2022年12月31日土曜日

 

クリスマス・カードに添えて私たち家族の近況報告

信生は、千代田教会の牧師として8年目。75歳という年齢で、身体のあちこちにガタが来ています。3月には急性高血糖症で2週間余り入院し、10キロほど体重が減りました。その後、医師から指示されて毎日5000歩前後の散歩を続け、現在では平常値に戻っています。そんな中で、ここ数年取り組んで来た故・雨宮栄一先生の遺稿を整理した『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』(新教出版社)を刊行することができました。Zoomによる講座「日本キリスト教史を読む」も継続し、『時の徴』や『柏木義円研究』も粘り強く続けています。そろそろ外部の仕事や責任を整理しようと考えていますが…。

直子さんも71歳になり、教会の薔薇や庭の草木の世話をなんとか続けています。今年は甘柿700個ほど、無花果は300個ほど収穫でき、皆さんに喜ばれました。

嘉信、羊子、謙、清美さんたちも元気で、それぞれの仕事や生活に追われているようです。近くにお越しの際には、是非、声をかけてください。

202212

戒能信生、直子、嘉信、羊子、謙、清美

160-0002東京都新宿区四谷坂町4-34千代田教会

03-3351-4489 Email k-kaino@mvb.biglobe.ne.jp

2022年12月25日日曜日

 2023年1月1日 午前10時30分

降誕節第2主日礼拝(No37

司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-24

讃 美 歌  20

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編66・1-20

讃 美 歌  278

聖書朗読  創世記1・1-5

      ヨハネ福音書13・34-35

祈  祷

讃 美 歌  367

説  教  「新しい掟 互いに愛し合いなさい」

戒能信生牧師

讃 美 歌  368

使徒信条  (9341A

献  金  「日本キリスト教団教誨師会の働き

を覚え」      石井摩耶子

報  告

頌  栄  85(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・大森意索

・少しゆっくりお茶の会(ホール)

 

牧師の日記から(398)「最近読んだ本の紹介」

小林登志子『古代オリエント全史』(中公新書)副題に「エジプト、メソポタミアからペルシアまで4000年の興亡」とある。旧約聖書の背景にある古代オリエントの全体像を、最近の研究を踏まえて俯瞰してくれる。そこにはイスラエル民族や旧約聖書についての記述は、当然のことながらごく僅かしかない。つまり、我々が旧約聖書を通して理解している世界は、古代オリエント史のごく一部でしかないのだ。無文字社会の故に忘れられた様々な民族があり、文字を持ったとしても大国の興亡に巻き込まれて滅亡した国家も数知れない。特に古代のシリアが大国の草刈り場にされて侵略・支配された歴史は、現在も続いている事実に改めて考えさせられた。そのような中で、弱小民族でしかなかったイスラエルの民とその信仰が今日まで伝えられているのは、ほとんど奇跡に近いと言えるだろう。

長谷部恭男・杉田篤・加藤陽子『歴史の逆流』(朝日新書)憲法学・政治学・歴史学の研究者による鼎談。現在のこの国を取り巻く政治状況についての分析と呵責のない批判が展開されている。特に安倍政権、管政権への批判は手厳しい。その上で、改めて戦後70年以上続いたこの国の平和が、今大きな岐路に立たされていることを教えられる。そうこうしているうちに、いつの間にか軍事費が倍増され、原子力発電ヘの依存がさらに拡大されようとしている。暗殺事件によって安倍政権の憑きものが落ちたように見えるが、その後に来る社会の行く末を凝視しなければならない。

永井荷風『断腸亭日乗 上下』(岩波文庫)この二ヶ月ほど、散歩の途中に少しずつ読み進めて、ようやく81歳で亡くなるまでを読み終えた。ずっと以前に一度読んでいるが、改めて読み直して興趣が尽きなかった。折しも新潮社のPR誌『波』に川本三郎の「荷風の昭和」という連載があり、読み合わせて教えられるところが多かった。徹底した個人主義者として、明治・大正・昭和を生きた荷風の生涯に改めて敬服する。早世した荷風の実弟・鷲津貞二郎は、日本基督教会の牧師であり、終生、荷風との関係も良好だった。鷲津牧師の逝去に際して荷風はこう書き残している。「貞二郎は余とは性行全く相反したる人にて、その一生を基督教の伝道にささげたるなり。放蕩無頼余が如きものの実弟にかくの如き温厚篤実なる宗教家ありしはまことに不可思議の事といふべし。」

