2020年9月27日日曜日

 

牧師の日記から(285

920日(日)主日礼拝。使徒言行録281-16の講解説教「ローマへの到着」。使徒言行録の学びも、約一年半かけてようやく最後の章に辿り着いた。エルサレムでパウロが逮捕されてから、獄中での長い待機の時間を経てついに目的地に到着する。しかしそれはさらに長い待機の始まりだった。パスカルの譬を持ち出すまでもなく、私たちもまた「その時」を「死刑囚」として待っている。パウロの長い待機は、そのことを私たちに向けて語っているのではないだろうか。礼拝堂で引き続きオリーブの会「大森意索医師にコロナについて聞く」。ご自身の墨東病院での経験から分かりやすく話してくれた。この日は、私の73歳の誕生日ということで、多くの人から声をかけられた。自分でもこの年齢まで生きるとは考えていなかった。私自身の残された時をどのように過ごすのかを問われる思いだった。

21日(月)北海道の高橋一牧師から、拙著恵贈への返礼として、沢山の銘菓と丁寧なお便りを頂いた。その最後に、「お忙しい戒能先生を忍耐強く支えておられる千代田教会の皆さんに、北海道からよく知られたお菓子をお送りしました」という一文があった。そうか、教会員は忍耐しながら支えてくれているのだと改めて気づかされた。礼拝後のお茶の会で皆さんに食べて頂かなければならない。この連休、観光地は大賑わいとか。こちらは書斎に籠もってひたすら「スペイン風邪と日本の教会」の講演の準備。

22日(火)来週の「月曜会」での準備のためシュタウファーの『キリスト教とローマ皇帝たち』を読む。古代の様々な運命史神話を経て、カエサルとアウグストゥスという偉大な皇帝によって帝国史的神話が成立する。そしてそれに対抗するかのようにイエス・キリストが生れる。世界の覇者ローマ皇帝たちとキリストとを対比しながら、著者は絶対的な支配を誇ったヒトラー政権への抵抗を想定していたのではないか。

23日(水)午前中、聖書を読む会で「ホセア書」の預言を取り上げる。家庭的な不幸を通して神の愛に目覚めた預言者は、北王国イスラエルの宗教的堕落と倫理的頽廃を痛烈に批判する。宗教の無力は社会全体の不公正の大本なのだ。午後、早稲田奉仕園に出かけ、上林順一郎牧師の聖書講座に出席。その前後、明日の講演のレジュメや資料を印刷する。台風襲来で来られない人たちからの要望で、急遽、西川穂さんに録画を依頼する。

24日(木)台風の進路が少し逸れたようでホッとする。お昼前からキリスト教会館の事務所で事務仕事と講演会の準備。2時からスコットホールで講演「スペイン風邪と日本の教会」。台風とコロナ禍の中でおよそ50人の人々が参加してくれた。新聞の取材も二社あった。急いで帰宅し、5時から柏木義円研究会の事務局会議をZOOMで。11月の講演会の準備と財政問題、次年度の計画などについて話し合った。

25日(金)この日は外出せず、少しのんびりする。書斎で10月の教会予定や週報の作成、義円研究会の事務仕事、説教の準備など。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