2022年4月30日土曜日

 

牧師の日記から(364)「最近読んだ本の紹介」

石原千秋・小森陽一『なぜ漱石は終わらないのか』(河出文庫)夏目漱石の主要な作品は目を通し、加えて丸谷才一や山崎正和、江藤淳等の漱石論も読んで、一応理解したつもりでいた。ところが、漱石研究者のこの二人の対談を読んで、自分がほとんど読み取れていなかったことを思い知らされた。明治後半期から大正期初めにかけての日本社会の状況を踏まえて、漱石が施した様々な意匠や工夫が読み込まれている。ひとつ例を挙げれば、『坊ちゃん』の主人公が松山中学に赴任し、宿直の夜、学校を抜け出して道後温泉に入ったことが、生徒たちに見つかって問題視される。「親譲りの無鉄砲」故のユーモラスな事件くらいに思っていたが、この背後には、教員の宿直当番には教育勅語や御真影を護る役割があったする指摘。その他、日清・日露戦争の影響、漱石周辺の経済問題や夫人との関係など、全く気がついていなかった背景が二人の深読み!によって次々に明かされる。改めて漱石を読み直さねばならないと考えさせられた。

中村きい子『女と刀』(ちくま文庫)西南の役直後に、薩摩の郷士の娘に生まれた主人公が、結婚・離婚・再婚・出産を経て、70歳にして夫と家に見切りをつけて離婚し自立する物語。最近のフェミニズムとは違った意味で、自身の「意向」に徹底的に拘って、妻・嫁・母・姑の立場を乗り越えた著者の母親をモデルとした小説。谷川雁たちの「サークル村」で見い出され、鶴見俊輔によって『思想の科学』で紹介された1988年の作品。テレビ・ドラマ化もされたというが、表向きは取り繕っていても、直子さんから見れば全くのダメ人間であることが見透かされている私などは、これを読んで震撼させられた。「明治以降の男たちの百年を、この本一冊によって見返すほどの力がある」という鶴見の解説に同意せざるを得ない。

中条省平『カミュ伝』(インターナショナル新書)『ペスト』以外の作品は読んでおらず、カミュ自身についてもほとんど知らなかった。植民地アルジェリアに生まれ、ナチス下のパリでレジスタン活動に加わり、戦後のフランスで演劇活動を主に展開し、ノーベル文学賞を受賞するものの、結核を病んで47歳で早逝したこの作家の生涯に改めて学ばされた。同世代のサルトルたちとの協働と対立についても、1950年代から60年代にあれほど影響力のあったサルトルが現在ほとんど顧みられない中で、改めてカミュの文学的な意味や位置を考えさせられる。

戸部田誠『タモリ学』(文庫ぎんが堂)奇妙奇天烈なお笑いタレントとして30歳を過ぎてテレビ界にデビューし、その後半世紀近くにわたって国民的タレントとして活躍し続けるタモリについて、数少ない本人の発言やエピソードを洩れなく紹介した一冊。私自身がどのようにテレビを見て来たかを思い出させてくれる。タモリの独特な批評精神と知性に不思議な共感を覚えて来たが、その意味を改めて考えさせられた。(戒能信生)

 

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