2026年9月30日水曜日

 

 

子育て相談カフェ通信(16)                 

 暑い夏も終わり、はや10月になりました。今年は秋雨前線が長く停滞し、あの酷暑日が過ぎてからは、雨の日が多くなりました。

以前もお伝えしましたが、私は、月1回、岡山の教会(単立岡山御津キリスト教会)に行っています。現在の教会員は、90代2名 80代2名 70代1名 60代1名でしたが、その後、40年前に教会学校に来ていた2名が加わりました。地方の教会の困難さはどこも同じような感じだと思いますが、高齢化とともに、人数が減少し、礼拝を持つことそのものが厳しいというのが現状です。そうした中で、2022年1月から月1回、岡山に行くようになりました。今年1月から説教を月1回、録音して送るようにしました。礼拝の準備自体が、高齢化のため難しくなってきたためです。このペースに慣れたこともあり、7月からは録音を2回にしました。振り返れば、岡山に行き始めて4年半がたちましたが、課題は徐々に増加していて、どこまで自分ができるものかと思ったりします。そんな課題の多いなかでこの8月からは、30年近くやめていた車の運転を再開しました。地方ではバスも少ししかなく、施設に面会にいくためにも必要だと考えたからです。そんなわけで、地方の教会の中でこれからどこまでできるのか考えさせられています。

千代田教会もまたこれからに向けて課題を抱えていて、いろいろと心配もあるかと思います。戒能先生が教会を退去されたあと、どのようにすれば良いものかと思案しています。それでも岡山の教会に比べたら、人材的にも、人数的にも経済的にも、まだ大丈夫だとも思っています。子育て相談カフェには子どもは集まりませんが、来年度の準備の必要もあり、9月からは子育て相談カフェの時間をその準備の時間として使おうと考えています。これからの千代田教会について皆様と相談しながら、「何とかなりますね」と主の計画を信じていこうと思っております。できることを少しずつ行っていこうと思いますが、不得意分野も多いので、ご協力くださるようお願いいたします。

(大森意索)

2026年9月27日日曜日

 

2026年10月4日 午前10時30分

聖霊降臨節第20主日 礼拝(No.27)

             司式 大森 意索 

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-8

讃 美 歌  11

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  76・1—13

讃 歌 歌  288

聖  書  申命記6・4

ヨハネ福音書13・1-20

祈  祷

讃 美 歌  487

説  教  「弟子の足を洗うイエス」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  543

使徒信条  93‐4‐1A

献  金  対外献金「キリスト教盲人伝道協議会の働きを覚えて」  橋本 茂

報  告

頌  栄  29

派遣祝祈

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、臨時招聘委員会

・持ち寄りランチ

・定例長老会

・本日、柴田朋子伝道師は、奥羽教区横手教会で説教奉仕です。

 

2026年9月26日土曜日

 

『ヒンド・ラジャブの声』

柴田朋子

映画『ヒンド・ラジャブの声』を観ました。「ヒンド・ラジャブ」は2024年1月、ガザ地区で殺害された6歳の少女の名前です。ヒンドさんが乗っていた車はイスラエル軍の攻撃に遭い、同乗していた大人たちはみんな死んでしまいます。一人生き残ったヒンドさんが人道支援組織「赤新月社」に助けを求める通話の録音が、映画の核です。他の登場人物は俳優が演じていますが、ヒンドさんの声だけは実際の録音です。舞台は赤新月社のオフィス、電話を受けたスタッフたちは代わる代わるヒンドさんを励ましながら、イスラエル軍の許可を得て救急車を向かわせようと調整を続けます。

最初の通報から何時間も経ち、ようやく二人の救急隊員を乗せた救急車が出動します。助けが近づいていることをヒンドさんに知らせて励ましつつ、救急隊員とも電話を繋ぎ、現地に誘導します。ようやく彼女を救い出すことができるという喜びに溢れた場面です。

