2019年3月26日火曜日


牧師の日記から(208)「最近読んだ本の紹介」

D・コーエン/戸谷由麻『東京裁判『神話』の解体 パル、レーリンク、ウェブ三判事の相克』(ちくま新書)東京裁判に対する根強い批判がある。勝者による敗者の裁きであるとか、「平和への罪」という事後法による判決、インド代表のパル判事の無罪評決、オランダのレーリンンク判事の反対意見などがその根拠とされて来た。そのような視点から制作されたNHKの特別番組も見た覚えがある。本書は、そのような「神話」を、膨大な裁判資料やウェブ裁判長の判決草稿などを読み解いて根本的に批判する。もともとはきわめて厳密な学術書を、新書版に圧縮したもので、それでも読みやすいとは言えない。しかし改めて「東京裁判」がどのようなものであったかについて考えさせられた。パル判事は、裁判資料や証言などはほとんど聞かずにその判決を書いたのだという。先進国の植民地支配に批判的であったパルの主張がその骨子だというのだ。ただこの書物では取り上げられていないが、アジアの各地で実施されたBC級戦犯の法廷は、今から考えるとずいぶん杜撰なもので、通訳の不備や証人の誤認など深刻な問題があった。確か内海愛子さんが、そのために犠牲になった朝鮮人戦犯ことを書いていた。

高橋義人『火付盗賊改 鬼と呼ばれた江戸の「特別捜査官」』(中公新書)池波正太郎の描く『鬼平犯科帳』で知られるようになった「火付盗賊改」の実態を、当時の資料や文献から紹介したもの。北町・南町奉行所とは別に、主に旗本に加役としてあてがわれたこの職責には、当然のことながら無能な人物や悪徳役人もいたようだ。大泥棒の探索が上手な人物もいれば、ほとんど実績をあげていない人もいる。『鬼平犯科帳』のモデルとされる長谷川平蔵は、実際に捕物が上手で、無宿人対策として小石川に「人足寄場」を創設するなど、当時から人気も高かったらしい。しかしそれは例外で、犯罪者を岡っ引きに利用したことや、その拷問の酷さなどから、江戸庶民たちにはむしろ評判が悪かったという。

鶴見俊輔『文章心得帳』(ちくま学芸文庫)ある文章教室で実際に受講者を前にして著者が語ったもの。おそらくこの国の最大の読書家で、しかも『思想の科学』の編集者として多くの書き手を発掘してきた人だけに、教えられ考えさせられることがたくさん盛り込まれている。紋切型の文章が駄目だということを例文を出して説明し、「書評の書き方」を実例を通して解説してくれる。しかも中に盛り込まれている挿話がまた興味深い。例えば幕末期、高野長英が逃亡先の宇和島藩に匿われていた時、藩主が買い求めていたオランダ語の文献を読んで、その解題を短冊に書いて挟んであるという。その短冊を見るだけで、その書物の内容が分かり、読みどころが判明するという。書評の核心はこれだというのだ。

文部省著作教科書『民主主義』(角川ソフィア文庫)戦後間もない1948年に刊行され、中学・高校で実際に用いられたという「民主主義の教科書」。話には聞いていたが、こんなに大きな本(元は上下二巻)だったというのが最初の驚き。そしてあの文部省がこの内容を!というのが第二の驚きだった。(戒能信生)

2019年4月7日午前10時30分

受難節第5主日礼拝(No1

      司式 鈴木志津恵  

    奏  黙 想        奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-33

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編42・1~12(着席のまま)

讃 美 歌  210

聖書朗読  ネヘミヤ記9・29-31

      Ⅰテモテ書1・12-19

祈  祷

讃 美 歌  311

説  教  「赦された罪の行方」

                柏井 創牧師

祈  祷

讃 美 歌  304

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「石巻栄光教会施設改修の

  ために」 高岸 泰子

報  告

頌  栄  88(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(春休み)

