2025年4月20日日曜日

 

2025年4月27日 午前10時30分

復活節第2主日合同礼拝(No.52)

             司式 釜坂由理子

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-44

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  9・1-21

讃 美 歌  320

聖書朗読  ダニエル書3・16-18

祈  祷

讃 美 歌  566

説  教 「たとえそうでなくても」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  523

使徒信条  (9341A

献  金             石井摩耶子

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

・教会学校(休校)

・礼拝後、2025年度定期教会総会(於・礼拝堂、ホール)お弁当の用意があります。

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月19日土曜日

 

牧師の日記から(516

 413日(日)主日礼拝。ガラテヤ書の講解説教が終わったので、この機会にいわゆる「贖罪信仰」についての私の理解をまとめて取り上げた。大正・昭和前期の煩悶青年たちの贖罪信仰において、時代や社会の問題が後景に退いてしまった事実、また罪とその赦しに集中するあまり、神の創造の豊さやおおらかな人間性の評価が二の次になってしまうことなどを指摘した。但し、そのような批判や留保を付した上で、贖罪信仰の意義を私は否定していない。礼拝後、大森意索さんの司会で受難週全体祈祷会。続いて戒能直子さんの「私の愛唱聖句」。その後、向山功さんに教会会計の監査をお願いする。いくつかの不備を指摘され、明日修正の手続きをすることになる。

14日(月)午前中、銀行や郵便局で、教会名義の通帳に利息の記帳をする。その上で、向山さん宅に出向き、監査の印鑑を頂く。午後は、神学者の福島揚さん宅で行われた柄谷行人の読書会に参加。『力と交換様式』を改めて読み直す。夜、直子さんに手伝ってもらって総会資料40部の印刷と製本を仕上げる。

 15日(火)午前中、神学読書会でカルヴァンの『キリスト教綱要初版』を深井智朗訳で読み始める。初回は、佐々木潤牧師が「献呈の辞」と初版の背景を解説してくれた。午後に予定されていた読書会「キリスト教と文学」は休止になったが、念のため事務所でしばらく待機。どなたも来られないので帰宅。

16日(水)どうも背中から左胸にかけて違和感があるので皮膚科を受診したところ、帯状疱疹と診断され抗ウィルス剤を処方された。免疫力が落ちているでの体調管理に注意するように言われる。来週の墓前礼拝と納骨式について、多磨霊園の米内屋さんに確認の電話を入れ、またご遺族の千代勝美さんたちに連絡する。墓前礼拝の準備とプログラムの作成。横森智子さんが出張で近くの旅館に滞在中とかで、イースター献金を届けに顔を出してくれる。少しゆっくり話しを聞くことができた。

17日(木)午後、子育て相談カフェで大森意索さんが来られる。二人で勉強会をしているところに、NCCドイツ委員会の菊地純子さんが久しぶりに訪ねて来られる。NCCのプログラムに引っ張り出されそうになるので、慌てて断る。(戒能信生)

2025年4月13日日曜日

 

2025年4月20日 午前10時30分

復活節第1主日合同礼拝(No.51)

             司式 石井 房恵

前  奏  黙想     奏楽 内山 央絵

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  8・1-10

讃 美 歌  17

聖書朗読  イザヤ書12・1-3

      ガラテヤ書1・1

祈  祷

讃 美 歌  318

説  教 「死者の中からイエスを起された」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  326

使徒信条  (9341A

聖 餐 式  配餐・石井寛治、石井房恵

献  金             石井 寛治

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(合同礼拝に合流)

・礼拝後、イースター愛餐会(於・ホール)

12:45 自動車で教会を出発

14:00 墓前礼拝・千代茉香納骨式(多磨霊園千代田教会墓所 第181630番)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月12日土曜日

 

牧師の日記から(515

 46日(日)主日礼拝。ガラテヤ書の611-18の講解説教「イエスの焼印を負って」。「焼印」(stigma)というギリシア語について、注解者たちはパウロが受けた迫害を上げているが、私たちにとってイエスの焼印とは何かを考えさせられる。私たちが洗礼を受けているという事実がそれではないか。ルターが試練の中で「我は洗礼を受けたり」と机にチョークで書いて耐えたというエピソードを紹介した。礼拝後、定例長老会で教会総会の準備。教会会計の決算・予算について話し合う。会計担当の野口倢司さんが、腰の圧迫骨折で来られず、原案をもとに牧師が野口さんと相談してまとめることになる。

 7日(月)午前中、眼科で検査。辞書などの小さい文字が読めないと訴えたところ、残念ながら今以上に良くはならないと宣告。帰りに須賀神社の近辺を散歩。今年の桜の見納め。後はひたすら総会資料作成の作業。直子さんに校正をしてもらう。

8日(火)午後、久しぶりに本郷の慈愛病院に高岸徹さんを、泰子さんと共に見舞う。徹さんは澄んだ眼を開けてこちらを見ているが、声をかけても反応しない。この病院に来て丸1年が経過する。枕許でローズンゲンの今日の聖句を読んで短く祈る。帰宅後は総会資料の作成。従来は荒井眞さんにこの作業を託してきたのだが、今年は入院中でお願いできない。これまでの荒井さんの働きを改めて感謝をもって覚えさせられる。