大岡昇平・石原吉郎「対談 極限の死と日常の死」(現代詩読本『石原吉郎』所収、1978年)友人の柴崎聰さんからコピーを送って貰って読んだ。詩人・石原吉郎は、信濃町教会の信徒で、私が学生の頃、時折ジャンパー姿の石原さんを見かけているが、直接話したことはない。しかしシベリア抑留の体験を記したその文章に、随分大きな影響を受けている。大岡昇平も、晩年の「成城日記」を愛読していたが、この二人が対談していることを知らなかったのだ。考えてみると二人は、あの戦時下で兵士として生死の境をくぐり抜け、俘虜の経験を共有しているのだ。(戒能信生)

2022年12月18日日曜日

 

2022年12月25日 午前10時30分

降誕節第1主日(合同)礼拝(No36

司式 橋本 茂

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編65・1-11

讃 美 歌  267

聖書朗読  イザヤ書45・22-25

      ルカ福音書15・1-

祈  祷

讃 美 歌  200

説  教  「見失った羊を追って」

戒能信生牧師

讃 美 歌  265

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・橋本茂、石井房恵

讃 美 歌  81

献  金              石井寛治

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(合同礼拝に合流)

・ライブ配信担当・荒井眞

・クリスマス愛餐会(司会・野口倢司)

・記念写真撮影

・卓話・岡﨑大祐、長尾有起

・千代田教会アンサンブル演奏

・サンタクロース登場

2022年12月17日土曜日

 

牧師の日記から(397)「最近読んだ本の紹介」

鹿島茂『神田神保町書肆街考』(ちくま文庫)ちくま書房のPR誌『ちくま』に70回にわたって連載された神保町界隈の歴史についての論考。文庫本でも700頁を越える浩瀚なもので、読み切るのに時間を要する。幕末期この地に設置されたの蕃書調所(後の洋書調所)から始まり、それが維新政府による開成所、さらに外国語学校へと至る経緯を初めて知った。これが東京大学ヘとつながるのだが、内村鑑三や新渡戸稲造、徳富蘇峰たちが在籍した東京英語学校との関連も確認することができた。つまり神田から一ツ橋のあたりは、この国の高等教育の発祥地だったのだ。官立大学が本郷等に移転した後、同じ地域に明治、中央、法政、日本、専修などの私立学校が続々と設立され、その周囲に古書店が生まれたという。さらに、外国人のための専門学校も開校され、一時、神保町は中国人留学生の溜まり場になり、そこから維新號を初めとする中華料理店も出来たというのだ。各古書店の歴史については、反町重雄の『古書肆の思い出』が縦横に引用され、戦前から戦後にかけて200を越える古書店が蝟集したこのエリアの歴史と特質が詳細に紹介される。世界でも古書店がこれほど一箇所に集中するの稀という。しかしその神保町が1970年前後から、各大学の郊外移転に伴って空洞化し、由緒ある古書店が次々に店を閉じ、スキー用品店などのメッカになって今日に至る。もともとフランス文学者である著者は、しかし新しい文化の発信地としての神田神保町の再生を願って、自ら新しく書店を開いたという。一度覗きに行ってみることにしよう。

青野太潮『どう読むか、聖書の難解な箇所』(YOBEL)著者から寄贈されて目を通した。前著『どう読むか新約聖書』に続いて、青野「十字架の神学」が、分りやすく展開される。新約聖書の難解とされる箇所や誤解されているテキストを選んで、聖書学の観点から問題を解きほぐし、最後は「無条件で徹底的な神の愛とゆるしの宣言」としてのイエスの福音と「十字架の逆接」で締め括られる。実に丁寧で説得的な展開なのだが、一方でこのような聖書理解から歴史が形成されるのかしらという小さな疑問を抱く。

