2021年8月29日日曜日

 

牧師の日記から(332)「最近読んだ本の紹介」

杉本智俊『図説 旧約聖書の考古学』(河出書房新社)旧約聖書の歴史を考古学の観点から解説してくれる。著者自身が慶応大学の学術発掘隊を率いてガリラヤ湖対岸のエン・ゲブ遺跡の調査に携わっており、豊富な写真や図説によって最近の考古学研究の動向を知ることができる。特に、イスラエル民族のカナン定着に関して、従来の「武力征服説」や「引き上げ説」、「平和浸透説」等に代わって、最近はそれらを総合した「民族創生説」が主流となり、しかも考古学的な知見と合致するという。その他にも、1997年にテル・ダン遺跡から「ダビデの家」と記された碑文が発見されたこと(ダビデについての初めての聖書外資料)、ソロモンが建設したとされる「倉庫の町」「戦車の町」「騎兵の町」が遺跡によって確認されたこと、またフェニキアと海外貿易をして莫大な富を得たことを示す発掘物など、新しく教えられることが多い。キリスト教会の聖書研究が、どちらかと言えば文書資料の分析と解釈が中心であるのに対して、考古学の立場からの検証の必要を改めて教えられた。学生時代、イスラエルの発掘調査に誘われたことがあったが、飛行機代が出せなくて断念したことを思い出した。

ウンベルト・エーコ『歴史があとずさりするとき』(岩波現代文庫)『薔薇の名前』で世界的に知られる作家エーコの随筆集。現代イタリアの政治状況やアメリカによる対テロ戦争への痛烈な批判、反ユダヤ主義についてなど、現代のホットな議論に、豊富な歴史的な知見から積極的に発言していることに驚く。中でも、「神を信じなくなった人間は何でも信じる」として、現代の科学信仰やオカルティズム、ダン・ブラウン現象などを取り上げて揶揄しているのが興味深かった。この国の作家の多くは、政治的な問題はもちろんのこと、それこそ現在のコロナ禍の問題などについてもほとんど発言しないのは何故かと考えさせられる。

マルク・ロジェ『グレゴワールと老書店主』(東京創元社)羊子に勧められた読んだファンタジー。バカロレアに落ちた劣等生の18歳の青年が、伝手を頼りにある老人ホームに就職する。そこで元書店主だった老人と出会い、緑内障で本を読めない老人のために朗読サービスをすることになる。これによって本を読むことに目覚めた青年の成長と老人たちとの交友をユーモラスに描いている。改めて朗読の大切さを考えさせられた。子どもの頃、まだ我が家にテレビのない時代、日曜日の夜、ラジオを囲んで家族一同で「日曜名作座」という放送を聞いた。森繁久彌と加藤道子の二人の朗読で、いろいろな作品が取り上げられて印象に残っている。ただ耳から聞こえて来るだけの朗読によって、聴く者の想像力が喚起される経験だった。考えてみると、シナゴグでも教会でも、文字の読めない人々のために聖書が朗読され、会衆は耳から聖書の言葉を聞いた。文字で読む聖書と、耳から聞く聖書ではニュアンスが大きく異なる。長岡輝子さんの聖書朗読がCDになっているが、その鮮烈なイメージに驚いた。(戒能信生)

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