2019年10月19日土曜日


牧師の日記から(235

1013日(日)主日礼拝。使徒言行録932-43の講解説教「タビタ、起きなさい」。ピリポたちによって地中海沿岸のヘレニズム都市に福音が伝えられ、ヤッファには小さな共同体が生れていたらしい。その指導者タビタが死んだので、近くのリダの町に滞在していたペトロが呼ばれる。そしてペトロは彼女を蘇生させたという奇跡物語。注目すべきは、彼女がドルカス(かもしか)というギリシャ名(奴隷に多い渾名)で呼ばれており、やもめたちに手作りの下着をプレゼントしていたという共同体の内実。最初期のキリスト教はこのような奉仕の働きの中で次第に広まっていったのだろう。そのことを忘れてはならない。

14日(月)休日で一日書斎に籠もって、明日の神学読書会の発表のために、シュライアマハーの『宗教論』第5講を読む。「自然宗教」という概念が出てくるが、訳者はその意味を理解していないようだ。『宗教論』の初版は1799年に出版されるが、その10年前にフランス革命が起こっている。革命はカトリック教会の既得権を剥奪し、激越な非キリスト教化運動を推進する。グレゴリオ暦を廃して新しい革命暦を採用し、「理性の祭り」とか「最高存在の祭典」といった祭日が設けられる。一種の理神論による自然宗教が代替宗教として掲げられたのだ。この啓蒙主義の影響を受けて既成の宗教を軽蔑するドイツの知識人たちに向けて、この『宗教論』は書かれたのだ。著者の語り口は饒舌で、しばしば論旨を見失いがちになる。理解できた箇所を抜き書きしてつなげてみると、あれほど既成の教会を批判してきた著者が、この最後の章で「宇宙への直観」に開かれているキリスト教を最大限に評価していることが読み取れる。

15日(火)午前中、神学読書会で発題。出席は牧師6名、信徒2名の計8名。午後から、NCAの事務所で神学生交流プログラムの報告書を書籍にまとめる打ち合わせ。新教出版社刊だが、編集実務はフリーの編集者に委託する形をとる。

16日(水)聖書を学び祈る会で列王記上8章のエルサレム神殿の奉献式を取り上げる。祭司に代って、王であるソロモンが奉献式を取り仕切り、集められた人々を祝福している。その祈りから、中央神殿としての新しい役割が見えてくる。

17日(木)午前中は賛育会病院の成形外科の診察。さらに薬を減らしてもらう。一度帰宅してから自転車で西早稲田の事務所に出かけ、神学生交流プログラム報告書の発送作業。夕方、神学読書会に出席された柏木信という方が訪ねてくる。

18日(金)午前中、渋谷のNHKスタジオで「宗教の時間」の収録。終ってディレクターの鈴木健次さんと昼食を共にして帰宅。『時の徴』1551100冊が届く。早速発送の準備。購読料の入金をチェックしてラベルに印字、封筒に宛名ラベルを貼る作業。夜は、20日に順延になった信濃町教会修養会の講演の準備

19日(土)午後、聖書と人間を考える会で、野口倢司さんの動物写真撮影の話し。私はヨブ記39-40章に列記される動物たちについて短く解説。明日の説教は松野俊一先生が担当してくれるので、夜はラグビーのテレビ観戦。(戒能信生)

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