ですが観客である私はこの物語の結末を知っています。許可を受けたはずの救急車は現地に着く直前に爆撃され、救急隊員も殺害されます。ヒンドさんが乗った車もさらに銃撃を受け、とうとうヒンドさんも命を落とします。フィクション映画なら、主人公の小さな女の子がなす術もなく殺されるなどということはあり得ないでしょう。でも現実を描いたこの映画では、それが起こる。少女の命のために何人もの大人が必死で繋いだ希望を、電話越しにカタカタと聞こえる銃声が粉々に砕くのです。

調整の最中、救急車出動の許可がなかなか出ないことに苛立った赤新月社のスタッフは、SNSでヒンドさんの通話音声と事情を流し、世界中に訴えます。私も当時、それを見ていました。私には何もできないけれど、現場近くにいる力ある人がきっと動くはず、世界中が見ているのだから見殺しになどできないはずだと信じていました。ですが実際には誰もが無力で、ヒンドさんを助けることはできませんでした。映画を観た後、改めて無力感に打ちのめされたのでした。

その後、監督のインタビュー*を読んで「無力感から生まれる怒りは、何かをするための非常に大きな原動力になる」という言葉に励まされました。「あなたたちが経験していることを、私たちは理解している」という連帯が、チャリティーよりも必要なのだと。知ることしかできないのだとしても、それがいつか大きな力になることを信じるしかありません。目にしたことを語り継ぎ、世界に正義と尊厳を取り戻すための祈りと行動を探し続けたいと思うのです。

* https://www.cinra.net/article/202609-hindrajabjp_imgwyk

 

 

2026年9月27日 午前10時30分

聖霊降臨節第19主日 礼拝(No.26)

             司式 石井 房恵

黙  想         奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-7

讃 美 歌  10

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  75・1—11

讃 歌 歌  94

聖  書  ヨハネ福音書13・20-26、15・11-13

祈  祷

讃 美 歌  510

説  教  「一粒の麦」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  407

使徒信条  93‐4‐1A

献  金              萩原 好子

報  告

頌  栄  28

派遣祝祈

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・牧師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会

・週報等発送作業(ご協力ください)

・らふぁえる練習

・『同胞教会の歴史と資料』出版記念会(15:30)於・原宿教会)

・本日、大森意索伝道師は豊島岡教会で、柴田朋子伝道師は、王子教会で説教奉仕です。

 

牧師の日記から(571)「最近読んだ本の紹介」

ハワード・ノルマン『カナダ合同教会 日本での100年(第二部)』(未定稿)グエン・ノルマンの担当した第一部に引き続き、1924年~1973年のカナダ・メソヂストの日本宣教の記録。取り分け戦前から戦中、そして戦後にかけての日本の教会の歩みが、宣教師たちの眼にどのように映っていたかを知ることができる。日本人を心から愛し、日本社会に対する深い理解と同情をもちながらも、天皇制と戦争体制に巻き込まれていく教会を、言わば切歯扼腕しながら見つめていた宣教師たちの姿が描かれる。中でもアルフレッド・ストーンは、大正期の終わりからカナ・メソの宣教師として活躍し、戦後すぐに再来日して日本の教会の再建と、とりわけ農村伝道のために尽くした。そしてあの青函連絡船洞爺丸に乗り合わせ、自分の救命具を日本人に譲って、自らは犠牲になった。文字通り日本のために命を投げ出したのだ。今でも農村伝道神学校にストーン記念館があるが、カナダから来た歴代の宣教師たちの足跡から学ぶことは多い。訳者の後藤哲夫さんから協力を依頼されて目を通した。立派な翻訳で、出版する意味がある。

