2022年8月28日日曜日

 

2022年9月4日 午前10時30分

聖霊降臨節第14主日礼拝(No21

司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  3

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編50・1-23

讃 美 歌  412

聖書朗読  イザヤ書5・1-7

ルカ福音書12・54-56

祈  祷

讃 美 歌  443

説  教  「時を見分けるために」

戒能信生牧師

 

讃 美 歌  515

使徒信条  (9341A

献  金            石井 寛治

報  告

頌  栄  86(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森意索、奏楽・戒能直子

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝後、定例長老会

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給

 にご利用ください。

 

 

2022年8月27日土曜日

牧師の日記から(381)「最近読んだ本の紹介」

加藤陽子『歴史の本棚』(毎日新聞社)日本近現代史が専門で、『それでも日本人は戦争を選んだ』で知られる著者の書評集。歴史研究者がどのような本を読んでいるのかが垣間見えて興味深かった。取り上げられている50冊以上の書物の内、私自身が読んだものはほんの数点でしかない。その幅の広さと、書評の腕に舌を巻く。石井寛治さんの専門的な研究『帝国主義日本の対外戦略』も取り上げられているが、簡にして要を得た紹介と評価の仕方に感服する。この書評のお陰で堅い専門書が増刷されたそうだ。

内澤旬子『カヨと私』(本の雑誌社)小豆島に移住して、雌山羊のカヨを飼い始めてからの顛末が描かれる。この著者は、かつて『世界屠畜紀行』や『飼い喰い』を書いた人で、その最後はどうなるのか(食べてしまうのではないか?と)ハラハラしながら読まされた。カヨと家族のように暮らすうちに、繁殖力の旺盛なカヨは次々に子どもを産み、ついには7頭にまで増える。その山羊たちとの交友がなかなか興味深い。実は、私自身も小学生の頃、一頭の山羊を飼っていた。餌やりから、散歩、乳搾り、山羊小屋の掃除に至るまで、私の担当だった。山羊を連れて登校する途中、土手などの草場に繋いでおき、下校時にロープが絡んで動けなくなっているのを助け出して下校する。乳を搾り、煮沸して牛乳瓶に入れ、近所の結核療養所に持って行くと、一本10円で買ってくれた。それがお小遣いだった。山羊を飼っていた少年時代を遥かに思い出しながら、楽しんで読んだ。

高野慎三『貸本屋と漫画の棚』(ちくま文庫)1950年代から60年代半ばにかけて、全国に3万軒近い貸本屋があったという。その本棚には、大衆小説と並んで、子ども・少年向けのマンガがあった。戦後すぐの時期、子どもたちのほとんど唯一の娯楽であった街頭紙芝居がテレビに追われて衰退し、その描き手たちが貸本漫画の制作を始める。その中からいわゆる「劇画」が生まれ、その後のマンガ全盛期を準備する。貧しい勤労青年や若者たちがその読み手であり、貸本屋の利用者だった。著者は有名な漫画誌『ガロ』の編集者として、その時代と並走して来た経験から、当時「悪書追放」運動の的とされた貸本漫画に注目し、その作家たち(白戸三平、水木しげる、つげ義春等々)の情念を戦後の時代を映す断面として分析している。私自身も中学生から高校生の頃、近くにあった貸本屋を時々利用していた。家にはない大衆小説の類(例えば源氏慶太や柴田錬三郎等)を借りて読んだ。また本書で紹介されている初期の貸本漫画も覚えている。

鶴見俊輔『敗北力(増補版)』(SURE)この夏は、鶴見俊輔の晩年の著作を集中的に読んだ。一般書店で販売されていないので、京都の出版社SUREから羊子が取り寄せてプレゼントしてくれたのだ。Later Worksと題された短いエッセーが収録されており、当方も晩年を迎えてある切実さをもって読まされた。特に、桑原武夫、森毅、神谷美恵子、丸山眞男、梅棹忠夫といった人々との交友録と端的な人物評に感銘を受けた。(戒能信生) 