宮田光雄『われ反抗す、ゆえにわれら在り カミュ「ペスト」を読む』(岩波ブックレット)これも著者から贈られて読んだ。新型コロナウィルス感染症が蔓延する少し以前に書かれているが、カミュの『ペスト』が注目されるにつれて、このブックレットも多くの人に読まれたという。宮田先生は、東北大学の法学部教授の傍ら、仙台の自宅に学生寮を建てて読書指導をしたことで知られる。この小さな書物でも、無神論者として理解されてきたカミュの『ペスト』を再読し、その「反抗においては、人間は他人のなかへ、自己を超越させる」という言葉を取り上げ、ボンヘッファーの獄中書翰「神という作業仮説なしに、この世に生かされる」と並べて、両者の差異と共通点を説き明かしている。(戒能信生)

 

2022年12月11日日曜日

 

2022年12月18日 午前10時30分

待降節第4主日礼拝(No35

司式 戒能牧師

前  奏  黙想     奏楽 梅本順子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242(4節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編64・1-11

讃 美 歌  229

聖書朗読  イザヤ書11・1-10

祈  祷

讃 美 歌  244

説  教  「その日が来れば」

長尾有起牧師

讃 美 歌  236

使徒信条  (9341A

献  金              荒井 眞

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・荒井久美子

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

2022年12月10日土曜日

 

牧師の日記から(396

124日(日)主日礼拝。ルカ福音書133135の講解説教。この福音書独自の伝承にある「今日も明日も、その次の日も」という独特の表現は、主イエスの言い回しの特徴である可能性が高いという。エルサレムでの受難への歩みを象徴する言葉のようだ。礼拝後、アドベント全体祈祷会。長老会では、感染症第8波に備えてのクリスマスの諸集会の準備について改めて話し合われた。十分気をつけながら、24日の燭火礼拝後の野口倢司さんのシチュウは久しぶりに再開することとなった。夕方、散歩。夜は、明日のJBTSの講義の準備。

5日(月)午前中、郵便局に行って912月の対外献金を送金する。その整理をしていて、送り先がズレていたことに気づき訂正する。一件につき110円の手数料が新たにかかるという。その足で若葉町の路地を散歩しているうちに、有名な鯛焼屋「わかば」に行き当たり、お土産に買って帰って直子さんと頂く。夜は聖書神学校の授業で新渡戸稲造を取り上げる。

6日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院内科の受診。各数値は安定しているが、コレストロール値が気になるので、血管のエコー検査をしてみることになった。60歳くらいまではすべての数値に問題なかったのに、この年になると次々に問題が出てくる。これが老化ということかと思わされる。この間、『信徒の友』の編集部より「柏木義円日記」についての連載企画が持ち込まれていた。ラフな叩き台を作成して翻刻者の片野真佐子さんと電話で相談したが、残念ながら今回は断念し、真佐子さんの健康状態の回復を待って新たに挑戦することになる。その旨を、関係者に連絡する。

7日(水)快晴だが風が冷たい。午前中、散歩。1月末に安中教会の新島襄記念礼拝で説教と短い講演を依頼されており、その準備に取りかからねばならない。安中教会の創立者である新島襄は、僅か47歳で亡くなっており、著書と言えるものも一冊もない。しかしその教育者としての影響力には凄まじいものがあり、多くの働き人を育てている。

8日(木)午前中散歩。途中で郵便局に立ち寄り、教会宛に届いていた献金を現金化する。午後からNCAの連続講座「日本キリスト教史を読む」で矢内原忠雄を取り上げる。今や忘れられた存在のようだが、やはり戦後民主主義のオピニオン・リーダーとしてのその存在は大きい。受講者の中に何人か東大教養学部出身者がいて、その当時の様子を聞くことができた。今年の講座はこれで修了し、来年5月から第Ⅲ期(昭和篇)が始まる。仙台の宮田光雄先生と、福岡の青野太潮さんから著書が送られて来て目を通す。今年の我が家のクリスマスカードに署名。年賀状代わりでもあるが、何人もの先輩や友人たちが亡くなっていることに改めて胸を突かれる。