中国引揚げ漫画家の会編『少年たちの記憶』(ミナトレトナス)先日、オリーブの会で橋本悠久子さんが大連からの引揚げの経験を話してくれた。その時にも、漫画家に満州からの引揚げ者が多く、その体験をイラスト入りで描いていることを紹介されていた。それで林信子さんが、その原本の大型イラストブックを持って来て貸してくれた。赤塚不二夫、上田トシ子、ちばてつや、北見けんいち、高井研一郎、古谷三敏、森田拳次など10数名の漫画家たちが、満州での戦中から戦後の実体験、とりわけ引揚げの記憶を、イラスト入りで証言している。この国の首相が日本の戦争責任について「自分は反省なんかしない」と発言したそうだが(そして今年の8月15日の発言でも「反省」という言葉が省かれた)、この漫画家たちの絵と証言は雄弁に日本の戦争責任を証ししている。その執筆者の一人千葉徹彌さんは、私の前任地の東駒形教会で、中学生の時、母親と一緒に洗礼を受けている。教会の近くに住んでいて、日曜学校の生徒だったのだ。当時の青年会の機関誌にイラストも描いている。それで2013年に東駒形教会創立90年の際、千葉さんを招いて特別講演をしてもらった。地域の人々も含めて100人以上の参加者があって、礼拝堂は満員だった。(戒能信生)

2026年9月17日木曜日

 

2026年9月20日 午前10時30分

聖霊降臨節第18主日 礼拝(No.25)

             司式 橋本 茂

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-7

讃 美 歌  10

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  74・1—23

讃 歌 歌  307

聖  書  ゼカリヤ書9・9-10

      ヨハネ福音書13・12-19

祈  祷

讃 美 歌  497

説  教  「ロバの子に乗って」

                戒能 信生牧師

讃 美 歌  562

使徒信条  93‐4‐1A

献  金              野口 洋子

報  告

頌  栄  28

派遣祝祈

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、オリーブの会「手作りオルゴール演奏」岡﨑祐一(軽食の用意があります。なるべく多くの方がご参加ください。

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

・本日、大森意索伝道師は岡山御津教会で、柴

 田朋子伝道師は、内丸教会で説教奉仕です。

2026年9月11日金曜日

 

牧師の日記から(570)「最近読んだ本の紹介」

グエン・R・P・ノルマン『カナダ合同教会 日本での100年』(教文館)明治初期からカナダ・メソヂスト教会がこの国に宣教師を派遣して伝道を展開して来た。その通称「カナ・メソ」の1873年から1923年までの歩みを、宣教師たちのAnnual Report(年次報告)をもとにまとめた通史。つまりミッション・ボードや宣教師たちの側から見た日本宣教の記録なのだ。結果として東京や静岡、山梨などの各地に設立された教会、さらに東洋英和、静岡英和、山梨英和等の女学校、さらに関西学院の設立をめぐる宣教師たちの働きが活写されている。翻訳者の後藤哲夫さんから、この後編(1922-1973年を取り上げた第二部)の翻訳について協力を求められているのだ。日本の教会の歴史が宣教師たちの眼にはどう映っていたかを知ることができる貴重な文献。しかも著者が女性であるだけに、男性宣教師たちとの対立や葛藤、さらに宣教師間の宣教理解の相違などにも触れられていて興味深い。著者の夫ハワード・ノルマンの弟ハーバード・ノーマン(日本研究で知られ外交官)が、戦後すぐの時期のマッカーシー旋風に巻き込まれて自死したことから、いまだにカナダではスパイ視されていて、本書はカナダで出版できず、日本で初めて刊行されたいわく付きの書。

赤根智子『戦争犯罪と闘う』(文春新書)プーチン・ロシア大統領やネタニヤフ・イスラエル首相に対する逮捕状を発した国際刑事裁判所(ICC)の所長を務める著者の手記。法学部を卒業後、検事に任官、法務官僚としてのキャリアを積み、大学教員を経て2018年にICCに赴任したという。以前、ある人権問題の裁判を傍聴したとき、国側の代理人として女性検事がずらりと並んで驚いたことがある。聞けば法務省のキャリア官僚の男女比は、女性の方が多いとのこと。新憲法のもとで戦後の法務省が女性に門戸を開いてきたことの成果の一つが、赤根さんの存在と言えるのではないか。大国の横暴と人権無視に対して敢然と抵抗し対峙する国際刑事裁判所と赤根所長にエールを送りたい。

