2024年4月13日土曜日

 

 牧師の日記から(464)「最近読んだ本の紹介」

高階秀爾『エラスムス 闘う人文主義者』(筑摩選書)国立西洋美術館や大原美術館の館長を歴任した高名な美術史家である著者がエラスムスの評伝を書いたというので一読した。なんと半世紀以前、大学紛争の余燼冷めやらぬ時期に、ある雑誌に連載したものが元になっているという。著者があの時代の雰囲気の中でエラスムスに仮託して考えていたことを披瀝しているのだ。宗教改革の嵐が吹き荒れた時代に生きた稀有な人文主義者エラスムスの生涯を、その肖像メダルに刻まれた「CONCEDO NULLI(我、何者にも譲らず)」という標語を軸に読み解いている。エラスムスは、当時のカトリック教会の堕落を痛烈に批判し、ルターたち宗教改革者を評価するが、しかしそのどちらにも距離を置く独自の立場を貫こうとした。結果としてその両者から非難され、優柔不断、日和見主義者、卑怯者というレッテルを貼られて、孤立の内に死んだとされる。しかし著者は、そのエラスムスに自らの位置を重ねる。すなわち当時の学生運動の熱気に、正義を求める熱狂主義を見て、それに対してフマニストとして一定の距離を置こうとする。キリスト教や神学の立場からではなく、美術史の視点から、あえてエラスムスに自らを重ねようとしている。

和田春樹『回想 市民運動の時代と歴史家』(作品社)和田春樹さんは、ロシア史の専門的な研究者で、東大社会科学研究所の所長も務めた人。だが私たちの間では、ヴェトナム戦争反対の市民運動を共に担い、さらに韓国民主化闘争支援の運動を牽引した運動の仲間だった。この『回想』で取り上げられている時期、私は和田さんの活動範囲のすぐ近くにいて、会議でもしばしば一緒になったし、共にデモで歩いたし、何度も講演を聞いている。だから19671980年のこの時期の和田さんの活動の多くを、同時代人としての共感をもって読むことが出来た。そして難しい政治判断が求められた時の和田さんの誠実さを肌身で感じてきた。10年ほど前、池明観先生の感謝とお別れの会を主催したとき、シンポジストの一人に和田さんをお願いし、その時初めて個人的に言葉を交わした。私の質問「当時の市民運動の中で、さぞ忙しかったでしょうに、ロシア史の勉強を続けていましたか?」和田さんの答え「勉強していましたよ。」この本を読みながら、さもありなんと思わされた。

 ハルノ宵子『隆明だもの』(晶文社)吉本隆明の長女である漫画家のハルノ宵子が、晶文社刊の『吉本隆明全集』の月報に連載したものに、妹の作家吉本ばななとの対談を加えて一冊にしたもの。吉本主義者や吉本ファンの視点ではなく、家族の位置から最晩年の吉本の日常生活が率直に明かされている。吉本隆明という存在は、私たちの世代には一種神話化されているところがあるが、それを小気味がいいほど徹底的に解体してくれる。その上で、書いたものとその生活が重なっているという一点でこそ、父親を認め評価しているところがすばらしい。(戒能信生)

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