9日(金)午前中、散歩。途中で喫茶店に立ち寄り、永井荷風の『断腸亭日乗』を数日分読む。24日の燭火讃美礼拝のプログラム案をようやく作成して、荒井眞さんと奏楽者の梅本順子さんにメールで送る。(戒能信生)

2022年12月4日日曜日

 

2022年12月11日 午前10時30分

待降節第3主日礼拝(No34

司式 高岸 泰子

前  奏  黙想   奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242(3節のみ)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編63・1-12

讃 美 歌  235

聖書朗読  ゼファニヤ書3・16-20

ルカ福音書14・1-6

祈  祷

讃 美 歌  472

説  教  「帰りなさい」

戒能信生牧師

讃 美 歌  510

使徒信条  (9341A

献  金             橋本悠久子

報  告

頌  栄  92

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」荒井久美子

・千代田教会アンサンブル練習

・ライブ配信担当・荒井眞

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

2:00 北支区按手礼式(王子教会)

2022年12月3日土曜日

 

牧師の日記から(395)「最近読んだ本の紹介」

石川明人『宗教を『信じる』とはどういうことか』(ちくまプリマー新書)著者は立教大学キリスト教学科から北海道大学大学院に進んだ宗教学者で、ティリッヒ研究が専門。ティリッヒが第一次世界大戦の従軍牧師だったことから、キリスト教と戦争の関りについて何冊も本を書いている。そのいくつかを読んで、この人はキリスト者ではないかと予想していたら、本書で初めて?その事実を明らかにしている。「信じる」ことについて実に様々な観点から取り上げていて、興味深く読まされた。一見キリスト教に批判的な問いを提出し、そこから自身の信仰理解が披瀝される。「信徒は、キリスト教の矛盾の歴史や中途半端な実態に耐えなくてはなりません。言い方を換えますと、キリスト教徒であるという自覚やアイデンティティーそれ自体にあまりこだわり過ぎない方がいいと思うのです」と語る。

ノーラ・エレン・グロース『みんなが手話で話した島』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)アメリカ東海岸にマーサズ・ヴィンヤードという小さな島がある。18世紀に入植した人々の間に、聴覚障害者が多数生まれる。遺伝的な特質で、この島の一定の地域で近親婚が繰り返されたこともあり、それは約250年にわたって続いた。その結果、住民たちはごく自然に初歩的な手話を用いてコミュニケーションをはかるようになったという。確かに家族の中に聴覚障害者がいれば、健常者も含めて家族全員が手話でも話すようになるのだろう。文化人類学者である著者が聞き取り調査を進める過程で、しばしば「そう言えば、彼(彼女)は耳が聞こえなかったわね」という証言にぶつかることになる。つまり共同体の中に一定数の聴覚障害がいれば、それは普通のこととして理解され、障害者として受け止められなくなるというのだ。これは障害者と差別の問題に、一つの光を投げかけていると著者は指摘する。つまり障害者が少数者でなければ、障害者差別は乗り越えられるというのだ。深川教会の牧師だった頃、一人の聴覚障碍者が礼拝に出席するようになった。最初筆談を用いたがはかばかしくなく、私は手話教室に通って初歩の手話を学んだ。しかしいろいろな事情で途中で投げ出してしまったことがある。彼を、手話ができる牧師のいる近くのルーテル教会に紹介したが、その後どうしているのだろうか。

高橋源一郎『高橋源一郎の飛ぶ教室』(岩波新書)この著者の文芸評論はいくつかを読んで刺激を受けているが、その小説は読んでいない。毎週金曜日の夜NHKⅠラジオで著者をナビゲーターとする番組がある。本書は、その最初5分間の言葉を収録している。そこで短く語られる本の紹介や、著者の身辺の話題が評判になり、本書が編集されたという。一読して、エッセー集として、また読書案内としても秀逸なことに驚く。著者のアンテナは思いもかけない領域に拡がり、ラジオ放送の言葉を通して、人々を励まし、考えさせる。私自身も学ばされ、考えさせられた。(戒能信生)

