2019年7月20日土曜日


牧師の日記から(223

714()主日礼拝。使徒言行録432-511の講解説教「心も思いも一つにして」。始まったばかりのエルサレム教会は、すべてを共有する共同体だった。余裕のある者が寄進し、必要に応じて分配されたという。しかしこのような理想的?な共同体はいつまでも続かない。5章のアナニアとサフィラ夫婦のケースがそれだ。使徒言行録はその事実を隠さない。小学生の頃、日曜日の朝渡された日曜学校の献金の一部をごまかして小遣いに流用したことがある。その時、このアナニアとサッピラのエピソードを聞いて、震え上がったことを覚えている。礼拝後、聖書を読む会で齊藤織恵さんの発題。出エジプト記1章に登場する助産婦シフラとプアの物語を取り上げる。その当時の助産婦の役割について議論百出。2時から西片町教会での鈴木正久没後50年記念会に出席。精々230人の集まりだろうと予想しながら行くと、50年前の青年たち、つまり70代から80代の人々が100人近く出席されて驚く。鈴木正久という牧師の磁力を改めて感じさせられた。

15日(月)午前中、NCC宣教協議会のヤスクニ委員会のプログラムに参加。戦時下の礼拝を再現するドラマが実演された。「海ゆかば」のオルガン演奏から始まり、国民儀礼、興亜讃美歌、祈祷、説教、その他すべて、実際に行われた資料を基にして再現された。依頼されて脚本を書いたのは、実は私。委員の皆さんが、讃美歌にしても説教にしてもよく練習して、当時の雰囲気をよく出していた。上演後、簡単な解説を担当したが、当時の教会員を演じた皆さんが、当初は抵抗があったが、すぐに慣れてしまう自分が恐ろしいと述懐したのに考えさせられた。

16日(火)神学読書会で、シュライアマハーの『宗教論』第3講を、山田牧師の発題と紹介で取り上げる。フランス革命や啓蒙主義の影響で、宗教が衰微した当時のドイツで、言わば宗教の再発見を主張している。それが「直観」や「感情」「超自然的なものへの憧れ」といった言葉で表現されている。カール・バルトがこのような宗教観を一撃のもとに退けたのはよく知られているが、現在の宗教状況はむしろこの時代とよく似ているのかもしれない。牧師6名、信徒1名の参加。

17日(水)この日は在宅日で、一日書斎で仕事。北支区社会委員会から、「キリスト教と天皇制」についての講演依頼。支区のことなので断れない。ホーリネス弾圧記念聖会での講演を少しアレンジして話すことにして、お引き受けする。

18日(木)昼前からキリスト教会館へ。機関紙『はなしあい』の発送や、その他の事務仕事。3時から運営委員会。プログラム報告や、今後の企画について話し合う。来年3月の神学生交流プログラムの会場設定や講師への交渉が始まる。

20日(土)午後から、世田谷の賀川豊彦記念松沢資料館に出かける。敬和学園大学の学生たちが満州開拓基督教村について映像作品にするというので、その取材に応じる。今の若い世代が、賀川が主導した満州開拓基督教村の実態をどう受け止めるか、こちらの方が興味津々。学生たちの質問も、事前に資料を読んでよく準備していることが分かって好感が持てた。帰宅して明日の準備。(戒能信生)

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