牧師の日記から(505)
1月26日(日)主日礼拝、ガラテヤ書4・1-7の講解説教「神の子として」。パウロは、イエス・キリストにおいて世の諸霊(stoikeia)の支配から「贖い出されて」、神の子=相続人とされたと主張する。この部分の説明は、旧約や律法によらずに展開されており、ガラテヤ教会の人々にも理解できただろう。礼拝後入門の会。「十戒」の第二戒を取り上げる。偶像否定の理由を「熱情の神」(qannah嫉む神)と説明する。インフルエンザのせいか、何人かの教会員が体調を崩しているのが気になる。
27日(月)午前中、月曜会のため東駒形教会へ。キュンクの『イエス』の最後の章を、足立梅田教会の関口康牧師が発題。ドイツ語の原書にもあたり、大変優れたレポートで感心した。参加された翻訳者の福嶋揚さんも評価されていた。福嶋さんと一緒に柄谷行人の読書会を始める相談も。午後、電車を乗り継ぎ、夢の島の東京スポーツ会館(Bunb)に。北支区教師部の一泊研修会に参加のため。隠退教師の上林順一郎先生が、相互牧会について講演。特に隠退教師、無任所教師の問題を取り上げ、いくつかの課題を提示された。参加者はそれほど多くはなかったが、夜遅くまで楽しく話し込むことができた。
28日(火)朝起きると、枕が合わなかったためか、寝違えの症状で首が痛い。上林先生の講演Ⅱはバルナバを評価するもので興味深かった。昼前に研修会は終り帰宅。頸椎の痛みのため、仕事にならないので、この日はのんびり休むことにする。
29日(水)朝一番で、近くの整形外科を受診。頸椎のレントゲンを撮ると、腰と同じようにかなりつぶれているとのこと。週に二、三回赤外線療法と牽引の治療に通うように言われる。
31日(金)午前中はNCAの理事会(Zoom)。午後銀座に出て、友人の鈴木健次さんの作陶展を観に行く。もはや素人の手すさびではない。年をとってこのような趣味をもてるのは羨ましい限り。久しぶりに教文館に立ち寄り、いくつかの書籍を求める。なるべく本を増やしたくはないのだが・・・。木村屋で餡パンを買おうとするが、外国人ツーリストも含めて大混雑で驚く。夜はエパタ教会での支区宣教研究委員会に出席。コロナ禍での『北斗星』を読み直して学ばされたことを発題する。(戒能信生)
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