 

2022年11月27日日曜日

 

2022年12月4日 午前10時30分

待降節第2主日礼拝(No33

司式 野口 倢司

前  奏  黙想   奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-15

讃 美 歌  242(2節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編62・1-13

讃 美 歌  240

聖書朗読  イザヤ書55・1-7

ルカ福音書13・31-35

祈  祷

讃 美 歌  487

説  教  「今日も、明日も、その次の日も」

戒能信生牧師

讃 美 歌  479

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「北支区ワンドロップ献金

 のために」       橋本悠久子

報  告

頌  栄  92

 

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、定例長老会師

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

2022年11月26日土曜日

 

牧師の日記から(394)『最近読んだ本の紹介』

藤原辰史『歴史の屑拾い』(講談社)このところ早朝に散歩をしていると、各家庭や店舗のゴミが所々にうず高く積まれ、それを東京都の衛生車が収集しているのに出くわす。改めて衛生局の職員たちの働きに頭が下がる思いがする。この本は、藤井誠一郎の『ごみ収集という仕事』の紹介から始まる。そこから、ベンヤミンの『パサージュ論』に言及し、その発想の原点がボードレールの「屑拾いの酒」にあることを教えてくれる。曰く「屑拾いがやって来るのが見られる 首をふり よろめき 壁にぶつかるその姿は まるで詩人のよう」。以前紹介したことのある『中学生から知りたいウクライナのこと』の共著者である若き歴史研究者のエッセー集。もともとはドイツ農業史が専門で、ナチスと農との関りを研究していた人。100年前のスペイン・インフルエンザの集団的記憶が失われた背景を辿り、歴史研究の課題を「屑拾い」と規定する。大きな物語に回収されないように、こぼれ落ちた生の断片を拾い集めて読み解くことに歴史研究者の使命を見定める。教えられ、考えさせられ、共感するところが多かった。

田中小実昌『ポロポロ』(河出文庫)艶笑小説で知られる田中小実昌は、牧師であった実父・田中種助について書いた晩年の小説『ポロポロ』で谷崎賞を受けている。「ポロポロ」は、パウロのことを指すとともに、父や信徒たちの異言を表現している。異言を語る一見熱狂的な父の信仰を、息子の醒めた視線から描いているのが興味深い。ところで、この短編集に収録されている従軍記は、著者自身の中国戦線での壮絶な経験をもとにしている。ところが、そこでは何人もの戦友たちの難死を描きながら、徹底して「物語化」を避けている。戦闘場面は皆無で、過酷な行軍と食糧難、そしてアメーバー赤痢で苦しむ兵卒たちの日常が淡々と描かれる。「大きな物語」に回収されることを徹底して拒み、ただ戦場での兵士たちの日常に密着し続ける田中小実昌の姿勢が印象的。

小塩海平『BC級戦犯にされたキリスト者』(いのちのことば社)以前この欄で紹介したことがあるが、戦時下、日本基督教団から派遣された南方派遣宣教師の一人に、中田善秋という若き牧師がいた。彼は、他の宣教師が帰国した後もフィリピンに残り、軍と現地教会との仲介役を担っていた。その過程で日本軍が約700名の現地人を虐殺したサンパブロ事件に関わったとしてBC級戦犯として訴追され、杜撰な裁判の結果、懲役30年の刑を受ける。その後帰国して巣鴨プリズンに収監され、聖書研究会を組織して『信友』という機関誌を発行していた。この小さな本は、その中田善秋の生涯を追うと共に、釈放後も教会に戻らなかった中田の心情に迫り、教会と私たちの戦争責任を問うている。サンフランシスコ条約後、戦犯たちの釈放運動が遺族会などを中心に展開されたとき、中田一人は「敢えて出所を望まず」として、キリスト者として戦争責任を負うべきだと主張した。しかしその声は当時の教会に響かなかったと言える。(戒能信生)

