2021年1月30日土曜日

 

牧師の日記から(303)「最近読んだ本の紹介」

小梅けいと『戦争は女の顔をしていないⅡ』(KADOKAWA)ノーベル文学賞を受賞したスヴェトラ-ナ・アレクシェーヴィチの同名のノンフィクションを漫画化した第2巻。原書は、ドイツとの戦争に動員された膨大な女性兵士たちからの聞き書きで、それを漫画化しただけでも驚きなのに、不思議なことに原書の鼓動というか雰囲気をよく再現している。エピソードによっては、新たに感動を与えられる。これは稀有のことで、原作を漫画化したものは駄作が多いのに、これは別格。例えば志願して狙撃兵として活躍した一人の女性兵士が、憎むべきドイツ兵であっても殺すことを躊躇い、「これは女の仕事じゃない。憎んで殺すなんて」と呟くシーンがある。本書の題名とされたエピソードだ。しかし一方で、激戦地の戦車部隊看護兵だった女性兵士が、著者の聞き書きにクレームをつける場面がある。「大祖国戦争で自分は英雄だった。こんな女々しいことを書いて」と。著者は言う。「心の奥底に追いやられているその人の真実と、現代の精神の染みついた新聞の匂いのする他人の真実。第一の真実は二つ目の圧力に耐えきれない」と。そして「私は忘れられない。ニーナさんの台所で打ち解けてお茶を飲んだことを、そして二人で泣いたことを。」これこそが原著のテーマだった。戦時下のキリスト者の内面史に注目し、その矛盾と相克を抉り出さなければと考えて私が編集した『抵抗と協力の内面史』と共通する。

青山学院大学キリスト教文化研究部編『贖罪信仰の社会的影響』(教文館)この国のキリスト教理解の特質に贖罪信仰がある。その贖罪信仰が社会にどのような影響を与え得たのかという問題意識からの共同研究。聖書学などからの論考もあるが、やはり中心は森島豊の一連の論考。この国における社会主義運動はほとんどすべてキリスト教から出発している。片山潜、幸徳秋水、荒畑寒村らはいずれも洗礼を受けたクリスチャンだったが、やがて教会から離れて社会主義者になっていった。例えば福澤諭吉の死去に際して、植村正久は文明開化の先覚者として福澤を最大限評価しながらも、「しかし先生は罪ということを理解しなかった」と指摘している。つまり文明開化のイデオローグに贖罪信仰は受け入れられなかったのだ。本書では、憲法研究との関連で鈴木安蔵、吉野作造、植木枝盛などが取り上げられているが、人権思想との関係について突っ込み不足の観がある。

いがらしみきお『花火の音だけ聞きながら』(双葉社)著者は異色の漫画家で、過激なギャグ・マンガ『ネ暗トピア』でデビューしたかと思うと、一転してほのぼの四コママンガ『ぼのぼの』がベストセラーになり、さらにオーム真理教や東日本大震災等の重いテーマを取り上げた『I(アイ)』のようなシリアスな作品もある。その著者の初エッセー集というので一読したが、敢えて意味あることは一切書かないという姿勢に徹した身辺雑記だった。期待外れの感はあったが、一方で「さもありなん」とも思わされた。著者は一介の漫画家に徹しようとしているのだろう。(戒能信生)

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