2022年10月15日土曜日

 

牧師の日記から(388

109日(日)主日礼拝。ルカ福音書136-9の講解説教「実の成らない無花果の木の譬」。無花果の木は日本原産ではなく、戦国時代末期、ポルトガル船で長崎に持ち込まれ、切支丹たちによって各地に移植されたという。一説には、江戸幕府による切支丹探索の際、無花果の木が植えられている家が一つの目印になったとも伝えられる。聖書にはしばしば無花果の木が登場するが、この箇所もその一つ。ぶどう園に植えられた無花果の木が三年経っても実が成らないので、主人が切り倒してしまえと園丁に命じる。園丁は主人をなだめ、「今年もこのままにしておいてください。周りを掘って肥やしをやってみます。そうすれば実が成るかも知れません」と執り成している。伝統的には、一向に結果が出ないこの世界に裁きを迫る神を、懸命に執り成している主イエスを指し示しているとされる。戦乱が相次ぐこの世界ヘの私たちの責任が問われている。雨で散歩は中止。

1010日(月)午前中、散歩。午後から、11月に予定されている柏木義円公開講演会の案内を印刷し、直子さんに手伝ってもらって賛助会員に発送する作業。『富坂だより』に同胞教会史研究会の報告の短い原稿を書いて、担当者に送付。雨宮栄一著『反ナチ抵抗運動とモルトケ伯』がもうすぐ刊行になるので、その寄贈先のリストを美枝子夫人と相談する。雨宮先生のドイツ教会闘争研究の最後の仕事を多くの人に読んでもらいたい。

11日(火)午前中、散歩。女子学院の創立記念講演会で矢島楫子について講演することになっているので、その準備に取りかかる。しかし450人の高校生を対象に話すのは厄介で、難渋している。夜は山口里子さんのマルコ福音書の聖書ゼミにZoomで参加。10章までの学びが終る。

12日(水)午前中、聖書を学び祈る会。エステル記を取り上げる。異国の地に暮らすディアスポラのユダヤ人たちの困難と、その中からの希望と願いが込められた文学作品と言える。しかしユダヤ人迫害に対する復讐が凄まじい。この辺りがイスラエル史の興味深い点ではあるのだが。

13日(木)小雨の中を午前中、散歩。午後、NCAのリモート講座「日本キリスト教史を読む」で、賀川豊彦を取り上げる。2時間しゃべり続けるとさすがに疲れて声が涸れてくる。この講座は全国各地で60人ほどの人が熱心に視聴してくれている。画面上で何人かの知己の方々に挨拶する。

14日(金)午前中、東京医科歯科大学病院皮膚科の受診。ジンマシンはほぼ治まっているようなので、月一度から6週間毎の受診になる。帰宅すると、大木英夫先生の訃報が入っていた。93歳とのこと。東神大闘争ではお互い激しく対立する立場だったが、不思議にもプライベートでは交流が続き、賀川豊彦献身100年記念プロジェクトで、私の司会で大木先生と古屋安雄先生の対談をしている。午後、大木先生を偲びながら散歩。

15日(土)午前中、散歩。午後、会堂清掃で須賀さん一家が来てくれる。明日の説教準備と来週の女子学院での講演の準備。(戒能信生)

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