2019年5月5日日曜日


牧師の日記から(212)「最近読んだ本紹介」

関根清三『内村鑑三 その聖書読解と危機の時代』(筑摩書房)座骨神経痛の痛みで横になりながら、関根清三さんのこの労作を通読した。著者は旧約聖書学者関根正雄先生の子息で、東大の倫理学で学位を所得してから、ドイツに留学し旧約聖書学の学位を取ったという私と同世代の俊秀。ずっと以前、エイズ患者について、血友病の血液製剤の輸血によってエイズに罹患した人と、性行為によって罹患した場合を区別すべきという著者の論考を読んでガッカリしたことがある。問題の血液製剤を制作し販売した企業の責任や厚生省の不作為を問わないで、難病に苦しむ人に優劣をつけるのが倫理学だとすると、そういう倫理学は要らないと放り出したことがあった。以来この人の著作は敬遠して来たのだが、内村鑑三を聖書学の立場からどのように読めるのか関心をもって読んでみた。従来内村については、日清戦争を義戦としていたのに、日露戦争については非戦論を唱えた点、その再臨運動の問題点、あるいは関東大震災に際して天譴論を主張したことなどが議論されてきた。著者は、徹底して内村の文章や日記に即してその聖書理解を探り、そこに一貫した姿勢を見出している。その論究は鋭く説得力がある。特に引用される内村自身の文章から多くを学ばされた。しかし内村の天皇観の問題だけは取り上げられていない。30年前の代替わりの際、私自身が依頼して父上の関根正雄先生に天皇制について原稿を書いて頂いたことがある。それだけに、画竜点睛を欠く思いだった。

柳父圀近「無教会における天皇制観の展開」(『内村鑑三研究』52号、教文館)関根清三さんの大著を読んで、内村の天皇観に触れられていないことに不満を覚えているところに、しかも平成天皇の代替わりの折も折、東北大学の柳父先生からこの論考と「無教会における『福音と国家』」(『ピューリタニズム研究』13号)が送られてきた。『内村鑑三研究』のこの号には、黒川知文さんの「戦争の時代における無教会運動」も掲載されていて、いずれも象徴天皇制下の代替わりの問題を念頭に、内村やその後の無教会の人々の戦争観・天皇観を概観している。無教会の指導者たちの戦争責任について、1970年代に藤田若雄先生たちが手をつけたが、無教会の関係者の間ではほとんど無視された経緯がある。しかし現在では、このように詳細な事例研究が行われていることに感銘を受けた。事実、黒川さんは「無教会運動と戦争に関する研究は少なく、戦争中に発行された無教会の雑誌の内容を分析したものは見受けられない」と率直に認めている。特に矢内原忠雄と塚本虎治の戦中の言説の比較が詳細になされていて興味深かった。

内村鑑三『後生への最大遺物』(岩波文庫)たまたま内村鑑三についての研究を立て続けに読んだので、本棚から引っ張り出して読み直した。若き日の内村の講演で、その文章の力と迫力に改めて感銘を受けた。ただ一つ気になったのは、『後生への最大遺物』のキーワードとされる「勇ましく高尚な生涯」という言葉が、このバージョンでは直接的には出てこない点なのだが・・・。(戒能信生)

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