2022年8月21日日曜日

 

2022年8月28日 午前10時30分

聖霊降臨節第13主日礼拝(No20

司式 石井 房恵

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  2

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編49・1-21

讃 美 歌  134

聖書朗読  詩編22242224

ヨハネ福音書19・30

祈  祷

讃 美 歌  297

説  教  「嘆きから賛美へ」

西川穂神学生

 

讃 美 歌  390

使徒信条  (9341A

献  金            橋本悠久子

報  告

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

l  教会学校(休校)

l  ライブ配信担当・荒井眞

l  礼拝後、入門の会「使徒信条②」戒能牧師

l  週報等発送作業

l  CS教師会

l  礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

 

2022年8月20日土曜日

 

牧師の日記から(380)「最近読んだ本の紹介」

内海愛子、他編『復刻「信友」』(不二出版)BC戦犯として巣鴨プリズンに収容されていたキリスト者たちが発行していた機関誌『信友』がついに復刻された。その中心にいた中田善秋は、日本基督教団から南方派遣宣教師の一人としてフィリピンに派遣されたキリスト者である(派遣当時は日本神学校の神学生だった)。中田は、現地の教会と日本軍との間に立ってその融和のために働いていたが、いわゆる「サンパブロ事件」(日本軍による住民虐殺事件)に関わったとして30年の有罪判決を受け、巣鴨に移送されて来ていた。彼は、同信の友と語らって収容所内で聖書研究会を始め、『信友』を発行し続ける。そこでは、多くの戦犯たちが早期釈放を求める中で、BC級戦犯裁判の杜撰さと非道を訴えながらも、自らの戦争責任を凝視して、安易な釈放運動に距離を置く姿勢を示している。1955年に釈放されるが、自分たちを見捨てた既存の教会には戻らなかった。ある意味で教会の、そして私たちの戦争責任を問う極めて重要な証言群と言える。中田の逝去後、この貴重な資料が、BC級戦犯の問題に取り組んでいた内海愛子さんに託されたというのだ。実は、数年前鈴木玲子さん(元NCC議長)と内海愛子さんがわざわざ千代田教会を訪ねてくれたことがある。その時、内海さんから『信友』などの膨大な資料の存在を知らされ、その共同研究や復刻に協力を求められた。ただその当時は、私自身の健康上の問題とこれ以上仕事を増やすべきではないと考え、自分はその任ではないとお断りした経緯がある。そのことがずっと心に引っかかっていた。その後、山川暁や豊川慎、小塩海平の諸氏の協力を得て、不二出版から復刻される運びになったのだ。その「総目次」と「解説」に目を通して、その復刻を喜びながら、自分が協力できなかったことを忸怩たる想いで顧みている。

鶴見俊輔『日本思想の道しるべ』(中央公論社)鶴見俊輔生誕100年を記念して、主に1960年代の文章を集めて刊行された。半世紀以上昔の文章であるにもかかわらず、2022年現在のこの国が依然として抱える問題や思想の課題が鮮やかに照射されることに改めて驚く。文章が全く古びておらず、読む者を喚起させる力をもっている。中でも、新渡戸稲造を取り上げた「日本の折衷主義」に多くを教えられ、考えさせられた。新渡戸は、言うまでもなく一高校長や東大教授、東京女子大学長を務め、国際連盟事務局次長を担ったクェーカー教徒である。自らの学派のようなものは作らなかったが、多くの学生たちに人格的な影響を与えている。著者の父・鶴見祐輔もその一人であり、したがって鶴見の新渡戸批判は、そのまま政治家であった父・祐輔、さらに新渡戸に影響を受けた官僚や政治家たちへの批判につながっている。新渡戸の思想の中心を「修養の勧め」とその「折衷主義」に読み取る著者は、折衷主義を一義的に否定しない。しかし状況に流される折衷主義ではなく、個人に根差したパーソナルな「折衷」の可能性を、新渡戸の挫折から引き出すべきとしている。(戒能信生)

