2020年8月30日日曜日

 

2020年9月6日 午前10時30分

聖霊降臨節第15主日礼拝(No23

      司式 梅本 順子

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-52

讃 美 歌  24

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編115・1-18(着席のまま)

讃 美 歌  497

聖書朗読  出エジプト記13・17-22

使徒言行録26・19-32

祈  祷

讃 美 歌  444

説  教  「アグリッパ王の前での証言」

      戒能信生牧師

讃 美 歌  515

使徒信条  (9341A

献  金

対外献金  「東海教区飯田入舟教会会堂建築の

ために」           橋本悠久子        

報  告

頌  栄  85

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

・礼拝後、お茶の会

・定例長老会

2020年8月29日土曜日

 

牧師の日記から(281)「最近読んだ本の紹介」

松谷基和『民族を越える教会 植民地朝鮮におけるキリスト教とナショナリズム』(明石書房)1975年生まれの研究者が、朝鮮キリスト教史についてハーバードに提出した博士論文。これまでの通説を覆す内容を含んでいる。日本による植民地支配への批判はもちろん貫かれているが、他方で宣教師たちによる宗教的支配に対する批判的視点が特徴。したがって朝鮮キリスト教史全体を、日本の「政治的帝国主義」とミッションによる「宗教的帝国主義」の狭間で葛藤する歴史として捉え直そうとしている。この問題は、日本キリスト教史においても共通する課題で、明治期からミッションの支配に対する様々な抵抗と軋轢が垣間見える。例えば植村正久のNational Churchの主張、内村鑑三の激しい宣教師・教派批判(これが無教会の主張につながる)、同志社のミッションからの独立問題など。ただこの宣教師支配とその政治への忌避を批判的に取り上げる論点は、例えば組合教会の朝鮮伝道(=総督府支配を宗教的に擁護する立場)を合理化することにつながりかねない危険性を孕んでいる。その点で、1920年代以降の朝鮮キリスト教史を扱う続編に期待したい。

網野善彦・宮田登『歴史の中で語られてこなかったこと』(朝日文庫)中世において「百姓」は必ずしも農民を指す言葉ではなかったという視点から、農を日本の歴史の中心として捉える定説を根底的に批判する異端の歴史家・網野善彦と民俗学者宮田登の多年にわたる対談が収録されている。中世の資料から海民や商人等の多様な活躍に注目する網野に対して、宮田登は膨大な民俗文化の蓄積を踏まえて応対している。例えば、上州で養蚕を担った女性たちが経済力を有し、生糸の取引等にも関わったのではないかという推測から、江戸期の女性の役割を再評価する。これは群馬キリスト教史との関連で、女性の視点での捉え直しにつながるかも知れない。また甲府で牧師をしながら民俗学研究を続けていた山中笑(共古)が取り上げられているが、この人物には以前から関心があり、いつか調べてみたい。二人の碩学が対談の中で何気なく語られる一つ一つに、驚くべき指摘が含まれていて丹念に再読しなければならない。

福岡良明『勤労青年の教養文化史』(岩波新書)かつてこの国では、貧しさの故に上級学校に進めなかった若者たちが、働きながら、あるいは定時制高校に学びながら、読書会やサークル活動を通して教養を身につけようとした。しかし1960年代以降の経済成長と高校進学率の増加によって、そのような勤労青年たちがいなくなったこの国の現在を問うている。いわゆる勤労青年が激減し、同時に教養主義自体が没落する中で、この国を大衆文化が覆っていく。中で紹介されているのだが、昭和22年に岩波書店から『西田幾多郎全集』が刊行されたとき、それを買い求めるために神保町の岩波書店社屋を取り囲んで長蛇の列を作り、二晩徹夜組も出たという。このような知への欲求は今ではそのかけらも見られない。(戒能信生)

2020年8月22日土曜日

 

牧師の日記から(280)「最近読んだ本の紹介」

油井大三郎『避けられた戦争 1920年代・日本の選択』(ちくま新書)この国が大東亜戦争になだれ込んでいった経緯については、満州事変(1931年)の前後から論じられることが多い。しかし本書では、その少し以前、1920年代の世界と日本の動きを最近の研究成果を踏まえて分かりやすく紹介している。第一次世界大戦後の軍縮ムードの中で、国際協調路線(新外交=幣原外交)が採られ、在野では吉野作造が大正デモクラシーを、石橋湛山が小日本主義の論陣を張っていた。それに対して大川周明や北一輝などの民族派の過激な主張があった。ヴェルサイユ講和会議(1919年)からワシントン会議(1921年)、そしてロンドン軍縮会議(1930)へと至る国際政治の流れの一方で、特に満州の既得権益をめぐる民族派の主張が、政党や軍部と結託する中で次第に力を増していき、それを新聞が後押して圧倒的な世論を形成していく。たまたま19181920年の時期のスペイン風邪の流行とキリスト教会との関係を調べているので、当時の政治状況を理解するために大変役に立った。