・本日の礼拝説教は、元・小金井教会牧師柏井創先生が担当してくださいます。

・礼拝後、柏井創牧師を囲んでお茶の会(於・ホール)司会・野口倢司

・長老会は、来週414日礼拝後行われます。

牧師の日記から(207)「最近読んだ本の紹介」

半藤一利編・解説『なぜ必敗の戦争を始めたのか 陸軍エリート将校反省会議』(文春新書)1970年代に雑誌『偕行』に連載された日本陸軍中枢部のエリートたちによる座談会「大東亜戦争の開戦の経緯」を、解説付きで復刻したもの。親英米派の海軍は戦争に消極的だったのに、陸軍が暴走したという通説に反論する目的で、陸軍側からの言い分を開陳したもの。確かに単純な「海軍善玉論」は通用せず、海軍もまた見込みのない戦争に突き進んだ実情が読み取れる。しかしいずれにしろ職業軍人、それもかなりのエリートたちの日米開戦についての認識はこんなものでしかなかったことがよく分かった。そこには、言わば戦術論しかなく(それもはなはだ楽観的でお粗末な見通し)、外交や世界の情勢分析に全く疎い実情が浮かび上がってくる。何しろ日独伊三国同盟によって、ドイツがイギリスに勝利してイギリス本土を占領することが前提で開戦したというのだ。それにしても、この座談会に参加したかなりの人たちが、戦後の自衛隊の幹部を担っていることに驚いた。以前沖縄の平良修牧師が、「私は『自衛隊』ではなく『日本軍』と呼ぶべきだと考えている」と主張されていた意味がよく分かった。軍の本質は、戦争を準備することにあり、負けることが分かっていても、戦争に突き進むものなのだということを改めて思い知らされた。

ウィリアム・バンガード『イエズス会の歴史 上下』(中公文庫)イエズス会の全通史をコンパクトにまとめたもの。と言っても、文庫本上下合わせて1千頁をはるか超える大著で、かなりの読みでがある。私も精読したのではなく、興味のあるところを拾い読みしたに過ぎないのだが、それでも大きな収穫があった。一つは創立者イグナチウス・ロヨラの霊性についての深い理解。イエズス会の始まりは、宗教改革後のカトリック教会の頽廃の中での一種の信仰復興運動であったのだ。スペインやポルトガル、そしてフランスなどの有為な人材がイエズス会に続々と入会した事実がそれを物語っている。もう一つは、19世紀後半、イエズス会が弾圧され、活動中止に追い込まれている事実。南米を初め植民地に絶大な権益を誇ったイエスズス会に対する反撥が、啓蒙主義思想と重なって苦境に追い込んだのだ。明治以降の日本のカトリック宣教が、当初イエズス会ではなく、パリ外国宣教会(パリ・ミッション)によって担われた背景を初めて理解することができた。しかしフランス革命後のカトリック教会の危機の中で、イエズス会は復興し、再び活動を開始して現在に至っている。

油井大三郎『平和を我らに 越境するベトナム反戦の声』(岩波書店)昨年、日本基督教団とベトナム反戦運動との関係資料を提供したことがあって、著者から寄贈された。ベトナム戦争はアメリカが初めて敗れた戦争であった。それもアメリカの内部から反戦運動が起こり、粘り強く継続されたからだった。その歴史的体験は、その後の世界に大きなインパクトを与えている。しかし日本の平和運動は、政党や左翼諸セクトも含めて、そこから学んでいない。(戒能信生)

2019年3月31日午前10時30分

受難節第4主日礼拝(No53

      司式 荒井  眞  

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編41・1~14(着席のまま)

讃 美 歌  297

聖書朗読  詩編1・1-6

祈  祷

讃 美 歌  217

説  教  「祝福の道」

                岡田 仁牧師

祈  祷

讃 美 歌  338

使徒信条  (9341A

献  金             鈴木基三恵

報  告

頌  栄  29

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校(春休み)

・本日の礼拝説教は、戒能牧師が入院中のため、富坂キリスト教センター総主事岡田仁牧師が担当してくださいます。

・礼拝後、岡田仁牧師を囲んでお茶の会(於・ホール)

・週報等発送作業

2019年3月23日土曜日


牧師の日記から(206

317日(日)主日礼拝。Ⅰヨハネ書簡5612の講解説教「信仰の証し」。この個所は、後にラテン語訳聖書で意訳され、それが三位一体論の根拠とされたという曰く付きのテキスト。父なる神と子なるキリスト、そして聖霊の三つがそのまま一つとされるこの不思議な教理は、本来は地中海全域に拡がった初期キリスト教の多様な信仰理解を丸ごと容認するものだった。つまり神とキリストとどちらが偉いかとか、それと聖霊がどう関係するのかといった錯綜した議論を、すべて丸呑みするところから始まったはずだ。しかし一度これが正統とされると、それ以外の信仰理解を排除することになってしまうのだ。礼拝後、オリーブの会で高岸泰子さんと田中寿美子さんが「アジア協会の働き」を紹介してくれる。

18日(月)朝から書斎に籠もり、大塩牧師の遺稿・追悼集の校正作業。寄せられた文章を読み直して、改めて大塩牧師の牧会とそのひたむきな信仰に感銘を受ける。4月以降の神学読書会の案内ハガキを作成して、北支区内の諸教会に発送。