 見田宗介『白いお城と花咲く野原』(河出書房新社)1985~86年に朝日新聞に連載された論壇時評の再刊。今から40年前の時評が、全く色あせることなく、2026年現在の世界を照射する。ソ連の崩壊やオウム真理教事件、東日本大震災が起こる以前の時代と現在とを架橋する稀有な分析と視点に改めて学ばされる。(戒能信生)

 

2026年9月13日 午前10時30分

聖霊降臨節第17主日 礼拝(No.24)

             司式 戒能 信生

黙  想         奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-7

讃 美 歌  10

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  73・1—28

讃 歌 歌  127

聖  書  イザヤ書56・1-5

      マタイ福音書5・21-28

祈  祷

讃 美 歌  486

説  教  「成長するイエス」

               柴田朋子伝道師

讃 美 歌  467

使徒信条  93‐4‐1A

献  金              野口 倢司

報  告

頌  栄  28

派遣祝祈

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・柴田伝道師、奏楽・梅本順子

・礼拝後、お茶の会

・受洗準備会(林信子)

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

・大森意索伝道師は、本日学会出張で不在です。

2026年9月5日土曜日

 

牧師の日記から(569)「最近読んだ本の紹介」

朝井リョウ『イン・ザ・メガチャーチ』(日本経済新聞社)2025年度の本屋大賞受賞作で話題の一冊。表題がアメリカ福音派のメガチャーチを連想させるので手にした。ところが内容は、現代日本の若者たちの内面と心象を抉り出す意欲的な小説だった。但し、スマホやSNSに馴染みのない者には、分からない若者言葉のオンパレード。「エゴサ」(エゴ・サーチ=Web上で自分がどのように評価されているかを検索すること)、以下説明は省略するが、「ハッシュ・タグ」「タグ・イベ」「スクショ」「アクスタ」といった独特の用語が続々と炸裂し、年寄りの読者を落ち込ませる。しかし我慢して読み進めていくと、現代社会で行き場を見失った若者が、新人芸能人の「押し活」(自分が大好きなキャラクターを様々な形で応援する活動)に動員されていく実態が炙り出される。率直に言って、読んでいてつらくなるような心理描写に辟易させられるが、ある意味では現代社会の病理を見事に突き出しているとも言える。しかもそれがアメリカのトランプ現象や各国のポピュリズムと重ね合わせて読者に考えさせる意味が込められている。

川平朝清・ジョン・カビラ『沖縄を語りつぐ』(岩波新書)著者の川平朝清は現在99歳、琉球王国重臣の家系に生まれ、台湾で育ち、戦後沖縄に帰ってアメリカに留学、特に沖縄放送業界の創立を担ったエリートの一人。クリスチャンで、沖縄キリスト教団と日本基督教団との合同に際して重要な役割を担った人。息子たちがサッカー番組の解説などで知られるが、その川平家のファミリー・ストーリーから戦後の沖縄の現実が語られる。つまり政治的な立場と関わりなく、圧倒的な米軍基地が存在する沖縄の歴史と実際が率直に語られる。辺野古基地建設の問題や知事選挙で何かと話題になっている沖縄の課題を改めて考えさせられた。

村木厚子『おどろきの刑事司法』(講談社現代新書)厚生労働省の女性キャリア官僚だった著者が、突然逮捕・起訴されるが、裁判で無罪が証明され、全くの冤罪であることが判明した「郵政不正事件」。その村木さんが、法制審議会の委員として、刑事司法制度の改革に取り組む。取り調べの可視化などの提案をするが、「検事司法の厚い壁」によって中途半端に終わる。その経験からご自身の事件も含め冤罪事件を例に挙げて司法改革への具体的なの提言をしている。(戒能信生)

2026年8月30日日曜日

 

2026年9月6日 午前10時30分

聖霊降臨節第16主日 礼拝(No.23)

