2019年7月27日土曜日


牧師の日記から(224

721()主日礼拝。使徒言行録512-526の講解説教「迫害 神に従う道」。迫害というと、江戸時代の切支丹弾圧がすぐに連想されるが、「信教の自由」が謳われている現憲法下ではそういう弾圧はあり得ないだろう。しかし第二次世界大戦下において、官権による迫害もあったが、それ以上に信仰者を苦しめたのは同調圧力ではなかったか。戦時体制のもと「右向け右」と言われると、そちらの方を向かなければならなかった同調圧力が、現在のこの国においても繰り返されている。そこに官僚たちの資料の隠蔽や改竄、忖度も生れるのだろう。そのような中で「福音を恥としない」(541、ロマ書116)というスローガンが一つの鍵になるのではないか。礼拝後、オリーブの会で「日本語教育の現場から」を西村正寛さんが発題してくれる。「労働力を招いたつもりだったが、来たのは人間だった」という冒頭の言葉が印象的だった。夜は、直子さんの誕生祝い?ということで、家族が全員集まって一緒に食事。11月に西中国教区の教師研修会のために広島までの飛行機の早割りをお嫁さんの清美さんに依頼する。

22日(月)午前中、月曜会で東駒形教会へ。大貫隆さんの大著『終末論の系譜』の911章を、川島温美牧師の丁寧な紹介で取り上げる。この書物は、終末論を軸にしながらも、大貫さんの新約各書の概説を兼ねているところがある。そこが読みどころでもあるのだが、あまりにも構造的な理解が先行するように感じてしまう。夜は日本聖書神学校の授業で、柏木義円を取り上げる。

23日(火)一日書斎であれこれの仕事。夜は日本聖書神学校の最後の授業。今年度の受講生のリーディング・レポートの中にきわめて秀逸なものが多かった。

24日(水)在宅日で、書斎に籠もって溜まっている事務仕事の処理や手紙への返事を書く。特に最近は書物や論文の寄贈が多く、その応答に時間を取られる。

25日(木)この日は、沓掛学荘の職員礼拝のために軽井沢へ。手術後初めての新幹線での出張になる。子どもたちのケース・スタディで、きわめて深刻なケースが取り上げられ、職員たちが抱えている現実の一端に触れる。昼食後、車で佐久平まで送ってもらい、久しぶりに保志治子さんを見舞う。この730日で85歳になるが、お元気そうで一安心。今日の聖句を読んで祈る。少し早めに失礼して新幹線で帰宅。さすがに疲れ、この日はもう仕事はほとんど出来なかった。

26日(金)在宅日。8月の予定表を作成する。8月は授業や外部の仕事も少なく、空白の日が多い。今から楽しみではある。日本讃美歌学会での講演の準備。レジュメを作成し、必要部数を印刷する。夜は北支区沖縄連続学習会に参加。沖縄のキリスト教の歴史について大久保正禎支区長のよく準備された講演。9月の第2回は「合同捉え直し」について私が担当することになっているのだが・・・。

27日(土)1時からの讃美歌学会のため会場である東中野教会へ。この教会の創立者でもある由木康について講演する。同じ時間帯に、教会では聖書と人間を考える会が行われる。(戒能信生)

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