牧師の日記から(493)「最近読んだ本の紹介」
古屋安雄『私の歩んだキリスト教』(キリスト新聞社)書斎の本棚の片隅に見つけたので目を通した。部分的に読んだ記憶があるので、『キリスト新聞』に連載されたとき断片的に読んだのかも知れない。上海に生まれ、日本に引揚げてから自由学園を経て東京神学大学を卒業。アメリカに留学してプリンストンに学び、バーゼルでK・バルトのゼミに参加するなど、恵まれた学生生活を送っている。帰国後は国際キリスト教大学(ICU)の牧師兼教授として多方面で活躍された。私も賀川豊彦研究の関係でいろいろお世話になり、賀川献身100年プロジェクトの際に出版された『日本キリスト教史における賀川豊彦』で、大木英夫先生と共に対談している。本書でも、宣教論の関係で私の論文が?付きで引用されている。古屋先生は、世界のキリスト教や神学の潮流を見渡しながら日本の教会の課題について広い視点から貴重な発言を続けられた。もうこういう存在はいなくなったと言えるだろう。
半藤一利『安吾さんの太平洋戦争』(ちくま文庫)敗戦直後の時代、文藝春秋社に入社したばかりの若き編集者として流行作家・坂口安吾と初めて出会い、その薫陶を受けた半藤さんが、昭和10年頃から敗戦前後までの坂口安吾の日常生活や作品を丁寧に追っている。無頼派の作家として知られる坂口安吾について、私はほとんど読んでいないので、時流に流されないこのような作家がいたのかと驚きをもって読まされた。巻末に、歴史探偵・半藤さん自身が、偽作「安吾巷談」として安吾に成り代わって靖国神社を痛烈に批判している。
伊藤比呂美編『石垣りん詩集』(岩波文庫)詩人の伊藤比呂美さんの編で石垣りんの詩を読み直し、これまでとはまた別の感銘を受けた。特に職場での組合活動の詩、あるいは女手一つで家族を養う日々からの痛切な吐露に、詩を書くことによって自らを支えたこの詩人の姿勢を見る想いがした。自分の詩の中で何度もご自身の名前が繰り返されている事実にも初めて気づかされた。短い詩を一つ紹介する。
「表札 自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる/自分の寝泊まりする場所に/他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない/病院へ入院したら/病室の名札には石垣りん様と/様が付いた/旅館に泊まっても/部屋の外に名前は出ないが/やがて焼き場の鑊にはいると/とじた扉の上に/石垣りん殿と札がかかるだろう/そのとき私がこばめるか?/様も/殿も/付いてはいけない/自分の住む所には/自分の手で表札をかけるに限る/精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい。」
(戒能信生)