             司式 戒能 牧師

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  10

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  72・1—20

讃 歌 歌  171

聖  書  詩編34・1-11

      マルコ福音書2・23-38

祈  祷

讃 美 歌  418

説  教  「味わい、見よ」

               大森意索伝道師

讃 美 歌  470

使徒信条  93‐4‐1A

献  金              常盤陽子

報  告

頌  栄  28

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校 お話し・大森伝道師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、招聘委員会

・持ち寄りランチ(ホール)

・定例長老会

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

2026年8月29日土曜日

 

牧師の日記から(568)「最近読んだ本の紹介」

小塩節『銀文字聖書の謎』(新潮選書)向山功さんから勧められて一読。4世紀、ゴート人(ゲルマン民族の一支族)ウルフィラが、独力で聖書の翻訳に取り組み、40年をかけて旧新約聖書の大部分のゴート語訳聖書を完成したという。ヒエロニムスによって聖書のラテン語訳(ヴルガータ)が成立する以前のことだった。ウルフィラ(Wulf-fila=狼の子)は、ゴート族の有力な族長の息子で、母親はギリシアから略奪されて来たクリスチャンの女性奴隷。母親の影響でギリシア語を習得した彼は、初めゴート族の外交官としてコンスタンチノープルに派遣され、さらに総主教エウセビオスに見出されて、アンテイォキアに留学しキリスト教神学を学ぶ。数年後帰国に際して、総主教からゴート族の最初の司教に任命され、その後の生涯をゴート族への伝道と聖書翻訳に捧げることになる。ゴート族には文字がなく、ギリシア語のアルファベットを準用したその翻訳は、想像を絶する困難を伴った。つまり、ギリシア語聖書から別の言語(しかもまだ文字を持たない言語)に初めて翻訳されたことになる。例えばギリシア語のTheos(神)をゴート語のguth(「相談相手」という意味)と訳した。これがドイツ語のGott、英語のGodの語源とされるのだ。約100年後、東ゴート族のテオドリクス大王によってウルフィラ訳ゴート語聖書を羊皮紙に筆写した「銀文字聖書」が作成され、それが数奇な運命を辿って現在スウェーデンの大学図書館に収蔵されているという。聖書の翻訳や写本の研究は、それ自体独立した学問分野だが、最初のゴート語訳聖書誕生のドラマとその後の歴史を興味深く読むことができた。

高野秀行『幻のアフリカ納豆を追え!』(新潮文庫)早稲田大学探検部出身の著者が、納豆の起源を追ってタイやカンボジア、ベトナム、さらにネパールの奥地を尋ね歩く『謎のアジア納豆』の続編。本書では、なんと西アフリカの奥地(ナイジェリア、セネガル、ブルキナファソ等)にも納豆があったことを突き止める。しかも大豆ではなくバオバブやハイビスカスの実を用いて、それも調味料の一種として(これが日本で我々が普通に食べている納豆と同じものかどうかは別として)食べられている。日本が納豆のルーツだと思い込んでいたが、発酵食品として、地味の乏しい過疎地の貴重な蛋白源として、納豆は優れた食品であることが文化人類学的にも立証される。(戒能信生)

 

2026年8月30日 午前10時30分

聖霊降臨節第15主日 礼拝(No.22)

             司式 戒能 牧師

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  71・14—24

讃 歌 歌  533

聖  書  申命記4・5—9

      ヤコブ書1・9-18

祈  祷

讃 美 歌  355

説  教  「賜物を用いる」

               柴田朋子伝道師

讃 美 歌  536

使徒信条  93‐4‐1A

献  金             津金 寿子

報  告

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

・週報発送作業(時間のある方はご協力下さい)

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

2026年8月22日土曜日

 

