2024年10月5日土曜日

 

 牧師の日記から(489

929日(日)主日礼拝は、ゼファニヤ書314-30の講解説教「追いやられた者の回復」。この預言書を初めて説教で取り上げる。ゼファニヤ書の終末思想の特質について私なりの理解を提示した。すなわちユダの国の罪と堕落を厳しく糾弾して神の審判を告知しながら、同時に将来(終末=来たるべき日)への希望と夢を語り続ける。現在の私たちも、惨憺たる世界の現実を見据えながら、しかしなおこの世界の未来に向けて希望と理想を忘れてはならない。上林順一郎牧師が礼拝に主席されたが、すぐに入門の会を始めたため、ご挨拶できなかった。入門の会では「主の祈り」の最終回で「アーメン」を取り上げた。これは関田寛雄先生の示唆。「『主の祈り』は第7祈願で終るのでもなく、頌栄で終るのでもなく、最後の『アーメン』で完成する」という。ここには、関田先生の師にあたる橋本鑑の唱名「インマヌエル・アーメン」の響きが見られる。この日は、私の喜寿の祝いで子どもたちが集まって一緒に食事をした。と言っても、私が久しぶりに中華料理を作って振る舞う。羊子がプレゼントに和田誠の本を贈ってくれた。

30日(月)午前中、『時の徴』171号のヤマトゆうメールの事前審査の手続き。昼前から、学生時代の仲間が集まる。いずれも80歳前後で、久しぶりの再会だが、50年の時の経過を忘れて話し込む。11時から4時まで、時間を忘れて話の尽きることがない。

101日(火)午前中、四谷三丁目の眼科で検診。午後から、『時の徴』の編集委員会。171号を定期購読者約450通、購読依頼の寄贈220通の発送作業。1977年が創刊なので半世紀近く続いていたことになる。こんなに長く続いた同人誌は珍しいが、編集同人も購読者も高齢化し、第一次『時の徴』の終刊を考えなければならないと話し合う。

102日(水)午前中、郵便局で郵送料値上げのための30円切手を購入しようとすると、在庫がありませんとの返事。郵政省の最近の対応に腹立ちを覚える。東支区との連合祈祷会の件で、三崎町教会の箕口牧師に連絡をとる。なんとこれまで何度も送ったメールが届いていなかったことが判明。いろいろ調べたが原因は分らない。電子機器は便利だが、時としてこういうことがあるので困る。午後、高岸徹さんを入院されている本郷の慈愛病院に泰子さんとともに見舞う。この日は目を開けてこちらを見ているが、私だと判った様子はない。今日の聖句(イザヤ書4910)を読んで短く祈る。

4日(金)夜は早稲田教会で行なわれた支区連合祈祷会に出席。堀口廣司さんの立証、柳澤宗光牧師が病院からリモートで奨励。堀口さんから義父上の徳久俊彦さんが亡くなったと伺い驚く。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