2020年6月13日土曜日


牧師の日記から(270

67日(日)主日礼拝。使徒言行録201324の講解説教「聖霊に促されて」。礼拝後、長老会。ようやく新年度の長老会が発足する。その後、いつものように説教通信を作成して30部コピーし、直子さんが週報と一緒にメール便で送付してくれる。雨宮栄一先生のモルトケ伝の参考文献が宅急便で届いたので、夜遅くまで原稿との突き合わせの作業。使えそうな写真も見つかる。

8日(月)午後、日本聖書神学校の堀成美さんが来てくれて、「スペイン風邪と教会」の調査研究についての打ち合わせ。取り敢えず各個教会史にスペイン風邪についての言及がないか調べてもらうことにした。彼女は国際医療センターの看護教員で、感染症が専門。卒論でこの問題を取り上げるというので協力をお願いした。夜は日本聖書神学校の授業。書斎からズームを用いてライブ配信。この日は植村正久についての受講生たちのリーディング・レポート。同時並行して、礼拝堂では「辺野古の海を土砂で埋めるな!首都圏連絡会」の事務局会議。農村伝道神学校の平良愛香牧師に会場提供を依頼されたのだ。齊藤織恵さんも参加していた。台北日本基督教会の会報『台北基督教報』の191710月号に、「流行病盛んなる為一般の出席者少なきは遺憾なり・・・」という記述を見つける。

9日(火)午前中、キリスト教会館に行き、キリスト教主義学校同盟で和光大学の辻直人さんと打ち合わせ。辻さんはキリスト級主義学校がスペイン風邪にどのように対応したかを調べてくれている。下関の梅光女学院、神戸のランバス女学院、東京の頌栄保育専修学校の記録に、スペイン風邪についての記載があるとのこと。特に寮生活でクラスターが発生したようだ。その後、宣教研究所の古い資料を捜して、スペイン風邪についての記載がないか調べる。メソヂスト教会の機関誌『護教』の大正7年の合本に、各地の教会で流行性感冒のためにたくさんの人が亡くなっている記事を見つける。例えば、大正711月には鹿児島メソヂスト教会で立て続けに三人の若い教会員(一人は幼児)が亡くなっている。流行性感冒で亡くなった牧師たちも少なくない。

10日(水)午前中、3ヶ月ぶりの聖書を学び祈る会。列王記下の学びを続ける。午後、富坂キリスト教センターの秋山眞兄運営委員長と総主事の岡田仁さんが訪ねて来られる。戦後天皇制とキリスト教の共同研究への協力を依頼されたが、任にあらずとお断りした。その代わりに「スペイン風邪と教会」の調査について紹介したところ、これを富坂の緊急の共同研究にして欲しいと言われる。

11日(木)午前中、賛育会病院の成形外科の診察。痛み止めの薬を止めてみることになった。午後帰宅して、富坂の共同研究の企画書を作成する。

12日(金)午前中、農村伝道神学校の授業を書斎からライブ配信。この日は新島襄を取り上げる。午後、直子さんの買い物に付き合って散歩。(戒能信生)

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