2022年8月14日日曜日

 

2022年8月21日 午前10時30分

聖霊降臨節第12主日礼拝(No19

司式 高岸 泰子

前  奏  黙想      奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  2

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編48・1-15

讃 美 歌  518

聖書朗読  イザヤ書54・1-10

ルカ福音書12・49-52

祈  祷

讃 美 歌  496

説  教  「火を投じるために」

               戒能信生牧師

讃 美 歌  545

使徒信条  (9341A

献  金            荒井久美子

報  告

頌  栄  46

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2022年8月13日土曜日

 

牧師の日記から(379)「最近読んだ本の紹介」

大貫隆『ヨハネ福音書解釈の根本問題』(YOVEL)ヨハネ福音書研究で知られる大貫さんの近著。ご自身の研究者としての歩みを振り返りながら、著者のヨハネ論の総まとめをしてくれる。無教会研修所での講座を一冊にまとめたもので、ブルトマン、ケーゼマン、ボルンカムといった先行研究の特徴を判りやすく整理した上で、著者の立場から批判的に検証する。そして新約聖書学の歴史的・批判的研究を踏まえた上で、ガダマーの解釈学を援用し、ヨハネ福音書の構造を明らかにする。これまで発表してきた内容と重なるが、歴史的・批判的研究に留まらず、さらに言語論、解釈学に分け入って行かざるを得なかった経緯と理由が説き明かされる。正直に言って、ガダマーの難解な解釈学の部分は十全に理解できたかどうか覚束ないのだが、それでもイエスの生きた歴史と、それを伝承として受け止めたヨハネ共同体の現実、さらに時空を越えてそれを読み取ろうとする現在とを架橋する「地平の融合」という問題意識を感じ取ることが出来た。特に、ヨハネ共同体に吹いていた聖霊(parakletos)を私たちへの問いかけとして受け止める姿勢に新たなヒントを与えられた。著者がまだ東大西洋古典の院生だった頃、親しくギリシア語文献の読解や聖書学の手ほどきをしてもらったことがある。大貫さんの研究を下敷きにして、ヨハネ福音書9章の構造分析に関する論文も書いている。私たちの勉強会にも度々来て頂いた。その誠実な研究者の姿勢に心から敬意を覚える。

平野千果子『人種主義の歴史』(岩波新書)大航海時代に始まり、啓蒙時代を経て現在に至るまでの「人種主義(racism)」の変遷とその問題を総ざらいしてくれる。つまりヨーロッパ人が大航海時代にアフリカやアジア、さらに南米で様々な「異人種」と出会い、彼らをどう理解するかから「人種主義」が始まったという。それは新たな「奴隷制」の始まりであり、同時に自らの存在をどう理解するかに跳ね返ってくる。そこからナショナリズムが興り、「異民族」への差別や蔑視が始まり、黄禍論や反ユダヤ主義が生れる。それが苛烈な植民地支配と、20世紀になるとナチスのホロコーストへと至り、現在も様々なヘイト・クライムへと再生産されている。この「人種主義」に、それぞれの時代の哲学や医学、博物学がどのように関与したかについても明らかにされる。一つ教えられたのは、18世紀以降のイギリスのインド・ブーム。東インド会社のスタッフだったマックス・ミューラーの「リグ・ヴェーダ」研究から宗教学・比較宗教学が始まったとされるが、その文脈を初めて了解することが出来た。それはまさに「異人種」をどう理解するかという問題意識だったと言える。しかも、そこからヨーロッパ人の起源がインドにあるという「アーリア人」仮説が生れ、さらに言語学では「インド・ヨーロッパ語族」の発見?に結びつき、そして最後にはアンチ・セミティズムへと至る流れを理解することが出来た。

(戒能信生)

 

