2024年4月27日土曜日

 

 牧師の日記から(466

421日(日)主日礼拝。復活節に入っているが、読み残しているルカ福音書231-12の講解説教「ピラトの法廷」。総督ピラトの尋問に加えて、領主ヘロデの取り調べをこの福音書だけが付け加えている。イエスが、総督ピラト、領主ヘロデという政治的権力者と対峙したことが記される。私たちキリスト者は否応なく政治的局面に引きずり出されることがあるのだろう。「使徒信条」の「ポンテオ・ピラトのもとに苦しみを受け」という表現について、K・バルトが「聖なる場所に犬が迷い込んできたように」と揶揄しているが、私たちは政治と決して無縁でなく、好むと好まざるに関わらず政治的責任を負わされているのではないか。

22日(月)午前中は月曜会のため東駒形教会へ。この日は、大貫隆さんの『贖罪信仰の起源と変容』の最後の部分を、私が紹介する。原始キリスト教において「贖罪信仰」がどのように生まれ継承されたのかについて、精密な大貫仮説が展開されている。特に「贖罪信仰では罪は論理的にイエス・キリストの贖罪死よりも先にあり、後ろから来るそれによって贖われる。ところが存在の破れとしての罪はイエス・キリストの犠牲死と同時かつ一体である他はない。そこで伝統的な贖罪信仰の底が割れる」という説明には心から同意し感銘を受けた。これは私自身がE・ブルンナーの『我等の信仰』から読み取った贖罪信仰理解と通底するのだ。

23日(火)午前中、錦糸町の賛育会病院で内蔵のエコー検査と胃カメラ検査を受ける。毎年この時期の慣例になっているが、取り敢えず癌等の存在は確認されないとのことでホッとする。

24日(水)午前中、キリスト教会館に行き、7階のテナントのことで関係者と折衝する。教会婦人会連合が退去するのに伴い、入居を希望する団体との交渉。厄介だがNCAの大切な収入源でもあるので看過できない。一連の経過を、京都の法人本部にメールで報告。

26日(金)午後、目白の聖母ホームに杉森澄子さんを訪ねる。この施設に入所されてから初めての訪問。感染症のため面会が制限されて来たが、ご主人の彰さんの了解を得てようやく面会が可能になった。車椅子の澄子さんは、思ったよりお元気そうで、ホームでの生活の具体的な困難や、その中で頑張っておられることを話してくれた。教会から送られる週報等を丹念に読んでおられて、この欄に私が紹介した書籍のいくつかを読みたいと所望される。次回にお持ちすることを約束した。聖母ホームは、都内の老人施設の中で最も評価の高い施設だが、医師として長年働き、自立心に富む澄子さんにしてみれば、規制ばかり多くて、患者本位になっていないということのようだ。これから時折訪ねることを約束する。帰りに日本聖書神学校の図書館に寄り、改めて会員登録をする。これまでは講師として制限なく利用できたのだが、講師を退任したので、年間2,000円の登録料を払って利用することになる。(戒能信生)

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