2020年11月14日土曜日

 

牧師の日記から(292)「最近読んだ本の紹介」

井波律子『書物の愉しみ』(岩波書店)中国文学、特に『三国志演義』の研究者として知られる著者は、稀代の読書家で、『朝日』や『毎日』などの新聞の書評欄、また週刊誌などに数多くの書評を書いてきた。本書はそれらをまとめて一冊に編集したもので、実に読み応えがある。亡くなった丸谷才一がことあるごとに強調していたが、この国では書評があまり重んじられて来なかった。しかし最近新聞や雑誌の書評欄が充実してきて、優れた書評家が現れている。井波さんはその代表的な一人で、特に私が不案内な中国文学の世界を紹介してくれて、愛読してきた。先頃亡くなったという記事をどこかで読んで、優れた読書人を失ったという感を深くした。

高見澤潤子『のらくろひとりぼっち』(光文社)教会の印刷室の書棚で見つけた本。高見沢潤子は、マンガ『のらくろ』の作者・田河水泡の妻で、文芸評論家・小林秀雄の妹。熱心なクリスチャンで、長く『信徒の友』の編集長を担っていた。「夫・田河水泡と共に歩んで」と副題にあるとおり、締め切りに追われて忙しい酒飲みの夫を支え、子育てや家事を担い、しかしその合間に自分の時間を作って様々な活動を続けた著者の自伝でもある。「婦唱夫随」で田河水泡も洗礼を受けているが、ちょっと距離を置いた信仰理解が興味深い。しかしなにより著者の夫に対する愛情と信頼に心打たれる。この国では身内の者をこき下ろすのが習いで、褒めたり評価するのを避ける風があるが、著者はその逆を行くところがある意味心地よい。

アーシュラ・K・ル=グウィン『ラウィーニア』(河出文庫)古代ローマの詩人ウェルギリウスの建国神話の詩に想を得て、そこに端役として登場する女性ラウィーニアを主人公として描いた歴史ファンタジー。ル=グィン最晩年の作品の一つで、ギリシア神話や古代ラテン文学を下敷きにしている。私のラテン語の能力は詩を味わうには遠く及ばないが、かつてヨーロッパでラテン語教育が教養の基礎とされた時代を思い出させる。

磯田道史『感染症の日本史』(文春新書)日本史の中で感染症に関する史料を分かりやすく紹介していて参考になる。特に、100年前のスペイン風邪大流行の際の、政治家や文学者たちの日記や記録の紹介は大変興味深かった。というのも、この間私自身が「スペイン風邪と日本の教会」について調査してきたからで、大いに参考になった。著者の書く啓蒙書はほぼ目を通してきているが、その歴史家としての視点に学ばされることが多い。

鈴木範久『内村鑑三交流事典』(ちくま学芸文庫)岩波書店の内村鑑三全集の編集者で、内村研究の第一人者である著者が、長年の研究成果を踏まえて内村をめぐる多様な人々を人物事典の形で紹介してくれる。内村の日々の活動を綿密に紹介した『日録』もそうであったが、内村研究の余沢とも言える。しかしここにもスペイン風邪についての言及は一つもない。内村自身は、その再臨運動の中でスペイン風邪について日記でも講演でも触れているのに、それが反映されていないのは残念。(戒能信生)

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