2022年11月20日日曜日

 

2022年11月27日 午前10時30分

待降節第1主日礼拝(NCAo32

司式 戒能信生牧師

前  奏  黙想   奏楽 釜坂 百合子

招  詞  93-1-47

讃 美 歌  242(1節)

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編61・1-13

讃 美 歌  157

聖書朗読  ルカ福音書21・25-28

祈  祷

讃 美 歌  241

説  教  「身を起こして頭を上げなさい」

長尾有起牧師

讃 美 歌  237

使徒信条  (9341A

献  金              萩原好子

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、入門の会「使徒信条⑤」戒能牧師

・週報等発送作業

・らふぁえる練習

・ライブ配信担当・荒井眞

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

 

 

牧師の日記から(393)『最近読んだ本の紹介』

宮田光雄『良き力に不思議に守られて』(新教出版社)橋本茂さんを通して宮田先生から贈られて一読。比較的最近の講演や説教が収録されているが、宮田先生独特の分かりやすい文章に改めて感銘を受ける。90歳を超えて依然として旺盛な研究意欲を持続し、人々に語りかける姿勢に学ばされた。1400円の小さな書籍で、プレゼントに適している。

谷川俊太郎・正津勉『鶴見俊輔 詩を語る』(作品社)詩人の谷川俊太郎と正津勉を相手に、80歳の鶴見俊輔が自分の生涯と詩との関りを自由に話している。その闊達さがいかにも鶴見さんらしくて、一気に読まされた。そもそも『鶴見俊輔全詩集』が刊行されているなんて知らなかった。鶴見さんは詩人でもあったんだと新しい発見。例えば、「出鱈目の鱈目の鱈を干しておいて 夜ごと夜ごとに ひとつ食うかな」という訳の分からない詩には、鶴見の南方での戦争体験が詠み込まれているというのだ。特に晩年の鶴見の『もうろく帳』に書き付けた断片的な言葉が詩になっていると詩人たちは指摘している。哲学者、あるいは思想家としての鶴見ではなく、ごく自由で自然な鶴見俊輔像に触れることができる一冊。

橋爪大三郎『アメリカの教会』(光文社新書)キリスト教国アメリカの歴史を、植民地時代の各州の政教分離への格闘の歴史に分け入って詳細に論じている。神学者や宗教学者ではなく、社会学者としての著者のアプローチにが独特。「世俗政府と、政府と特別な関係のない諸教会」の組み合わせにこそ、アメリカ合衆国の特徴があり、それはアメリカの影響を受けて成立した日本の憲法と制度的には共通すると指摘する。「曲がりなりにも、自由と人権を基調とする今の世界秩序を維持するために、日本もできることをすること、隠居したアメリカの代わりに、この秩序を支えるつっかえ棒になること。この覚悟と用意が必要」というのが著者の主張。

並木浩一・奥泉光『旧約聖書がわかる本』(河出新書)小説家の奥泉さんは、かつて並木浩一門下の旧約学徒だった。その奥泉さんが、並木先生に聞く形で、旧約聖書のエッセンスを引き出してくれる。対話形式で旧約各書の解説が語られ、しかもテキストを引用して、二人の対話が重ねられるので読みやすい。ただあまりにも分かりやすく語られているので、もっと深堀してほしい部分にはちょっと物足りない感じもする。

青戸教会『創立70周年記念誌』(私家版)青戸教会の高橋克樹牧師から送って来た。青戸教会を創立した中山真多良牧師は、賀川豊彦に影響を受けた人で、戦後の下町伝道では欠かせない人。小さな教会だが、そこから何人もの牧師を輩出しているのだ。戦後すぐの時期、上野のガード下のホームレスへの路傍伝道で、中山牧師は「いつくしみ深き」のメロディに乗せて、独特の替え歌を歌ったという。「母ぎみにまさる 友や世にある 生命の春にも 老いの秋にも 優しく労り いとしみたまふ 母ぎみにまさる 友や世にある」いかにも中山先生らしい歌詞ではある。(戒能信生)

