2021年7月10日土曜日

 牧師の日記から(325)「最近読んだ本の紹介」

『中野好夫(ちくま日本文学全集)』(筑摩書房)矢嶋楫子を調べている関係で、以前図書館から借りて読んだ『蘆花徳富健次郎』を読み直す必要に迫られたが、もうどこにも売っていない。致し方なく羊子に古本屋でこの文庫本を探してもらった(『蘆花健次郎』第三部が収録されている)。大逆事件直後の第一高等学校での蘆花の講演『謀反論』をめぐる詳細な解説が参考になる。ついでに収録されている「親鸞 その晩年と死」やロスチャイルド家の創成を取り上げた「血の決算報告書」、サヴォナローラについての「狂信と殉教」などを再読した。読み返して、自分が中野好夫にいかに影響を受けているかを再認識させられた。私は日本キリスト教史を、人物史という仕方で捉えようとしてきたが、そこに中野好夫の人間洞察とその手法が影響を与えていることに改めて気づかされたのだ。

マイクル・ビショップ『時の他に敵なし』(竹書房文庫)羊子に薦められて読んだ現代アメリカのSF小説。いわゆるタイム・トラベルものだが、黒人の若者が200万年前のアフリカに時間旅行する。そこで、ホモ・ハビリスという原生人の小さな共同体に受け入れられる。そこでは、肌の色による差別は一切なく(原生人がアフリカを脱出する前なので、当然ながらすべて黒人なのだ)、過酷な自然環境の中で生き延びる能力だけが求められる。ある意味では、現代社会の知識や経験が全く通用しない中で、食料を得、食べ、眠り、そして愛し合う生活が始まる。これはSF小説を借りて、一切の差別のない世界のメタファーとも言える。文庫本の小さい活字で600頁を越えるが、あっという間に読み終った。翻訳者があとがきで少なくとも二回は読み返してほしいと繰り返しているのが印象的だった。

吉村昭『冬の道 吉村昭自選注記短編集』(中公文庫)この著者の史伝ものにはほとんど目を通しているが、小説はあまり読んでいない。中でも戦時中から敗戦直後の著者自身の経験を踏まえた私小説が興味深かった。またいわゆる刑務所ものと言われるいくつかの作品も印象深い。しかしなによりこの著者の硬質な文体が自分の性に合うことを改めて実感した。

塩見鮮一郎『貧民の帝都』(河出文庫)NHK大河ドラマで取り上げられている渋沢栄一に関する書籍が多数出版されているが、これは渋沢の貧民救済事業を取り上げた珍しい一冊。教科書には全く触れられないが、明治維新の際、江戸幕府が崩壊して明治政府が確立されるまで、東京は言わば無政府状態で混乱し(人口が半減した!)、多くの貧民で溢れたという。そのために明治5年に東京養育院が創設され、貧民や行路者を収容し始める。施設は浅草、上野などを転々とし最終的に大塚に落ち着くが、貧民に税金を用いて救済する必要はないとする政治家や官僚たちの議論(この「自己責任論」は現在でも横行している)に抵抗してこの施設を存続させたのが渋沢栄一だという。併せて明治期の東京の貧民窟の実態を紹介しているので参考になる。この四谷にもスラムがあった。(戒能信生)

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