エド・レジス『ウイルス・ハンター アメリカCDCの挑戦と死闘』(早川書房)COVID-19のパンデミックでよく話題に上るアメリカ疾病予防管理センター(CDC)の歴史を、1995年にザイールで発生したエボラ出血熱の感染拡大防止に活躍したスタッフたちのドキュメントを絡めて紹介してくれる。驚くのは、危険をも顧みず感染症根絶のために現地に乗り込んでいく専門家たちの存在。医師として生活習慣病の退屈な治療?に飽き足らず、感染病との闘いの世界に飛び込んでいく群像が描かれる。CDCは当初、米国内のマラリアの撲滅対策から始まったというが、特に戦後、世界の平和と安定に寄与する合衆国の理念と結びついて、政府が膨大な予算を投じて拡大し、感染症が発生すると直ちに専門家チームをを世界各地に派遣していることにも驚く。ただ今回のCOVID-19については、CDCは初動の水際作戦に失敗し、トランプ政権の不作為もあって後手後手にまわっているようだ。

ジュレド・ダイアモンド他『コロナ後の世界』(文春新書)文明史のダイアモンドや経済学のクルーグマンなど現代世界の知性6人に緊急インタビューしたもの。多くの人が日本の将来を心配してアドバイスをしてくれていることに改めて考えさせられた。日本の社会は世界の潮流からかなり遅れていると見られているようだ。特に1000兆円を越える借金、少子化対策やIT化への取り組みの遅れなどが何人かの識者から指摘されている。この国の内側ではあまり気づかないが、外からはその問題点がよく見えるようだ。そう言えば、テレビ会議などの存在は知っていたが、コロナ騒ぎで、主日礼拝のライブ配信や自分の書斎からZOOMを用いて授業が出来るとは考えてもいなかった。確かにコロナ後の世界は確実に変わるのだろう。それがどのような問題を含んでいるのだろうか。(戒能信生)

2020年8月16日日曜日

 

2020年8月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第13主日礼拝(No21

      司式 高岸 泰子

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  29

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編113・1-9(着席のまま)

讃 美 歌  495

聖書朗読  ヨブ記28・12-28

使徒言行録25・1-12

祈  祷

讃 美 歌  359

説  教  「皇帝への上訴」

      戒能信生牧師

讃 美 歌  539

使徒信条  (9341A

献  金             萩原 好子        

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

2020年8月15日土曜日

 

牧師の日記から(279)「最近読んだ本の紹介」

ドロテー・ゼレ『逆風に抗して』(新教出版社)ゼレは1929年生まれで、ナチス政権下での少女時代を経験している。戦後、様々な経緯を経て神学を学び、R・ブルトマンに師事し、しかし新約聖書学ではなく組織神学を専攻する。若い時期、ケルンの「政治的夜の祈り」を主宰し、ドイツの再軍備に反対し、核武装の放棄を主張するなど、最左翼の政治的主張を展開する。博士論文は受領されたものの、そのラディカルな主張と正統主義的信仰理解に対する激しい批判のゆえに、ドイツの教会では容易に受け容れられず、神学部では講師止まりだった。それが70年代の半ば以降、アメリカのユニオン神学校の教授に迎えられ、私の友人の日本人留学生たちも大きな影響を受けている。女性神学者として、また三人の子どもの母親として、さらに離婚者でもあり、カトリックの元司祭と再婚と、保守的なドイツのプロテスタント社会では例外的な存在であった。この自伝でも、通例のキャリアを累進する過程を描くのではなく、その信仰的・思想的遍歴を率直に語り、音楽や文学への愛好を披歴している。私も堀光男先生からゼレの書物を紹介されて愛読して来たので、感慨をもって読んだ。