19日(火)この日も終日、校正作業。特に用字用語の統一に苦労する。しかしこのような仕方で、お世話になった大塩先生の歩んだ生涯を辿ることができるのは幸いであるとつくづく思わされる。

20日(水)朝一番で、荒井博さん夫妻が来てくれて、柿の樹の剪定作業。駐車場を舗装したせいか、樹がかなり弱っているとのこと。陽当りを考慮してどの枝を剪定するかを決めていく。道具類もすべて持ち込んでの手際のよさに感心するばかり。木の枝が広がっているだけ、その根も地中に広がっていると教えられ、考えさせられる。聖書を学ぶ会では、サムエル記下1314章を取り上げる。ダビデの息子たちの争いが始まる。王制につきものの後継者争いが背景にあるようだ。久しぶりに大坪正雄さんが出席された。午後、キリスト教会館に行き、管理組合の仕事の処理とNCAの事務仕事。先週神学生交流プログラムが無事終ったので、早速その報告書作成に取りかからねばならない。夕方帰宅した後も、ひたすら校正作業の続き。ほとんで徹夜して校正を仕上げる。

21日(木)午前中、南千住の大塩光子さん宅で、遺稿・追悼集の最後の編集会議。書名を『主よ、み手もて』と決め、掲載する写真を選定する。午後帰宅して、目次と原稿を装丁家の桂川潤さんにメールで送る。掲載する写真のレイアウトとキャプションの作業。夜、嘉信に来てもらい、編集ソフトを用いての割り付けを依頼する。来週の私の入院前に、ある程度まで仕上げておかねばならない。

22日(金)『ほんの広場』の書評を入稿したところ、短すぎるというので、苦労して大幅に書き足す。内面史研究会の共同討議の整理・編集にも手を付けねばならない。これも入院前に片を付けてなければならないのだが……。

23日(土)午後から聖書と人間を考える会。石井摩耶子さんが、韓国の31独立運動から100年の歴史と、独立宣言を支えた女性たちについて発題された。私はヨハネ黙示録21章の短い聖書研究。参加者は7名。(戒能信生)

2019年3月17日日曜日


2019年3月24日午前10時30分

受難節第3主日礼拝(No52

      司式 野口 倢司  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編40・1~18(着席のまま)

讃 美 歌  129

聖書朗読  イザヤ書61・1-11

      Ⅰヨハネ書簡5・13-21

祈  祷

讃 美 歌  298

説  教  「永遠の生命」

                戒能 信生師

祈  祷

讃 美 歌  300

使徒信条  (9341A

献  金             柴田 長正

報  告

頌  栄  29

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・礼拝後、CS教師会

・らふぁえる練習

14:00 北支区定期総会(西片町教会)戒能牧師と高岸泰子さんが議員として出席します。

2019年3月16日土曜日


牧師の日記から(205

310日(日)主日礼拝。Ⅰヨハネ書簡515の講解説教「世に打ち勝つ信仰」。兄弟愛を展開してきたこの手紙が、この箇所で「世に打ち勝つ信仰」を強調する。「世」(cosmos)という言葉は、ヨハネ文書を中心に新約聖書全体で186回も用いられるという。そしてそのほとんどが否定的なニュアンスで語られる。ところが一方で、「神はその独り子をお与えになったほどに世を愛された」(ヨハネ福音書316)と語る。教会をでもなく、また信仰者をでもなく、「世を愛された」というのだ。「世に勝利する信仰」とは、この世界を敵と見て打ち勝つのではない。神が愛されたこの世に勝利するというのだ。高倉徳太郎が「四畳半の信仰にとどまってはならない」と言ったのは、こういうことを指すのだろう。

11日(月)午前中、眼科で緑内障の定期検診。午後から神楽坂の和食屋で北支区教師会。この春隠退・転任する教師の歓送会。長くお世話になった上林順一郎牧師も隠退されるという。夕方帰宅して、神学生交流プログラムの文房具や資料などを梱包して、鎌倉の会場に宅急便で送る。後はひたすら講演の準備。

12日(火)午前中、神学読書会。小原克博著『一神教とは何か』(平凡社新書)を、豊島岡教会の濱田美也子牧師の丁寧な紹介で取り上げる。同志社神学部の一神教学際研究センターでのユダヤ教、イスラム教との共同研究の一つの成果なのだろうが、どうも物足りない。宗教対話の要点を要領よく整理してくれてはいるのだが、これでその対立を乗り超えられる到底思えない。午後から、早稲田奉仕園での山口里子ゼミのスピン・オフ企画「聖書の料理を造って食べる会」に参加。種なしパンやフムス、レンズ豆のスープ、羊の肉の煮込み料理などを受講生たちと協力して作り、一緒に食べる。なかなか美味しかった。

