2024年9月14日土曜日

 

 牧師の日記から(486

98日(日)主日礼拝。大森意索神学生の説教「子どものように」。イザヤ書11章のメシア預言と、マルコ福音書1013-16のイエスの言葉を結びつけて、一人では生きられない「幼な子のような」存在=私たちについてのメッセージを語られた。分りやすく、よく錬られた言葉で説得的だった。礼拝後のお茶の会で、出席者一人一人に大森さんの説教についての感想や意見、疑問を率直に語ってもらった。概ね好評であった。この日の配信の参加者は、常盤陽子さんとインドネシアから西村正寛さんのお二人。夜は、同胞教会史研究会の発題の準備。

9日(月)午前中、教団の宣教研究所で1951年発行の『一つとならんために-日本基督教団成立十年記念論集』を捜して読む。大きな本ではないが、旧教派の流れがすべて取り上げられているのに同胞教会についての言及だけが全くない。同胞教会の当時の指導者・安田忠吉牧師に原稿を依頼したはずだが、寄稿されなかったようだ。ここに同胞教会の一つの特徴があると言えるかも知れない。すなわち旧教派に恋々とせず、日本基督教団の教会として歩もうとする姿勢と言える。

10日(火)午後、富坂キリスト教センターで第11回同胞教会史研究会。機関紙『同胞』5059号の報告をする。4年間続けられたこの研究会も来年2月が最終回で、その成果を出版しなければならない。秋から来年にかけての大仕事になりそうだ。秋山照彦さんから故・盛永節子記念として託された50万円の献金を、この出版の基金として用いさせて頂くこととする。研究会後、松戸教会の村上恵理也牧師に連れられて、有楽町のガード下の天麩羅屋さんでご苦労さん会。

11日(水)『時の徴』171号の校正が送られてきたので、校正をしてメールで送り返す。また石巻栄教会の川上直哉牧師から『私の救い、私たちの希望』(YOBEL)が送られて来た。ボッシュの『宣教のパラダイム転換』を東日本大震災の被災地の現場で読み直すと何が見えてくるかが大胆に語られていて、教えられること、共感するところがあった。宣教論について私が以前指摘した分析も取り上げられている。

12日(木)この日は一日書斎に閉じ籠もって仕事のはずが、一向にはかどらない。集中力や体力、気力に欠ける感じがする。77歳という現実を突きつけられる思いがする。何とか気を取り直して、メールで送られてきた神学生・久保彩奈さんの卒論の草稿に目を通す。

13日(金)午前中、久保さんの卒業論文の指導。葬儀や結婚式の式文の形成過程に関する研究だが、非キリスト教国日本において、非受洗者の葬儀や結婚式をどう位置づけるかという新しい論点を指摘する。式文にも、様々な神学的課題が潜んでいるのだ。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