2024年3月23日土曜日

 

牧師の日記から(461

317(日)主日礼拝。ルカ福音書2266-71の講解説教「最高法院の裁判」。ルカ福音書の受難物語の特徴に留意しながら学ぶ。改めてイエスの受難の意味を、「苦しむ者と共に苦しむキリスト」として理解する可能性を探る。それは、私(個人)の罪とその救いに集約されがちな贖罪信仰から一歩踏み出て、世界の苦しみに連帯する服従へと拡がるのではないか。夕方、四ッ谷からホテルニュー大谷を回って迎賓館に出るコースを散歩。桜の蕾がほんの少し色づきかかっている。今週末にも開花か?

18日(月)朝9時過ぎの新幹線で京都へ。この日から三日間、修学院セミナーハウスで、第13回神学生交流プログラムが行なわれる。私はこのプログラムの実務委員として長く関わって来たが、今回を最後に若い世代の担い手に交代してもらいたいと考えている。6つの神学校から合計8名の参加。校長は神田健次先生、講師は原誠先生で、私の親友でもある。

19日(火)朝早く起きて、曼殊院や修学院の周辺を散歩。自然と静寂の中で素晴らしいひととき。西川穂神学生から電話が入り、4月から新宿西教会の伝道師として迎えられることが決まったとのこと。様々な課題は残るが、ともかく西川さんに牧師としての道が開かれたことを喜ぶ。

20日(水)三日目はフィールド・トリップとして京都・大阪の切支丹遺跡を神田健次先生の案内で巡る。マイクロバスをレンタルし、四條畷の切支丹の墓石や、京都市内の殉教地を見学する。織田信長の時代に、京都や大阪の近辺に教会やセミナリオ、病院があり、その後徹底して弾圧された。切支丹の問題は、様々な可能性を想像させてくれる。夕方の新幹線で帰京。弁護士の松居智子先生から、松野ヤスコさんのバイタルが下がって来ているので、万一の際の対応を相談してきた。取り敢えず出入りの葬儀社に連絡し、亡くなった際にはご遺体を千代田教会に運ぶように手配する。神学生交流プログラムの会計報告を作成する。

21日(木)早朝、松居先生から電話で、先ほど松野ヤスコさんが亡くなったとの連絡。直ちに葬儀社に連絡して、千代田教会へのご遺体の搬送を依頼。ご遺族の伊藤地塩さん、松野三郎さんに連絡をとり、葬儀などの相談をする。11時過ぎご遺体が到着。ホールの和室に安置し、納棺式を行なう。24日の主日礼拝に引き続き、葬儀を行なうことになる。1時からキリスト教会館管理組合委員会。その後、NCAの事務所で事務仕事や会計処理。ヤスコさん逝去と葬儀について教会員の皆さんに連絡する。

22日(金)朝一番で植木屋さんが来て、無花果や柿の樹の剪定をしてくれる。その手際の良さに感嘆する。午後4時、葬儀社の佐々木さんが来てドライアイスの交換と打ち合わせ。引き続き告別式の準備。

23日(土)朝7:30から、池袋西教会で朝祷会の奨励。31日の墓前礼拝でヤスコさんの納骨式と、松野家の墓所に分骨することになり、そのための手続きや準備。久しぶりに忙しい一週間だった。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