13日(水)この日から二泊三日の「第10回神学生交流プログラム」のため鎌倉のイエズス会黙想の家へ。今回は各神学校から16名の参加。校長の関田寛雄先生の開会礼拝説教で始まる。今回は私が講師で、講演Ⅰ「私の歩んできた道」について話す。改めて自分が牧師としてどのように育てられてきたのか、勉強してきたのかを振り返る。夜は、神学生たちと一緒に夜遅くまで話し込む。

14日(木)二日目。講演Ⅱ「宣教論的視点から見る日本プロテスンタント史」。午後から、神学生たちは4つのグループに分かれて鎌倉散策へ。夜はその報告会。二日目も夜遅くまで90歳の関田先生も交えては話し込む。

15日(金)三日目最終日。プログラムを振り返り、参加者が一人一人感想を述べ合う。また報告書作成の相談。スタッフの丹羽真理恵牧師がいろいろ気配りをして支えてくれて有り難かった。10回目の今回で私と関田先生は担当から降りて、次の担当者にバトンタッチする。10年間続いたこのプログラムの責任者としての任務から解放されてホッとする。夕方帰宅。

16日(土)たまっているメールの処理、『本のひろば』の書評原稿、大塩牧師の追悼集の校正、そして明日の礼拝の準備などに追われる。(戒能信生)

2019年3月10日日曜日


2019年3月17日午前10時30分

受難節第2主日礼拝(No51

      司式 石井 房恵  

    奏  黙 想        奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編39・1~14(着席のまま)

讃 美 歌  451

聖書朗読  ヨナ書2/1-11

      Ⅰヨハネ書簡5・6-12

祈  祷

讃 美 歌  453

説  教  「信仰の証し」

                戒能 信生師

祈  祷

讃 美 歌  449

使徒信条  (9341A

献  金            

報  告

頌  栄  29

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・橋本茂(教会員説教)、奏楽・戒能直子

・礼拝後、オリーブの会「アジア協会の働き」高岸泰子、田中寿美子(軽食の用意があります)

2019年3月9日土曜日


牧師の日記から(204

33日(日)主日礼拝。Ⅰヨハネ書簡413-21の講解説教「愛には恐れがない」。この手紙のキーワード「とどまる」「愛」「兄弟愛」といった言葉が連なる箇所。ただ17節に「イエスのように」という言葉が出てくる。この言葉が、後にImitatio Christy(キリストの模倣)の根拠とされていく。すなわち信仰の対象としてのキリストだけではなく、「イエスに倣う」という理解がここから生まれるのだ。礼拝後、定例長老会。イースターや定期教会総会の準備について。

 4日(月)午後からキリスト教会館へ。全館のエアコンを取り換えるための東京電力のプレゼン。メインテナンス契約の経費が思ったより高いので、再検討を依頼する。帰宅して、来週の神学生交流プログラムでの講演の準備。

 5日(火)一日中、書斎に籠って原稿書きの仕事。そこにナザレン神学校から電話が入り、神学生交流プログラムに3名の神学生が参加したいと言ってきた。締め切りを過ぎているが受け容れることにして、関係各所に連絡をする。

 6日(水)午前中、聖書を学ぶ会。サムエル記下11-12章のウリヤの妻バトシェバ問題を取り上げる。それまでのダビデ台頭史では非の打ちどころのない指導者として描かれて来たダビデの赤裸々罪の姿が暴露される。そしてそれはこの後に続くダビデ家の惨劇の原因でありまた出発点とされる。午後、石巻栄光教会の教会員大林健太郎さんが訪ねてくれる。以前、深川教会の時代に転会の手続きをしたので覚えている。現在、石巻で障碍者の作業所を運営している。東日本大震災で被災した石巻栄光教会の再建のために懸命に働いている様子を伺う。鯖缶などの販売に協力したいものだ。農村伝道神学校から電話があり、7月の日本宗教史のシラバスを至急提出するように言ってきた。すっかり忘れていたので、急いでシラバスを作成してメールで送稿。

 7日(木)午前中は東京医科歯科大学病院で術前検査。レントゲン、血液・尿検査、心電図、呼吸機能検査、麻酔科の説明など。順番待ちをする大勢の患者さんたちに囲まれて、まるで流れ作業のような検査体制に複雑な心境。お昼過ぎにようやく会計を済ませて、いったん帰宅し、すぐにキリスト教会館へ。NCAの運営委員会。神学生交流プログラムにスタッフとして協力してくれる丹羽真理恵牧師(弓町本郷教会)と打ち合わせ。