「希望の砦」柴田朋子

希望をもつのが難しい。そう思う日が増えてきました。

国会では7月、国旗損壊罪法や改正皇室典範が成立しました。国旗を使った表現は大きく制約されることになります。皇室典範改正においては、神話上の人物である神武天皇が当然のように持ち出され、「2600年以上にわたる皇室の伝統」というフィクションが堂々と語られていました。立法の場でそのようなことが議論されるとは、とても近代国家とは思えません。

そして7月22日、熊本日日新聞によって、陸上自衛隊情報部隊が市民数千人について「愛国心」など思想信条の情報を組織的に調査・収集していることが報じられました。憲法違反の大問題になると思った矢先、「国家情報局」の設置が閣議決定されました。

何年も前から、世の中の空気が戦前に近づいているということが指摘され、このままでは日本が再び戦争への道を歩むようになるという危惧も繰り返し語られてきました。私自身、強い危機感を抱いています。少なくとも国家による思想統制は露骨な現実になりつつあるように感じます。

排外主義的な政策も強化されています。入管庁による「不法滞在者ゼロプラン」はいっそう強化され、外国人の強制送還が積極的に行われています。先日は、難民認定を求める訴訟に敗訴した男性が、自主帰国を決めて東京入管に出頭し、そのまま拘束・収容されるということも起こりました。収容に耐えられる体調ではなく、健康状態の悪化が心配されました。支援者たちが抗議し、数日後に解放されましたが、必要性のない、非人道的な収容であったのは明らかでした。権力がその気になれば、人の自由も尊厳も簡単に奪われてしまうという現実に、怒りと悔しさで気持ちがはち切れそうになります。

社会において正義と平和の実現を目指し、希望をもち続けることはキリスト者の責任だと信じています。一方で、自分の無力さに打ちのめされることもしばしばあります。ですが聖書は言います。「若者も倦み、疲れ、勇士もつまずき倒れようが/主に望みをおく人は新たな力を得/鷲のように翼を張って上る」(イザヤ書40章30-31節)。一度は疲れ倒れても、あるいは何度倒れても、主に望みを置くなら新たに力を与えられる。何度絶望したとしても、主に望みを置くのなら、自由にこの空を飛ぶことのできる翼を与えられる。

そのことを信じ、希望をもち続けたいと願います。そして教会は、絶望した人が訪れ、希望を与えられて再び立ち上がる場所でありたいと願うのです。教会が、希望の砦であるように。神の望まれる正義と平和を追い求める人々の砦、そこで希望を与えられて世界へと歩み出していく場であるように。

 

子育て相談カフェ通信15回「 地図なしに」大森意索

子どもたちの中には、地図を見ればパッとわかる子と、地図を見てもよく分からない子がいます。それは持って生まれた特性のようなものです。お母さんがスーパーでの買い物を子どもに頼む時、それも初めて行くところであったとき、どう説明するかを考えてみてください。地図で説明しますか?それともまず、角を右に曲がって少し行ったら信号機があるからそこを渡って左にいくとコンビニがあり、さらに進むと八百屋さんに着くというふうに説明するでしょうか?

子どもの得意・不得意が分かるある検査で、この地図を見てパッとわかる理解の仕方を同時処理と言い、地図ではなくて逐次方向を説明していく方を得意とする理解の仕方を継次処理と言います。そして、これは一人一人違っていて、どちらの方が得意かは、人それぞれ生まれながらに決まっているのです。そのことを知らないで、親や先生が、みんなと同じように(単に平均的なだけですが)教えようとすると、不得意なことはとても難しいのです。同時処理が苦手な子は地図は苦手なのです。ですから、それぞれの持ち味(得意、不得意)を知っておくと良いのではないかと思っています。

