牧師の日記から(504)
1月19日(日)主日礼拝、ガラテヤ書3・19-25の講解説教「律法の役割」。パウロは、律法を徹底して相対化し「養育係」(paidagogos)としての役割と見做す。それがパウロの姿勢だった。説教の後半で、罪意識の問題に触れる。贖罪信仰の強調は、前理解としての罪意識を跳躍台とする場合がある。罪の増し加わるところに恵みもまたいや増すというわけだ。しかし罪から解放された者こそが罪の重さを自覚することをE ブルンナーから学んだ。礼拝後、オリーブの会で石井房恵さんの「私は72歳から走り始めた」。子どもたちに励まされて走り出し、ある程度走力をつけて、ハーフマラソンに、さらにフルマラソンに挑戦してきたという。その苦しい経験談に感銘を受ける。厚揚げや里芋の入ったカレーも美味しかった。
20日(月)神学読書会での発題の準備。H・キュンクの文体は分かりやすいのだが、それを要約して説明することが難しい。午後、門前仲町の歯科医に行って義歯の調整。
21日(火)午前中、神学読書会でキュンクの『イエス』の第5章を取り上げて発題する。この日は牧師4名、信徒2名と参加者が少なかった。午後キリスト教会館に行き、読書会「キリスト教と文学」に出席。この日は太宰治の『トカトントン』と『人間失格』が取り上げられる。随所に聖書の引用があり、太宰が聖書を真剣に読んでいたことが窺える。帰宅すると、『時の徴』171号の校正が届いていたので、早速校正作業。
22日(水)午前中散歩。途中、市ヶ谷の書店で超高級老人ホームについてのルポルタージュを見つけて求める。実は近辺を散歩していて気が付いたのだが、この四谷周辺にいくつも老人施設が建てられている。以前は郊外にあったこれらの施設が、町中に見られるようになり、しかもその入居費用が億を越える。
23日(木)午前中、散歩。11時からキリスト教会館管理組合委員会にZoomで参加。会館の管理業務を別の業者に依頼することになり、そのための協議。なかなか厄介だがやむを得ない。
24日(金)夕方、久しぶりに目白の神学校に行き、卒業論文の審査に出席。今年は2名の卒論の主査を引き受けたが、この責任も今年限り。図書館で調べものをして帰る。(戒能信生)
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