山田昌弘『日本の少子化対策はなぜ失敗したのか』(光文社新書)家族社会学が専攻の著者の近著。北欧やフランスである程度成功した少子化対策を形だけ真似しても、日本では一向に成果が上がらない。それは何故かを分析している。むしろ結婚する若者自体が減少しているのだ。その経済的な背景もさることながら、リスクを回避し、現状維持と世間体を気にする日本人の気質そのものを変えなければならないという。ドイツやシンガポールなどが、少子化社会であっても、積極的な外国人移住者の受け入れによって、労働力を確保しようとしているのに対して、日本政府はほとんど無策である事情が暴露されている。

中屋敷均『ウイルスは生きている』(講談社現代新書)新型コロナ・ウイルスの感染拡大が止まらない現状で、改めてウイルスとは何かを学ばされた。ペストやコレラ、結核などの恐るべき感染症の原因が細菌であることを、150年前ロベルト・コッホが発見する。しかしその細菌よりも圧倒的に微小なウイルスの存在が発見される。タンパク質と核酸からなるウイルスは、細胞膜がなく、自己増殖ができないので、生物とは見做されていない。しかしその核酸にDNAが含まれ、宿主に寄生することで増殖を繰り返すことが判明する。インフルエンザも、エボラ出血熱も、エイズのHIVも、すべてウイルスなのだ。ところがさらに調べていくと、はるか昔、このウイルスが哺乳動物の胎盤を機能させていたたという。つまりウイルスがいなければ、人間を含む哺乳類も存在しないことになる。すると、人類の存在自体がwith virusだということになる。詳細までは理解できないものの、これまでの無知を啓蒙された。(戒能信生)

2020年8月9日日曜日

 

2020年8月16日 午前10時30分

聖霊降臨節第12主日礼拝(No20

      司式 石井 房恵

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  29

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編112・1-10(着席のまま)

讃 美 歌  462

聖書朗読  箴言9・1-11

使徒言行録24・1-27

祈  祷

讃 美 歌  511

信徒講壇  「総督の法廷」

      戒能信生牧師

讃 美 歌  371

使徒信条  (9341A

献  金             野口 洋子        

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

  

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

2020年8月8日土曜日

 

牧師の日記から(278)「最近読んだ本の紹介」

川端康雄『ジョージ・オーウェル』(岩波新書)未来の究極の管理社会をディストピア小説『1984』で描いた作家オーウェルの評伝であり、その主要な作品を紹介してくれる。学生時代に『1984』を読んで、それがスターリン主義のソ連の抑圧を痛烈に批判しているところまでは理解したが、この作家の背景や思想までは関心が及ばなかった。この新書で、オーウェルの生涯を辿って多くのことを学ばされた。植民地下級官吏の息子として生れ、奨学金を得てイートン校まで出ながら、大学には進まず、植民地ビルマの警察官として働き始める。その後ジャーナリストを目指して帰国し、イギリスの貧しい労働者たちのルポルタージュを試み、さらに反ファシズムの立場からスペイン内戦に義勇兵として参加している。そこでの痛苦な体験から社会主義に対する疑問と批判を抱くようになる。さらに第二次世界大戦中にBBCのインド向け放送を担当している。その放送を、ジャワの海軍武官府で鶴見俊輔が聴いており、これが戦後の鶴見のオーウェル紹介と評価へとつながる。つまり、植民地のイギリス人官吏の経験から、サイードの『オリエンタリズム』を一部先取りするような視点を獲得した人だったのだ。

ハーバート・パッシン『米陸軍日本語学校』(ちくま学芸文庫)第二次世界大戦に際して、アメリカ軍は日系二世を動員し、米軍将兵の中からIQ130以上の人材を選抜して徹底した日本語教育を施す(このあたりが日本軍と決定的に異なる)。太平洋の各戦地での情報収集のためとされた。これに応じた優秀な若者たちの中から、その後数多のジャパノロジストを輩出することになる。著者もその一人で、陸軍日本語学校を修了し、占領下の日本で最初期の意識調査に取り組み、その基礎を作った社会学者。その親日的な言説の背後に、痛烈な日本社会への問いと批判を読み取ることが出来る。

先崎彰容『吉本隆明 共同幻想論』(NHK出版)教育テレビの「100分で名著」で取り上げられた吉本隆明の『共同幻想論』の解説テキスト。学生時代吉本隆明から多大な影響を受けた。しかし『共同幻想論』は何度も挑戦したが十分に理解できなかった。この極めつきの難解な書を、吉本世代ではない1975年生まれの著者が軽やかに解説してくれる。教えられることもあったが、他方で1970前後の情況でないと吉本のインパクトと魅力は分らないだろうとも思った。