2022年11月13日日曜日

 

2022年11月20日 午前10時30分

聖霊降臨節第25主日礼拝(No31

司式 橋本 茂

前  奏  黙想     奏楽 梅本順子

招  詞  93-1-47

讃 美 歌  32

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編60・1-14

讃 美 歌  397

聖書朗読  サムエル記下5・1-5

ルカ福音書13・22-30

祈  祷

讃 美 歌  560

説  教  「狭き門から入れ」

戒能信生牧師

讃 美 歌  451

使徒信条  (9341A

献  金              野口洋子

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、礼拝堂・ホールの窓拭き作業(婦人会主催)ご協力ください。

・謝恩日献金にご協力ください。

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

 

 

牧師の日記から(392

116日(日)永眠者記念主日礼拝。詩編13篇とダニエル書12513を通して、「主よ、いつまでなのですか」という問いについて取り上げる。この問いは、苦難の神義論(ヨブ記)には出てこない。あくまで実際の苦難の中での具体的・実践的な問いと言える。紀元前2世紀、シリアのセレウコス王朝がユダヤに侵攻し併呑しようとしたとき、祭司や指導者層は圧倒的な軍事力を誇るシリアに降伏しようとするが、自営農民の一部とハシディストたちが立ち上がる。マカベア独立戦争である。3年半に渡る激戦の結果、ローマ帝国の介入もあってシリア軍は撤退し、神殿が回復され祭儀が再開される。その間の絶望的な抵抗戦争の中で、「これらの驚くべきことはいつまで続くのか」(126)という問いが生まれたとされる。現下のウクライナ戦争の帰趨と重ね合わせて考えさせられる。永眠者のご遺族たちが何人も出席された。礼拝後、定例長老会。8月に96歳で亡くなった故・中谷芳枝さんの記念礼拝を、ご遺族の希望もあり来週の主日礼拝後に実施することとなった。夕方、散歩に出る。夜、古い教会の資料に中谷芳枝さんの記録がないか捜し回って、ようやく松野俊一牧師の時代の機関紙『からし種』に、中谷さんの言葉がひと言引用されるのを発見する。

7日(月)午前中、散歩。このところ定番化している旧鮫ヶ橋貧民街の露地を抜けて二葉乳児院に出るコース。そう言えば40年ほど前、この乳児院を初めて訪ねたとき、園長から赤ちゃんを三歳まで預って養育する家庭を捜していると聞いて、早速直子さんに提案したところ、あっさり却下されたことを思い出した。実際に世話をするのは直子さんだということを見抜かれたのだ。夜は目白の神学校で授業。西川穂神学生に11月の奨励金を手渡す。巣鴨ときわ教会での実習をさらに半年延長したいとのこと。

8日(火)午前中、散歩。四谷駅前のコモレ・ビルの裏手の一等地が長く空き地になっていたが、アイルランド大使館が移転してくることになり、新築工事が始まるという。コロナ禍の不況が言われているが、散歩する途中でしばしば工事中の家を見かけることが多い。

9日(水)聖書を学び祈る会で、マタイ福音書141530の「タラントの譬」を取り上げる。午後、散歩。須賀神社前の「珈琲日記」という喫茶店に立ち寄る。高級な珈琲専門店で、おいしい珈琲を飲ませてくれる。

10日(木)午前中は、散歩と午後からの講座の準備。直子さんが、中谷芳枝さんの資料を、千代田教会のごく初期の礼拝出席者名簿に見つけてくれる。佐藤美枝子・芳枝の姉妹が昭和22年に受洗していることも確認できた。午後2時からNCA連続講座「日本キリスト教史を読む」で植村環を取り上げる。夕刻、中谷芳枝さんのご遺族に電話をし、芳枝さんのご家族のことや歩んで来た道についてインタビュー。

 11日(金)11時から門前仲町の歯科医で治療。帰宅後は、故・中谷芳枝さんの記念礼拝の準備。讃美歌を梅本順子さんに連絡。(戒能信生)

