2021年1月10日日曜日

 

牧師の日記から(300

片野真佐子『柏木義円の信仰と思想』(仮題)群馬県の安中教会の牧師柏木義円(18601938年)は、月刊紙『上毛教界月報』を発行して、その非戦思想を展開し、遊郭廃止を主張し、権力による弱者への人権侵害と戦い続けた。その激しい言説は、この時期の人としては異例の天皇制批判、国体批判にまで踏み込んでいる。この義円の膨大な日記や書翰を20年かけて読み込み翻刻したのが、友人の片野真佐子さん。その片野さんが、昨年暮れ、ミネルバ書房から刊行予定の原稿を送ってきて、査読を依頼された。前著の評伝『孤憤の人柏木義円』を踏まえて、日記や書翰に見られる義円の思想形成やその実生活にまで及んで詳細に論じている。気になるところや疑問点を資料に当たって確認し、その感想などを書き送る。

D・L・エヴェレット『ピダハン』(みすず書房)著者は、アマゾン上流の少数民族ピダハンの村に家族ぐるみで住み着き、その言語を習得して聖書のピダハン語訳に取りくんだ宣教師。訓練を受けた宣教師であり、かつ言語学者で、チョムスキーの普遍文法も適用できない特異なピダハン語の世界的権威でもある。ところが、ピダハン族には、聖書もキリスト教の救済も一切受け容れられない。彼らは自分たちの生活に自足しており、先進文明を一向に取り入れようとしない。罪の自覚を持たず幸福な彼らに、福音は全く通じないのだ。30年が経過し、ピダハン語訳の福音書は完成したものの、著者は宣教師を辞し、キリスト教の信仰そのものを放棄する。自然と共生し、死を恐れず、豊かさや権力に固執しないピダハンたちをむしろ尊敬するようになる。社会学者の見田宗介もこの書物を評価していたが、従来の福音宣教に対する深刻な問いかけを含んでいる。

榎本渉『僧侶と海商たちの東シナ海』(講談社学術文庫)遣唐使が途絶えた9世紀から14世紀、東シナ海を渡って日中の交易は細々と続けられた。それを担った朝鮮や日本の海商たち、またその海商の船で宋や明に渡った留学僧たちがいた。彼らの活動を追うことによって、日中交流史の空白とされるこの時期を取り上げていて、とても面白かった。言わば国交が断絶しても、商人や僧侶たちはそれを越えて交流し、しかも実利を得、さらに仏教思想を持ち帰ったのだ。仏教史資料を読み込んでの快著と言える。

石井寬治「文明開化の担い手たち 前島密の位置」(郵政博物館研究紀要11号)石井摩耶子さんのお連れ合いの寛治さんが先日礼拝に出席された折りに下さったので一読した。明治期の初め、文明開化の担い手として活躍した明六社のメンバーの多くが、福沢諭吉を初めとして諸藩から登用された旧幕臣だった。しかし彼らの文明開化論は結局、外形に留まり、その精神世界が貧弱であったことが指摘されている。それと対照的に、明治期の実務官僚や豪商農たちの中には、仏教・儒教・キリスト教などを通して普遍的価値ヘの関心をもつ人々がいたこと、そして郵政事業の創始者である前島密もまたその一人であったとしており、学ばされた。(戒能信生)

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