2024年11月10日日曜日

 

2024年11月17日 午前10時30分

聖霊降臨節第27主日礼拝(No.29)

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想      奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  136・1-26

讃 美 歌  106

聖書朗読  申命記18・15-19

      ガラテヤ書2・15-16

祈  祷

讃 美 歌  325

説  教 「イエス・キリストへの信実」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  433

使徒信条  (9341A

献  金             常盤 陽子

報  告  

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

礼拝後、オリーブの会「写真の撮り方 入門編」野口倢司(軽食の用意あり)

らふぁえる練習

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年11月9日土曜日

 

 牧師の日記から(494)「最近読んだ本の紹介」

チョ・ナムジョン『82年生まれ、キム・ジョン』(ちくま文庫)2016年に発行された本書は、韓国で100万部を超えるベストセラーになったという。現代韓国の女性が置かれた状況を、幼児からの育てられ方、小中高での学校生活、さらにその後の大学受験、キャンパス生活の実際、就職、そして結婚、出産、育児などの具体的な例を、ルポルタージュ的な手法で分りやすく小説化している。儒教の影響が社会全般に強固に残っているため、男尊女卑の慣習が日本によりも根強い現状が活写される。私自身も、韓国に何人か友人がいるが、その女性に対する接し方に疑問を抱くこともあった。1980年代に日韓教会青年交流のチャプレンとして訪韓したとき、協議会の食事の後片付けを専ら女子学生たちにさせて、男子学生たちはその隣で駄弁っているだけなのに抗議して、日本から参加した男子学生たちで食器洗いをしたら、韓国側の女性たちから大いに感謝されたことが印象に残っている。日本にも女性差別やミソジニー(女嫌い)が頑強に残っているが、ここまで酷くはないと感じさせられた。しかしその韓国の方が、女性大統領にしても、女性国会議員の数にしても、女性活躍度指数では、今や日本を遙かに陵駕している現実をどう考えるべきだろうか。

最相葉月『母の最終講義』(ミシマ社)この欄でも紹介したことがあるが、著者はこの国で圧倒的な少数者であるキリスト者たちの存在を『証し 日本のキリスト者』という大きな本で取り上げた作家。そのエッセー集というので目を通した。母上の介護の経験や、コロナ禍での様々な出会いなど多岐にわたるテーマが達意の文章で描かれる。特に30年にわたる母上の介護の様々な局面と経過が印象に残った。認知症になった母親が次々に起こすトラブルを、「母の最終講義が始まった」と受け止める姿勢に共感を覚えた。私自身も、父と母の最期を看取った時、死に方を私たちに教えてくれていると痛感したからだ。

藤原マキ『私の絵日記』(ちくま文庫)若い頃、つげ義春の漫画を愛読していた。独特の世界観と特異な絵に惹かれていたのだ。そのつげ漫画に時折夫人が登場する。つげ夫人が唐十郎の主催していた状況劇場の女優藤原マキだということは、なんとなく知っていた。しかし彼女がその子育て等の日常生活を絵日記に描いていたことは知らなかった。その絵日記が、不思議なことにつげ義春と共通する雰囲気があって面白い。まるで小学生の描く絵日記のように稚拙なのだが、大まじめに描いているのに好感がもてる。息子の正助の育児日記でもあり、夫のつげ義春の病気(周期的なうつ病)との付き合い方が淡々と描かれて興味深い。疲れたときに何だか癒やされる一冊。(戒能信生)

2024年11月4日月曜日

 .

2024年11月10日 午前10時30分

聖霊降臨節第26主日礼拝(No.28)

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想      奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-

讃 美 歌  12

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  135・1-21

讃 美 歌  165

聖書朗読  ヨナ書2・1-11

      マタイ福音書20・1-16

祈  祷

讃 美 歌  418

説  教 「後にされた人たちへ」

               大森意索神学生

讃 美 歌  444

使徒信条  (9341A

献  金             津金 寿子

報  告  

頌  栄  90

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・内山央絵

礼拝後 お茶の会(説教への応答)

・茨木啓子さん訪問(戒能牧師、常磐陽子、内山央絵)

礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2024年11月2日土曜日

 

 牧師の日記から(493)「最近読んだ本の紹介」

古屋安雄『私の歩んだキリスト教』(キリスト新聞社)書斎の本棚の片隅に見つけたので目を通した。部分的に読んだ記憶があるので、『キリスト新聞』に連載されたとき断片的に読んだのかも知れない。上海に生まれ、日本に引揚げてから自由学園を経て東京神学大学を卒業。アメリカに留学してプリンストンに学び、バーゼルでK・バルトのゼミに参加するなど、恵まれた学生生活を送っている。帰国後は国際キリスト教大学(ICU)の牧師兼教授として多方面で活躍された。私も賀川豊彦研究の関係でいろいろお世話になり、賀川献身100年プロジェクトの際に出版された『日本キリスト教史における賀川豊彦』で、大木英夫先生と共に対談している。本書でも、宣教論の関係で私の論文が?付きで引用されている。古屋先生は、世界のキリスト教や神学の潮流を見渡しながら日本の教会の課題について広い視点から貴重な発言を続けられた。もうこういう存在はいなくなったと言えるだろう。

半藤一利『安吾さんの太平洋戦争』(ちくま文庫)敗戦直後の時代、文藝春秋社に入社したばかりの若き編集者として流行作家・坂口安吾と初めて出会い、その薫陶を受けた半藤さんが、昭和10年頃から敗戦前後までの坂口安吾の日常生活や作品を丁寧に追っている。無頼派の作家として知られる坂口安吾について、私はほとんど読んでいないので、時流に流されないこのような作家がいたのかと驚きをもって読まされた。巻末に、歴史探偵・半藤さん自身が、偽作「安吾巷談」として安吾に成り代わって靖国神社を痛烈に批判している。

伊藤比呂美編『石垣りん詩集』(岩波文庫)詩人の伊藤比呂美さんの編で石垣りんの詩を読み直し、これまでとはまた別の感銘を受けた。特に職場での組合活動の詩、あるいは女手一つで家族を養う日々からの痛切な吐露に、詩を書くことによって自らを支えたこの詩人の姿勢を見る想いがした。自分の詩の中で何度もご自身の名前が繰り返されている事実にも初めて気づかされた。短い詩を一つ紹介する。

「表札 自分の住むところには/自分で表札を出すにかぎる/自分の寝泊まりする場所に/他人がかけてくれる表札は/いつもろくなことはない/病院へ入院したら/病室の名札には石垣りん様と/様が付いた/旅館に泊まっても/部屋の外に名前は出ないが/やがて焼き場の鑊にはいると/とじた扉の上に/石垣りん殿と札がかかるだろう/そのとき私がこばめるか?/様も/殿も/付いてはいけない/自分の住む所には/自分の手で表札をかけるに限る/精神の在り場所も/ハタから表札をかけられてはならない/石垣りん/それでよい。」

                        (戒能信生)