最近では自動車だとカーナビがありますし、個人でもスマホに頼って、とりあえず行き先を入力すれば、連れて行ってくれるようになりましたので、地図を見ながら探すということがほとんどないかもしれません。地図の苦手な子には朗報なのですが、最近ちょっと考えてしまいました。私もほとんど地図を見なくなりましたが、駅で行き先を入力してスマホで見るとき、自分がどちらに向いているのかが分からないということがあります。自分がどっちに向いて立っていて、どちらに向かって進んだらよいか分からないのです。そんな時はとりあえず10Мくらい歩いて、スマホで移動位置を確認する。そうやって位置を確認し、方向が逆だったら、もとにもどる・・・。結局、自分の足で歩いてみないとわからないのです。便利になり、機器に頼ってある程度素早く対応ができる社会になりましたが、どこに向かって進めば良いのかは、便利な機器だけではわからない。便利なものに頼っていろいろとできるようになったけれど最終的には自分で確認しないと、どの方向に向かっていくのかわからない。現代の私たちが抱えた状況を象徴的に示しているのかもしれません。

2026年8月16日日曜日

 

2026年8月23日 午前10時30分

聖霊降臨節第14主日 礼拝(No.21)

             司式 梅本 和義

黙  想         奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-53

讃 美 歌  8

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  71・1-13

讃 歌 歌  192

聖  書  列王記下16・8-16

      ヨハネ福音書12・1-8

祈  祷

讃 美 歌  450

説  教  「ナルドの香油」

               戒能 信生牧師

讃 美 歌  567

使徒信条  93‐4‐1A

献  金             田村喜代子

報  告

頌  栄  27

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(夏休み)

・礼拝後、お茶の会

・大森意索伝道師は、東支区本所緑星教会の説教奉仕に出かけられています。

・柴田朋子伝道師は、北支区下落合教会の説教

 奉仕に出かけられています。

・礼拝堂の後ろに冷たいお茶が用意されていま

 す。水分補給にお用いください。

牧師の日記から(567)「最近読んだ本の紹介」(戒能信生)

阿部正子編『訴歌』(皓星社)から、先週に引き続き、ハンセン病療養所の患者さんたちによって詠まれた短歌のいくつかを紹介する。

「骨埋めむ島とは覚悟定め来て涙落ちたりベッドの上に」

                       小川一男 1939

「病むわれをせめてわが家に死なせむと療園(えん)に入るを父母はこばみぬ」                  大仏正人 1953

「十年前強制の如く送られこし十二人のうち我一人残る」

                        歌川澄夫 1956

「警官にバスを拒否され海沿いのこの道歩みし三十五年前の君」

                        内海俊夫 1978

「癩を病む我を見給ふ父の目は死ねよと如し生みの子我に」

                        瀬戸愛子 1953

「吾の癩告げられし日に死んで呉れといひたりし父の涙も悲し」

                        館 寿樹 1973

「癩全治一号となりたる人は未だ島に住むこの海越へて帰る日はいつ」                     二宮重子 1952

「足を病む我を背負ひて寒き日に医局に通ひし遠き日の夫」

                        北内市子 1988

「手の自由奪われし妻のボタンはめ髪を梳くのも慣れしこの頃」

                        島立 神 1956

「自らの神経痛に苦しみつつ夫はわが手をさすりてくるる」

                        岩本妙子 1965

「二枚づつ塵紙をたたみ小箱におく目しいの夫の取り安きように」

                       石井加代子 1965

「腰痛に起ち居苦しめばわが立つによいしょと傍(そば)に妻が声掛く」                    井上真佐夫 1985

「戦後九年園の民主化なるといへども守衛の壁に手錠掛けてある」

                        横山石鳥 1955

「親子連れ逃走せしは孤児院へ子を送らるる前の夜なりし」

                        木村美村 1935

「記念(かたみ)とて友の遺せしバイブルの金文字の光りわれは偲ぶも」                    向井花一郎 1930

「社会復帰をよろこぶ君のかたはらに病重き君の妻ぎみうつむきて居り」                     深川 徹 1964

「ためらはず癩病む吾らの身のまはり整えくれる若き看護婦」

                        田川健一 1956

「病みゐるをうべないつつも移されし重病棟にきて涙落つ」

                        北村愛子 1960

「すでに目の見えぬ友等と聖歌うたふ光にこだはる思ひ癒へゆく」

                        飯川春乃 1996