2022年12月3日土曜日

 

牧師の日記から(395)「最近読んだ本の紹介」

石川明人『宗教を『信じる』とはどういうことか』(ちくまプリマー新書)著者は立教大学キリスト教学科から北海道大学大学院に進んだ宗教学者で、ティリッヒ研究が専門。ティリッヒが第一次世界大戦の従軍牧師だったことから、キリスト教と戦争の関りについて何冊も本を書いている。そのいくつかを読んで、この人はキリスト者ではないかと予想していたら、本書で初めて?その事実を明らかにしている。「信じる」ことについて実に様々な観点から取り上げていて、興味深く読まされた。一見キリスト教に批判的な問いを提出し、そこから自身の信仰理解が披瀝される。「信徒は、キリスト教の矛盾の歴史や中途半端な実態に耐えなくてはなりません。言い方を換えますと、キリスト教徒であるという自覚やアイデンティティーそれ自体にあまりこだわり過ぎない方がいいと思うのです」と語る。

ノーラ・エレン・グロース『みんなが手話で話した島』(ハヤカワ・ノンフィクション文庫)アメリカ東海岸にマーサズ・ヴィンヤードという小さな島がある。18世紀に入植した人々の間に、聴覚障害者が多数生まれる。遺伝的な特質で、この島の一定の地域で近親婚が繰り返されたこともあり、それは約250年にわたって続いた。その結果、住民たちはごく自然に初歩的な手話を用いてコミュニケーションをはかるようになったという。確かに家族の中に聴覚障害者がいれば、健常者も含めて家族全員が手話でも話すようになるのだろう。文化人類学者である著者が聞き取り調査を進める過程で、しばしば「そう言えば、彼(彼女)は耳が聞こえなかったわね」という証言にぶつかることになる。つまり共同体の中に一定数の聴覚障害がいれば、それは普通のこととして理解され、障害者として受け止められなくなるというのだ。これは障害者と差別の問題に、一つの光を投げかけていると著者は指摘する。つまり障害者が少数者でなければ、障害者差別は乗り越えられるというのだ。深川教会の牧師だった頃、一人の聴覚障碍者が礼拝に出席するようになった。最初筆談を用いたがはかばかしくなく、私は手話教室に通って初歩の手話を学んだ。しかしいろいろな事情で途中で投げ出してしまったことがある。彼を、手話ができる牧師のいる近くのルーテル教会に紹介したが、その後どうしているのだろうか。

高橋源一郎『高橋源一郎の飛ぶ教室』(岩波新書)この著者の文芸評論はいくつかを読んで刺激を受けているが、その小説は読んでいない。毎週金曜日の夜NHKⅠラジオで著者をナビゲーターとする番組がある。本書は、その最初5分間の言葉を収録している。そこで短く語られる本の紹介や、著者の身辺の話題が評判になり、本書が編集されたという。一読して、エッセー集として、また読書案内としても秀逸なことに驚く。著者のアンテナは思いもかけない領域に拡がり、ラジオ放送の言葉を通して、人々を励まし、考えさせる。私自身も学ばされ、考えさせられた。(戒能信生)

 

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