JM・クッツェー『イエスの学校時代』(早川書房)前著『イエスの幼子時代』を読んで不思議な印象を受けたので、その続編に目を通した。未来のユートピア社会で、偶然出会った子どもを育てる主人公の奮闘が独特のユーモアをもって語られる。著者は南アフリカ出身のノーベル賞作家だが、聖家族をこのように描く比喩のニュアンスがどうも掴めなくて困惑するばかり。まだこの続編が出るそうなので、それに期待することにしよう。(戒能信生)

2020年8月2日日曜日


2020年8月9日 午前10時30分
聖霊降臨節第11主日礼拝(No19
      司式 大森 意索
    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵
招  詞  93-1-53
讃 美 歌  5
主の祈り  (93-5A) 
交読詩編  詩編111・1-10(着席のまま)
讃 美 歌  358
聖書朗読  フィリピ書3・12
祈  祷
讃 美 歌  529
信徒講壇  「追い求める」
       常盤 陽子
讃 美 歌  520
使徒信条  (9341A
献  金             野口 倢司         
報  告
頌  栄  28
派遣・祝福
後  奏 
  
【本日の集会】
・教会学校(夏休み)
・礼拝後、お茶の会
・聖書を読む会は休会

2020年8月1日土曜日


牧師の日記から(277
726日(日)主日礼拝。月の最後の主日なので、旧約聖書からサムエル記上12章の講解説教「サムエルの決別の辞」。この箇所でも、民が王を求めたことを「罪の上に悪を重ねた」と規定している。申命記学派の王制観が伺われる。礼拝後、キリスト教入門講座。礼拝堂でお茶を飲みながら15分ほどの学びの時間。この日は「礼拝とはなにか」について話した。CS教師会や週報発送作業など。
27日(月)午前中、月曜会に出席するために東駒形教会へ。大貫隆著『終末論の系譜』を読み終った。最後の章で取り上げられているエイレナイオスの歴史理解ヘの注目が、本書を貫く基本モティーフになっている。つまり旧約から新約、さらに3世紀の教父たちまでの終末論を概括することによって、それぞれの歴史理解の特質を整理してくれている。結びで、歴史を支配する淘汰圧力(強い者が弱い者を虐げる弱肉強食の論理)に対して、イエスの十字架と神の国は「突然変異」だったとまとめているのが印象的だった。近くの喫茶店で、牧師仲間たちと昼食を共にしながら、話し込む。次回からは川島貞雄先生が訳したシュタウファーの『キリストとローマ皇帝たち』を取り上げることになった。
28日(火)午前中は錦糸町の賛育会病院で内科の定期検診。検査の結果は、可もなし不可もなしというところか。午後、日本聖書神学校の神学生二人が来て、卒業論文の指導。私は講師に過ぎないのだが、内村鑑三と由木康を取り上げるというので卒論指導までしなければならない。しかし自分の問題関心を共有してくれることは嬉しいことであり、有り難いことではある
29日(水)午前中、聖書を学び祈る会。列王記の学びと平行して、その時期に活動した預言者たちを取り上げる。この日はヨナ書を学ぶ。午後は、COVID-19 の影響で延期されていた日本クリスチャン・アカデミーの9月からの各プログラムの案内を作成し直す。中止になったもの、ZOOMで開講する講座など様々。来週の定例長老会のアジェンダを作成して、長老の皆さんにメールで送付。教団への年度報告書や、東京都宗教法人係への提出書類を作成してそれぞれ送付する。
30日(木)朝から西早稲田のキリスト教会館に行き、NCAの事務仕事やプログラム案内の印刷・発送作業。神学生交流プログラムの講演をまとめた『次世代への提言』を、執筆者や参加神学生たちに贈呈する作業。夕方ようやく一段落して帰宅。この日、東京でのCOVID-19新規感染者が300名を超える。
31日(金)午前中は、農村伝道神学校のライブ配信授業。この日は山室軍平を取り上げる。夕方、日本聖書神学校に出かけて、図書館で調べもの。6時から卒業論文の中間報告会に出席。東京の新規感染者は400名を超えたという。
81日(土)8月に入る。花見が出来なかった4月から、コロナ騒ぎで季節感も感じられなかった。こういう事態がいつまで続くのだろうか。(戒能信生)