2021年7月24日土曜日

 

牧師の日記から(327)「最近読んだ本の紹介」

藤原聖子『宗教と過激思想』(中公新書)1990年に一連のオウム真理教事件が発覚した直後、この国の宗教界では、キリスト教だけでなく、伝統仏教も新宗教も一斉に教勢が低下したとされる。宗教は怖ろしいという空気がこの国を支配したのだ。その前後、一神教は危険だという言説がしきりに流行った。イスラム原理主義を引き合いに、日本古来の神道や仏教は危険ではないというのだ。しかし藤原さんのこの新書は、キリスト教やムスリムだけでなく、仏教やヒンドゥ教、さらにこの国の仏教や神道からも過激思想が生まれた歴史を洗い出している。その意味ではどの宗教も危険なものになり得るのだ。その当時、教会の看板や週報に「この教会は、統一教会やエホバの証人とは関係ありません」と掲げるケースが見られた。その時感じた違和感を覚えている。「私たちの教会は危険ではありません」などという弁明は、言わば宗教の責任を放棄する宣言に他ならないのではないか。それで思い出す。明治24年、第一高等中学校の教育勅語奉戴式で最敬礼をしなかった内村鑑三がバッシングを受けて辞任させられたいわゆる「不敬事件」が起こる。その時、東京帝国大学教授井上哲治郎は「キリスト教は日本の国体に合わない」と指弾した。この批判に対して、一部の例外を除いて、多くの教会は「キリスト教は日本の国体にふさわしい宗教だ」という弁明に終始した。そこに、その後のキリスト教会の歩みが規定されたという指摘がある。どの宗教が危険かではなく、世界の平和を願う宗教の本質を具体的に証ししていく責任と使命があるのではないか。

クリストファー・デ・ハメル『中世の写本ができるまで』(白水社)聖書を始めとするヨーロッパ中世の写本の歴史を、イギリスの第一人者が手書き写本の美しい写真をもとに詳細に解説してくれる。羊皮紙の作り方、紙の普及、インクや書体、さらに彩色や装幀に至るまで。12世紀頃までは、修道院で写本が作成されたが、それ以降は世俗の写字生や写本画家に依頼して作成されたという。16世紀にグーテンベルクを始めとする印刷技術が導入されるまで、写本は智の技術として全盛を誇る。そこに注ぎ込まれた写字生たちの労力と時間に感嘆するばかり。

へニング・マンケル『手 ヴァランダーの世界』(創元社推理文庫)スウェーデンの田舎警察の刑事を主人公とするこのシリーズは、主人公の死によって既に完結している。この一冊は、番外編として書かれた中編と、著者自身によるシリーズ各編の解説、登場人物などをインデックスの形にまとめている。すなわちヴァランダー・シリーズの総索引になっている。1990年代から2010年頃までのスウェーデン社会の変化を、こういう仕方で眺めることができる。時間の余裕ができたら、これを手掛かりに、このシリーズを読み返してみたいと思う。かつてこの国でも、松本清張や水上勉など、戦後の社会と世相を見事に切り取った推理小説が書かれた。現在そのような作品が見られないのは寂しい限り。(戒能信生)

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