2022年11月7日月曜日

 

2022年11月13日 午前10時30分

聖霊降臨節第24主日礼拝(No30

司式 石井 房恵

前  奏  黙想    奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-47

讃 美 歌  32

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編59・1-18

讃 美 歌  444

聖書朗読  出エジプト記3・1-12

ルカ福音書13・18-21

祈  祷

讃 美 歌  446

説  教  「からし種の譬」

戒能信生牧師

讃 美 歌  404

使徒信条  (9341A

献  金             常盤 陽子

報  告

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、故・中谷芳枝記念礼拝

・ライブ配信担当・荒井誠

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。、水分補給にご利用ください。

・千代田教会アンサンブル練習

2022年11月6日日曜日

 

牧師の日記から(391

1030日(日)主日礼拝。ヨエル書31-5の講解説教「老人の夢、若者の幻」。旧約聖書の小預言書を取り上げて学んでいる。ヨエルは旧約聖書の中でも最も遅い時期の預言者とされる。捕囚後のこの時期、預言者の活動はほとんど見られない。ペルシアの圧制下で預言活動も禁じられ、黙示的な象徴表現で語る以外になかったと考えられている。その意味でヨエルは黙示文学的預言者と言われている。夢や理想が見捨てられる時代にこそ、「老人は夢を見、若者は幻を見る」ことが求められている。礼拝後、次週の永眠者記念礼拝の会場設営。礼拝堂の壁一面に永眠者の写真が掲げられる。今年は新たに、保志治子、生嶋ひろみ、中谷芳枝さんたちの写真が加わった。午後、四ッ谷からホテルニュー大谷まで散歩。

31日(月)午前中、東駒形教会での月曜会に参加。山口雅弘著『ガリラヤに生きたイエス』について酒井薫牧師の紹介と発題。すぐに帰宅して、1時から横森智子さんのZoom講座「キリスト教と美術」を視聴。14世紀以降の北方ルネサンス絵画が取り上げられる。夜は聖書神学校の授業。この日は植村正久について講義。大森意索さんも聴講されて、帰りのバスの中でいろいろ話し合うことが出来た。帰宅後、すぐに明日の納骨式の準備。

111日(火)午後から小平メモリアルガーデンで、故・生嶋ひろみさんの納骨式をご親族やお友だちと共に。帰りに近くのファミリー:レストランに寄ってお茶を頂く。なんとロボットが配膳するのにびっくり。ご遺族の川井徳寛さんが画家ということは聞いていたが、ヤン・ファン・エイクばりの細密画を描いていると知って驚く。昨日、横森智子さんの講座で学んだばかり。帰宅して少し休んでから、夕方、散歩。夜は、柏木義円公開講演会の発題講演の準備。ようやくレジュメを仕上げて、関係者に送稿。

2日(水)早朝、散歩。来週の長老会のアジェンダを作成して、長老の皆さんに送付。北支区連合祈祷会の来年度の奨励者の選定と交渉を電話で。この間リモートで連合祈祷会を実施してきたが、来年度は4回ほど対面・ハイブリット方式を導入することになる予定。新型コロナ感染症の第8波が緩やかなものだといいのだが。

3日(木)朝、散歩。このところ、散歩の途中で喫茶店に立ち寄り、永井荷風の『断腸亭日乗』を拾い読みしている。特に昭和に入り、50歳を超えて自らの老いと落剥の身を嘆く部分に共感する。荷風の散策の途中での情景描写にも惹かれる。11月の月曜会に、『ガリラヤに生きたイエス』の著者・山口雅弘さんに参加を依頼して、快諾のメールを受け取る。

4日(金)朝、散歩。来週のNCA連続講座『植村環とその時代』の講義の準備。なんとか講義レジュメを作成して、担当者に送付。夜は北支区連合祈祷会にZoomで参加、奏楽を担当。明日、インドネシアに語学教師として出発される西村正寛さんに電話。ビザの関係で、3月には一時帰国される由。旅の無事と赴任先での働きのために祈る。(戒能信生)