2020年12月5日土曜日

 

牧師の日記から(295)「最近読んだ本の紹介」

尾崎眞理子『大江健三郎全小説解説』(講談社)著者は読売新聞の文芸部記者として、既に大江健三郎への長時間にわたるインタビューをもとに『大江健三郎 作家自身を語る』を書いている(確か、以前にこの欄でも紹介した)。今回のこの大著は、講談社から刊行された『全小説集』15巻に掲載された詳細な「解説」を一冊にまとめたもので、500頁を超える力作。それぞれの作品が書かれた時代背景とその中での大江の小説の位置を解説し、その作品の紹介に留まらず、厳密な書誌的な検証を施し、同時代の作家や評論家たちの書評にも広く目を配り、海外の読者たちの反応も含めて、大江の小説がどのように読まれ、評価され、あるいは批判されてきたかを精密に追っている。私は大江の出身地の近くで育ち、高校時代の担任教師が大江と高校時代の同級生だったこともあって、学生時代からかなり熱心にこの人の小説を読んできたつもりだった。しかし本書を通して、読み逃していた小説がいかに多いかに改めて気付かされた。さらに、いつ頃から私が大江の作品を読まなくなったのか、そしてそれは何故なのかについても、改めて考えさせられた。1994年に大江がノーベル文学賞を受賞してから、私はエッセー等を除いて、この作家の特に長編小説の読者ではなくなったのだ。著者の詳細な解説によって、その後の大江の長編小説の歩みに改めて眼を開かれる想いだった。日本文学に固有の私小説の伝統を断固として拒否した大江は、しかし一連の長編小説で「私小説的」に時代の問題と取り組んでいるという。それは文豪とか大家という位置に後退するのではなく、常に世界と時代の問題と格闘し、しかもそれを自分自身の人生に絡めて考え続けて来た軌跡を示している。いつかドストエフスキーの小説を読み直してみようと考えているが、それに大江健三郎の長編小説を加えなければならないようだ。

高野秀行・清水克行『ハードボイルド読書合戦』(集英社文庫)辺境をめぐる冒険家と中世日本史の研究者が、定期的に読書会をした記録。そこで取り上げられている本が興味を引かれたので目を通した。特にイブン・バットゥータの『大旅行記』の項は興味津々だった。バットゥータは14世紀に当時のイスラム社会の全域を踏破した大旅行家で、東洋文庫で全8巻にもなる稀代の大作で、もちろん私は読んでいない。これもいつか挑戦したいと考えているのだ。それともう一つ、ダニエル・エヴェレットの『ビダハン』も取り上げられている。この本は、アマゾン奥地の少数民族ビタハンに宣教師として乗り込んだ言語学者が、ビタハンの言語を習得して行くうちにむしろ西洋文明とキリスト教信仰そのものを疑うようになり、信仰も相対化されていった経験が紹介されており、社会学者の見田宗介も注目していた。宣教論との関連でもきわめて注目すべきもので、それがこの二人にどのように読まれているのかに関心をもった。農耕文化が支配的になる以前の、採取狩猟生活の意味を改めて考えさせられる。(戒能信生)

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