2023年1月21日土曜日

 

牧師の日記から(401)「最近読んだ本の紹介」

沢木耕太郎『天路の旅人』(新潮社)第二次世界大戦の末期、日本軍の密偵としてチベットの奥地に潜入した一人の若者がいた。彼は、内蒙古の包頭を出発し、嚀夏省を経て青海省を超え、はるばるチベットの秘境ラサまで辿り着く。さらにヒマラヤを越えて旅を続け、インドのカリンボンに到って初めて日本の敗戦を知る。その後は、言わば国家の後ろ盾をもたないまま蒙古人のラマ僧「ロブサン・サンボー」としてインドの各地をめぐり、ネパールやチベット、インドの各地を経廻り、1950年になってイギリス軍に収監され日本に送還される。進駐軍の事情聴取を受けた後は、その旅の長大な記録を綴り(後に幾分カットされて『秘境聖域八年の潜行』として芙蓉書房から刊行されている)、その後は結婚して東北の地方都市で小さな化粧品問屋の経営者として静かな生涯を送ったという。著者は30年前にこの人物と出会って、長時間の聞き取りをしている。その後、西川一三は89歳で亡くなるが、残された膨大な元原稿を手掛かりに、この稀有な旅人の歩んだ行路(文字通りほとんどが徒歩の旅だった)をグーグルマップなどで辿り直してこの長大なノンフィクションを書いたという。西川一三の出発点だった包頭(パオトウ)という地名に聞き覚えがあった。包頭は北京から内蒙古に向けて走る北包線の終点。以前、東駒形教会の長老だった雨宮延幸医師の生涯を聞き書きした時、敗戦後ドクターは、現地の人々の要請を受け、家族を日本に帰して包頭に留まり、医師・穆畏一として2年間働いた経緯を伺った。内蒙古と言うだけで、奥地だが、さらにチベットまで、しかもヒマラヤを全部で8回も越えたというこの稀有な旅人の歩みに呆然とする。

北條民雄『いのちの初夜』(岩波文庫)参加しているNCA講座「キリスト教と文学」の課題図書として、改めて読んだ。ずっと以前読んでいるはずだが、一つ一つの表現に注意しながら読み直すと、素晴らしい言葉をいくつも見出すことができる。例えば、療養所の先輩が主人公に語った言葉「きっと生きる道はありますよ。どこまで行っても人生にはきっと抜ける道があると思うのです。もっともっと自己に対して、自らの生命に対して謙虚になりましょう。」「僕らは不死鳥です。新しい思想、新しい眼を持つ時、全然癩者の生活を獲得する時、再び人間として生き復るのです。復活、そう復活です。新しい人間生活はそれから始まるのです。」また「井の中の正月の感想」という随筆の中に、「井の中に住むが故に、深夜沖天にかかる星座の美しさを見た」と記されている。この言葉の元になっているのは「井の中の蛙大海を知らず、されど天の髙きを知る」から来ているのだという。私はこの諺の前半しか知らなかった。北條民雄は洗礼こそ受けていないものの、療養所で24歳で結核のために亡くなった時、遺言によってカトリック式で葬儀は執行されたという。

(戒能信生)

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