 8日(金)会堂修理の工事が終わり、足場が撤去される。6月のホーリネス弾圧聖会のポスターを確認して送り返す。午後から鎌倉でNCA宗教対話チームのOB会。稲村ケ崎の海の見えるレストランで昼食。元新聞記者、元NHKプロデューサー、元・編集者たちと久しぶりに歓談。夜は、そのまま西片町教会での連合祈祷会に出席。東日本大震災を覚えて、支区祈祷委員会で作成したリタニ―が用いられる。富坂キリスト教センターの紀要の念校を渡されたので、その確認作業。

9日(土)午前中、長老会報告や週報の作成、説教の準備。午後、会堂清掃。合間を見て、原稿書きの仕事。(戒能信生)

2019年3月3日日曜日


2019年3月10日午前10時30分

受難節第1主日礼拝(No50

      司式 橋本  茂  

    奏  黙 想        奏楽 釜坂由里子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編38・1~23(着席のまま)

讃 美 歌  529

聖書朗読  申命記6・10-15

      Ⅰヨハネ書簡5・1-5

祈  祷

讃 美 歌  471

説  教  「世に打ち勝つ信仰」

                戒能 信生師

祈  祷

讃 美 歌  571

使徒信条  (9341A



献  金             戒能 直子

報  告

頌  栄  29

派遣・祝福

後  奏         

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・齊藤織恵、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・聖書を読む会(創世記38130)発題・野口洋子、婦人会総会

2019年3月2日土曜日


牧師の日記から(203

224日(日)主日礼拝。2月最後の礼拝なので、旧約から申命記301520の講解説教「命を選べ」。エレミヤ書29章の捕囚の民に宛てた預言者の手紙と重ね合わせて取り上げた。礼拝後、この1月に亡くなった竹森靜子さんの記念会。詩篇90篇から短い奨励。出席者全員が一言ずつ靜子さんの想い出を語る。松野俊一名誉牧師夫妻も参加された。『羊の群』に靜子さんが書かれた文章を集めて特集号が発行され、出席できなかったご遺族に記念会の報告と共にお送りする。

25日(月)午前中、東駒形教会での月曜会に出席。深川教会の長尾邦宏牧師の発題で松谷好明著『キリスト者への問い』を取り上げる。大嘗祭を控えて天皇制の問題を鋭く指摘している。特に祭祀王としての天皇の役割が現在も連綿と続いている事実が克明に紹介されて参考になる。しかしこの間のキリスト教界の反ヤスクニ運動についての言及が一切ない。また信条やカテキズムによって天皇制と対峙すべきとしているが、戦時下の教会はそれでは闘えなかった事実を受け止める視点が欠けているように思った。

26日(火)朝9時過ぎの新幹線で京都へ。日本クリスチャン・アカデミーの理事会に出席のため。先週の沖縄出張の疲れが取れていないこともあり、日帰りの京都往復はさすがに応える。ただ車中で柄谷行人の『世界史の実験』(岩波新書)を読了することが出来たのは収穫だった。柳田国男を新たな視点から見ている。

27日(水)朝早くから、金井工務店による会堂の補修工事が進められる。10時半からの聖書を学ぶ会でサムエル記下89章を取り上げる。特に、ダビデ王国とアラム人都市国家との緊張関係について考えさせられた。これは士師やサウロの時代には見られなかったことで、ダビデ王国がイスラエル北部に拡大していたことを示す。午後は、来週の長老会のアジェンダ作り。3月の末に入院・手術になったため、総会資料などを早めに準備しなければならなくなった。

28日(木)10時半からキリスト教会館管理組合委員会。3月末の予算総会に私が入院中で出席できないため、委員の皆さんに役割分担をお願いする。NCAの事務仕事を処理し、3月半ばの神学生交流プログラムの準備をする。今回は各神学校から13名の参加。帰宅後、確定申告の書類作成。直子さんが医療費や書籍費の集計をしてくれる。富坂キリスト教センターから紀要の校正が送られてきたので、急いで手を入れて送り返す。併せて先週の沖縄での講演の原稿もメールで送稿。入院までにしなければならない仕事が山積みになっている。

29日(金)朝一番で税務署に確定申告を提出。毎年これが終るとホッとする。『時の徴』の次号に、NCCヤスクニ委員長の星出卓也牧師に大嘗祭についての原稿依頼を書いて送る。その後は書斎に籠もって、神学生交流プログラムでの講演の準備。「私の歩んできた道」と、「宣教論的視点から見る日本キリスト教史」の二つの講演を準備しなければならないのだ。(戒能信生)