書133135の講解説教。この福音書独自の伝承にある「今日も明日も、その次の日も」という独特の表現は、主イエスの言い回しの特徴である可能性が高いという。エルサレムでの受難への歩みを象徴する言葉のようだ。礼拝後、アドベント全体祈祷会。長老会では、感染症第8波に備えてのクリスマスの諸集会の準備について改めて話し合われた。十分気をつけながら、24日の燭火礼拝後の野口倢司さんのシチュウは久しぶりに再開することとなった。夕方、散歩。夜は、明日のJBTSの講義の準備。

5日(月)午前中、郵便局に行って912月の対外献金を送金する。その整理をしていて、送り先がズレていたことに気づき訂正する。一件につき110円の手数料が新たにかかるという。その足で若葉町の路地を散歩しているうちに、有名な鯛焼屋「わかば」に行き当たり、お土産に買って帰って直子さんと頂く。夜は聖書神学校の授業で新渡戸稲造を取り上げる。

6日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院内科の受診。各数値は安定しているが、コレストロール値が気になるので、血管のエコー検査をしてみることになった。60歳くらいまではすべての数値に問題なかったのに、この年になると次々に問題が出てくる。これが老化ということかと思わされる。この間、『信徒の友』の編集部より「柏木義円日記」についての連載企画が持ち込まれていた。ラフな叩き台を作成して翻刻者の片野真佐子さんと電話で相談したが、残念ながら今回は断念し、真佐子さんの健康状態の回復を待って新たに挑戦することになる。その旨を、関係者に連絡する。

7日(水)快晴だが風が冷たい。午前中、散歩。1月末に安中教会の新島襄記念礼拝で説教と短い講演を依頼されており、その準備に取りかからねばならない。安中教会の創立者である新島襄は、僅か47歳で亡くなっており、著書と言えるものも一冊もない。しかしその教育者としての影響力には凄まじいものがあり、多くの働き人を育てている。

8日(木)午前中散歩。途中で郵便局に立ち寄り、教会宛に届いていた献金を現金化する。午後からNCAの連続講座「日本キリスト教史を読む」で矢内原忠雄を取り上げる。今や忘れられた存在のようだが、やはり戦後民主主義のオピニオン・リーダーとしてのその存在は大きい。受講者の中に何人か東大教養学部出身者がいて、その当時の様子を聞くことができた。今年の講座はこれで修了し、来年5月から第Ⅲ期(昭和篇)が始まる。仙台の宮田光雄先生と、福岡の青野太潮さんから著書が送られて来て目を通す。今年の我が家のクリスマスカードに署名。年賀状代わりでもあるが、何人もの先輩や友人たちが亡くなっていることに改めて胸を突かれる。

9日(金)午前中、散歩。途中で喫茶店に立ち寄り、永井荷風の『断腸亭日乗』を数日分読む。24日の燭火讃美礼拝のプログラム案をようやく作成して、荒井眞さんと奏楽者の梅本順子さんにメールで送る。(戒能信生)

2022年12月4日日曜日

 

2022年12月11日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No34

司式 高岸 泰子

前  奏  黙想   奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242(3節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編63・1-12

讃 美 歌  235

聖書朗読  ゼファニヤ書3・16-20

ルカ福音書14・1-6

祈  祷

讃 美 歌  472

説  教  「帰りなさい」

戒能信生牧師

讃 美 歌  510

使徒信条  (9341A

献  金             橋本悠久子

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」荒井久美子

・千代田教会アンサンブル練習

・ライブ配信担当・荒井眞

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

2:00 北支区按手礼式(王子教会)

2022年12月3日土曜日

 

牧師の日記から(395)「最近読んだ本の紹介」

石川明人『宗教を『信じる』とはどういうことか』(ちくまプリマー新書)著者は立教大学キリスト教学科から北海道大学大学院に進んだ宗教学者で、ティリッヒ研究が専門。ティリッヒが第一次世界大戦の従軍牧師だったことから、キリスト教と戦争の関りについて何冊も本を書いている。そのいくつかを読んで、この人はキリスト者ではないかと予想していたら、本書で初めて?その事実を明らかにしている。「信じる」ことについて実に様々な観点から取り上げていて、興味深く読まされた。一見キリスト教に批判的な問いを提出し、そこから自身の信仰理解が披瀝される。「信徒は、キリスト教の矛盾の歴史や中途半端な実態に耐えなくてはなりません。言い方を換えますと、キリスト教徒であるという自覚やアイデンティティーそれ自体にあまりこだわり過ぎない方がいいと思うのです」と語る。

ノーラ・エレン・グロース『みんなが手話で話した島』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)アメリカ東海岸にマーサズ・ヴィンヤードという小さな島がある。18世紀に入植した人々の間に、聴覚障害者が多数生まれる。遺伝的な特質で、この島の一定の地域で近親婚が繰り返されたこともあり、それは約250年にわたって続いた。その結果、住民たちはごく自然に初歩的な手話を用いてコミュニケーションをはかるようになったという。確かに家族の中に聴覚障害者がいれば、健常者も含めて家族全員が手話でも話すようになるのだろう。文化人類学者である著者が聞き取り調査を進める過程で、しばしば「そう言えば、彼(彼女)は耳が聞こえなかったわね」という証言にぶつかることになる。つまり共同体の中に一定数の聴覚障害がいれば、それは普通のこととして理解され、障害者として受け止められなくなるというのだ。これは障害者と差別の問題に、一つの光を投げかけていると著者は指摘する。つまり障害者が少数者でなければ、障害者差別は乗り越えられるというのだ。深川教会の牧師だった頃、一人の聴覚障碍者が礼拝に出席するようになった。最初筆談を用いたがはかばかしくなく、私は手話教室に通って初歩の手話を学んだ。しかしいろいろな事情で途中で投げ出してしまったことがある。彼を、手話ができる牧師のいる近くのルーテル教会に紹介したが、その後どうしているのだろうか。

高橋源一郎『高橋源一郎の飛ぶ教室』(岩波新書)この著者の文芸評論はいくつかを読んで刺激を受けているが、その小説は読んでいない。毎週金曜日の夜NHKⅠラジオで著者をナビゲーターとする番組がある。本書は、その最初5分間の言葉を収録している。そこで短く語られる本の紹介や、著者の身辺の話題が評判になり、本書が編集されたという。一読して、エッセー集として、また読書案内としても秀逸なことに驚く。著者のアンテナは思いもかけない領域に拡がり、ラジオ放送の言葉を通して、人々を励まし、考えさせる。私自身も学ばされ、考えさせられた。(戒能信生)