2024年11月30日土曜日

 

 牧師の日記から(497)「最近読んだ本の紹介」

『文芸別冊 茨木のり子 増補新版』(河出書房新社)茨木のり子は2006年に79歳で亡くなっている。しかしその後も、詩集『歳月』と『全詩集』が刊行されただけでなく、繰り返し様々なバージョンの詩集が再刊され、評伝や回顧展も続けられている。この『文芸別冊』もその一つ。この新版には旧知の歌手沢知恵が、茨木のり子の詩に曲をつけて歌う了解を得るための経緯が寄稿されていて興味深い。沢知恵は、考えて見れば詩人金素雲の孫なのだ。本書によって茨木のり子の詩が、没後も人々にどのように読まれてきたかを知ることができる。亡き夫を偲んだ『歳月』中から一つだけ短い詩「占領」を紹介しよう。

「占領 姿がかき消えたら/それで終り ピリオド!/と人々は思っているらしい/ああおかしい なんという鈍さ/みんなには見えないらしいのです/わたくしのかたわらに あなたがいて/前よりも 激しく/占領されてしまっているのが」

後藤正治『クロスロードの記憶』(文芸春秋)ノンフィクション作家後藤正治の著作はほとんど読んでいない。ところが本書に、吉本隆明の書誌作者川上春雄が取り上げられていると知って、羊子に頼んで買って来てもらった。私と同世代のライターで、それこそ心臓移植などの医事問題から、プロ野球やボクシングなどのスポーツ界、さらに藤沢周平と茨木のり子を並べて取り上げるなど、意表を突く取り合わせで縦横無尽に人との出会いが論じられている。ヒマラヤで両手両足の指を凍傷で失った登山家・山野井泰史・妙子の夫婦が取り上げられているのだが、奥多摩の山野井家を訪ねた際「夜が更け、風呂に入り、奥の部屋で三人、川の字になって寝た。山のせせらぎを耳にしながら、久々に心地よい眠りに落ちた」というのに驚かされた。山野井夫婦については沢木耕太郎も『凍』という迫真の作品を書いているが、その家に泊まり込むことまではしていない。このノンフィクション作家の取材姿勢の一端を見せつけられる感じがした。

川本三郎「荷風の昭和 72(『波』)永井荷風が戦時下の逼塞した日々に愛読したのはフランス語の聖書だった。「余は老後基督教を信ぜんとする者に非ず。信ぜむと欲するも恐らくは不可能なるべし。されど去年来余は軍人政府の圧迫いよいよ甚しくなるにつけ精神上の苦痛に堪えず、遂に何等かの慰安の道を求めざるべからざるに至りしなり。耶蘇教は強者の迫害に対する弱者の勝利を語るものなり。」(『断腸亭日乗』昭和181012日)荷風は軍国主義の対極にあるものとして聖書を読んだことになる。荷風のこの言葉は、私たちキリスト者に迫る一つの問いかけを持っているのではないか。(戒能信生)

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