2024年3月9日土曜日

 

牧師の日記から(459)「最近読んだ本の紹介」

石垣りん『詩の中の風景』(中公文庫)本書は、この詩人が、『婦人の友』に5年にわたって連載した詩文集を文庫化したもの。佐藤春夫から始まって最後は石垣りん自身の詩に至るまで、有名無名の53人の詩を取り上げ、それを詩人自身がどう読んだか、どう味わったかを紹介している。必ずしもその詩人の代表作ではなく、「くらしの中によみがえる」と副題がつけられているように、詩人自身の生活の中にその詩がどう響いたかが記されている。これはある意味で、詩をどう読むのかの具体例を示す一種の入門書と言えるだろう。もっと早くこの詩人と出会っていたら、そしてこの本を読んでいたら、もっと豊かに詩を楽しめたのにと、今頃になって後悔している。私は詩と不幸な出会いをしている。確か小学校の2年生の時、国語の時間に詩を教えられた。どんな詩だったかは忘れてしまったが、普通の文章と詩の違いについての教師の説明がどうしても納得できなかったことだけは鮮明に覚えている。それ以降、無意識のうちに詩を避けるようになった。だから私は詩のよい読み手ではない。それでも、人に紹介されたり勧められたりして、山村暮鳥や金子光晴、山之口貘、まどみちお、石原吉郎、谷川俊太郎といった詩人たちの詩を、分からないなりに読んで来た。教会学校や子どもの祝福のお話しに引用したりもした。しかし女性の詩人の詩を読んだことはなかった。女流作家の小説を避けてきたことも関係があるかも知れない。ところが、羊子に勧められて石垣りんのエッセー集『朝のあかり』を読んで、すっかりこの詩人の文章に引き込まれてしまった。この人の詩はもちろんのこと、エッセー集にも片端から目を通した。戦時下、女学校を出るとすぐに家族を支えるために銀行に勤め、生涯結婚せず、停年まで勤め上げた彼女は、自らの生きる証しとして詩を書き続けた。それは難解な言葉を避けた生活の中からの鮮烈な言葉で綴られる。一つだけ紹介する。

「崖 石垣りん

戦争の終り/サイパン島の崖の上から/次々に身を投げた女たち。

美徳やら義理やら体裁やら/何やら/火だの男だのに追いつめられて。 

とばなければならないからとびこんだ。ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまっさかさまにする。)

それがねぇ/まだ一人も海にとどかないのだ。十五年もたつというのに/どうしたんだろう。/あの/女。(『表札など』1962年)

茨木のり子『一本の茎の上に』(ちくま文庫)石垣りんの次は、当然のことながら茨木のり子。この女性詩人の書いたエッセー集で、とりわけ金子光晴や山之口貘との交友を綴った文章が素晴らしい。50歳を過ぎてから韓国語の習得に挑戦し、韓国の詩人たちと交流し、その詩の紹介もしている。特に尹東柱についての文章に胸を打たれる。(戒能信生)

 

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