2022年8月14日 午前10時30分

聖霊降臨節第11主日礼拝(No18

司式 橋本  茂

前  奏  黙想      奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  2

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  詩編47・1-10

讃 美 歌  417

聖書朗読  申命記10・12-22

ルカ福音書12・35-48

祈  祷

讃 美 歌  472

説  教  「眼を醒していなさい」

               戒能信生牧師

讃 美 歌  475

使徒信条  (9341A

献  金             荒井 眞

報  告

頌  栄  46

派遣・祝福

後  奏 

 長尾有起牧師就任式

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・ライブ配信担当・大森意索

・礼拝後、「私の愛唱讃美歌」高岸泰子

・礼拝堂の後方に飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2022年8月6日土曜日

 

牧師の日記から(378

731日(日)この日は、浦安教会に招かれて礼拝説教の奉仕。引き続き「戦争責任告白と私たちの教会の課題」と題して1時間の講演。感染症が拡大する中で、多くの教会員が参加してよく聞いてくれた。この教会の皆さんには、亡くなった父や母がお世話になり、姉夫婦や妹夫婦も教会員で、親しい人々が多い。集会後、大野朝男・寿子さん宅に招かれ、懇親のときをもつことが出来た。千代田教会のこの日の礼拝は長尾有起牧師が説教を担当。夜、北支区社会部の中川信明さんからメールが入り、2019年に社会部の依頼でした講演「キリスト教と天皇制 ホーリネス弾圧に学ぶ」を報告書に掲載したいとのことで、PCから原稿データを探し出して送稿。

81日(月)熱暑の一日。午前中散歩に出るが、日陰を探して歩かねばならない状態で、4000歩余りで切り上げる。帰宅して水シャワーを浴びる。午後から書斎に籠もり、雨宮栄一先生の遺稿『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』の校正に取り組む。校正作業の常とは言え、読み返す度に修正箇所が出てくる。この仕事に取り組む中で、実に様々なことを学ばされた。

2日(火)昨日に引き続き熱暑が続く。朝7時過ぎに家を出て散歩。津之守坂の丸橋珈琲店に寄りコーヒーを飲む。陽が射し始めるともう暑い。帰宅後、『時の徴』で連載を始める「高倉徹総幹事日記」の原稿整理。最も厄介な翻刻作業は、当時総幹事秘書だった青地恵さんにお願いしているが、その校訂や註を付ける作業。高倉先生が総幹事に就任した19694月以降の教団の激動期の記録であり、教団史の観点からもきわめて興味深い。午後からNCAの理事会にZoomで参加。10月初めに故・シュペネマン先生の記念会を、京都のセミナーハウスで一泊二日で開催することになった。感染症が少し落ち着いて参加できればいいが。

3日(水)聖書を学び祈る会は、8月中はお休みにしている。感染症の拡大とこの猛暑の中、高齢の参加者を考慮してのこと。午前中散歩。新教出版社に初校直しを返送。『時の徴』の「機構改正の問題点」の原稿に手をつけるがなかなか進まない。戦後、教団の機構改正は何度かあったが、今回の提案は教団総会議員の定数減など、財政難への対応としての縮小案のみ。理念なき機構いじりは、組織衰退の証しではないだろうか。

4日(木)この日は曇り空で暑さが少し和らぐ。午前中散歩。来週の長老会のアジェンダ作り。『時の徴』に掲載する井上良雄先生の小説教の翻刻作業。いつもながら井上先生の文章に励まされる。70年前の説教だが、今読んでも力がある。こういう説教をしなければならない。先日の浦安教会での講演を、浦安通信に掲載するために少し短縮する作業をして送稿。

5日(金)午前中、医科歯科大学病院の皮膚科を受診。ジンマシンはほぼ治まっており、難治性ではないが、なお投薬を続けるとのこと。長老の皆さんに長老会アジェンダ案を送付。夜は、北支区連合祈祷会にZoomで参加して、短い奨励「平和の種は蒔かれている」。(戒能信生)