2019年11月24日日曜日


牧師の日記から(241

1117日(日)主日礼拝。使徒言行録1034-48の講解説教「神は差別しない」。ペトロは、百卒長コルネリウスの家に集まった人々に「神は人を差別しない」と宣言する。その時、これら異邦人たちの上に聖霊の風が吹いたという。こうして、ユダヤ民族宗教の枠を越えるイエス・キリストの福音宣教が始まったと使徒言行録は伝えている。礼拝後、フルート・アンサンブルらふぁえるのミニ・コンサート。いつも第4日曜日の午後、千代田教会を練習会場として使用してくれているのだ。ジブリ映画の楽しい曲や、練習を重ねたブランデンブルグ交響曲、それに石井房恵さんたちのオカリナ演奏も披露された。近隣の人や通りがかった人まで参加してくれて会堂は満杯状態。楽しい一時だった。

18日(月)午後、霊南坂教会での東京同信会研修会に参加。隠退された上林順一郎牧師の講演を聞き、いろいろ考えさせられた。その足で、目白の神学校へ。この日は受講生たちの高倉徳太郎についてのリーディング・レポート。

19日(火)午前中、神学読書会。この日からハルナックの『キリスト教の本質』を読み始める。武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な紹介と発題。出席は牧師8名、信徒2名の計10名。午後、元・毎日新聞の記者佐々木宏人さんが来られる。再来週のNCAのプログラム「ジャーナリストにその本音を聞く」の打ち合わせのため。1945818日、すなわち終戦の三日後に何者かに銃殺された戸田帯刀神父の事件の真相を徹底的に追跡した『封印された殉教』の著者でもある。最近の各新聞の宗教報道の問題や、大嘗祭についての報道、来日されるローマ教皇のことにまで話しが及ぶ。夜は九段教会での連合祈祷会に出席。戸山教会の西谷幸介牧師の奨励に感銘を受けた。祈りは求めであり、叫びなのだと勧められた。

20日(水)午前中、聖書を学び祈る会。列王記上14章を取り上げる。北王国イスラエルと南王国ユダの分裂後の王たちの統治と、特にその宗教政策を申命記記者は批判的に記録している。田沼大典さんが大田区から自転車で来て出席してくれた。この日は外出せず、書斎でのんびり本を読む。12月の予定表の作成。

21日(木)午前中、四ツ谷駅前の眼科で緑内障の定期健診。視野検査や眼底検査など。進行は抑えされており、眼圧を下げる点眼で様子を見ることになった。その後、郵便局に行き、振り込まれた献金や『時の徴』の購読料の払い出し手続き。この日は西早稲田のNCA事務所に行くのはさぼり、自宅で仕事。

22日(金)来週の月曜会での発題のため大貫隆著『終末論の系譜』のヨハネ福音書の部分について調べて、発題のレジュメを作成する。午後は、北支区報『北斗星』のバックナンバーを読み直して、1991年から93年の時期の支区の課題についてのメモの作成。夜、エパタ教会での支区宣教研究委員会で発題。

23日(土)午後、信濃町教会での支区社会委員会の「大嘗祭をどう見たか」に参加。30年前とはかなり様相が違う。しかしやはり明白な神道祭儀を公的行事として国費を支出する問題は残る。教会は声をあげなければならない。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