 9日(水)午前中、皮膚科を受診。季節の変わり目のせいか、このところジンマシンの症状が出る。減らしていた抗ヒスタミン剤を毎日服用するように指示される。NCAの読書会「キリスト教と文学」の講師柴崎聰さんから電話で、腎臓結石のため入院中で、来週の読書会は難しいとのこと。参加者にメールで順延の連絡をする。堀光男先生の追悼集に寄せられた原稿を、米沢薫さんに添付で送付。原稿整理を依頼しているのだ。

 10日(木)午後3時から、子育て相談カフェのために大森意索さんが来られる。未だ相談は寄せられていないので、総会資料の校正をお願いする。一緒に柄谷行人の『力と交換様式』を読み始める。これから毎週木曜日の午後は、大森さんと一緒に学びと話し合いの時をもつことになる。(戒能信生)

 

2025年4月13日 午前10時30分

受難節第6主日礼拝(No.50)

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  7・1-18

讃 美 歌  393

聖書朗読  ゼカリヤ書9・9-10

      ガラテヤ書2・15-21

祈  祷

讃 美 歌  484

説  教 「私の贖罪信仰」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  515

使徒信条  (9341A

献  金              荒井 眞

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子、

・礼拝後、受難週全体祈祷会 司会・大森意索

・「私の愛唱聖句」戒能直子(お茶の会)

・教会会計監査

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年4月5日土曜日

 

牧師の日記から(514)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見俊輔『隣人記』(晶文社)本棚から引っ張り出して再読。著者の交遊録が、独特の文体で記される。かなり以前に読んだので内容はほとんど忘れているが、改めて鶴見さんの簡潔な文体に感銘を受ける。以前にも紹介したと思うが、永井荷風に触れて、その日記『断腸亭日乗』から引用している。「昭和181012日 数日前より毎日台所にて正午南京米の煮ゆる間仏蘭西訳の聖書を読むことにしたり。米の煮え始めてより能く蒸せるまでに四五頁を読み得るなり。余は老後基督教を信ぜんとする者にあらず。信ぜむと欲するも恐らくは不可能なるべし。されど去年来余は軍人政府の圧迫いよいよ甚しくなるにつけ精神上の苦悩に堪えず、遂に何等か慰安の道を求めざるべからざるに至りしなり。耶蘇教は強者の迫害に対する弱者の勝利を語るものなり。この教は兵を用いずして欧州全土の民を信服せしめたり。現代日本人が支那大陸及南洋諸島を侵畧せしものとは全く其趣きを異にするなり。聖書の教えるところ果して能く余が苦悩を慰め得るや否や。他日に待つ可し。」その上で、鶴見さんは戦時下の自身の体験を次のように記す。「戦争中、私は毎日、新約聖書を読んでいた。キリスト教会にゆくと、そこではほとんど毎回、戦争讃美をするので、そこを避けて、ひとりで読んでいた。今まわりにあるのと別の世界がそこにあった。」この言葉を、戦時下の教会についての私の論稿のエピグラフに引用している。日本の教会は、この問いに向き合わねばならない。

鈴木唯生『ゲーテはすべてを言った』(朝日新聞出版)芥川賞受賞作で、バプテスト連盟の牧師の息子が書いたことで話題の書。友人に勧められて一読。ゲーテの名言とされる「愛はすべてを混淆せず、渾然となす」という言葉の出典と真偽をめぐって、ゲーテ研究者とその家族、学会周辺に起こる出来事が描かれる。全編ペダントリーな議論のオンパレードで、西南学院大学大学院に在籍し、まだ24歳という若き作者の博覧強記振りに感嘆させられる。しかし一方で、これが2025年のこの国を代表する文学作品だろうかとも考えさせられ、寂しく感じた。芥川賞受賞作に目を通さなくなって久しいが、ある意味でこの国の現状を反映しているとも思わされた。(戒能信生)

2025年3月30日日曜日

 

2025年4月6日 午前10時30分

受難節第5主日礼拝(No.49)

             司式 大森 意索

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  17

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  6・1-11

讃 美 歌  534

聖書朗読  創世記25・7-10

      ガラテヤ書6・11-18

祈  祷

讃 美 歌  392

説  教 「主イエスの焼き印を身に負って」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  497

使徒信条  (9341A

献  金  対外献金「北海教区新発寒教会の働きを覚えて」    荒井久美子

報  告  

頌  栄  46(二度繰り返して)

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校お話し・大森遺索、奏楽・戒能直子、

定例長老会

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

 

牧師の日記から(513)「最近読んだ本の紹介」

 鶴見太郎『ユダヤ人の歴史』(中公新書)ユダヤ人の歴史について、旧約聖書の時代について勉強してきた。しかしその後はいきなり近世に飛んで、スペインやフランス、イギリス、ロシアでのユダヤ人迫害(ポグロム)、そしてナチスによるホロコースト、戦後のイスラエル建国と、現在も続くパレスチナ問題と続く。しかし本書によって、そのような一般的な認識の空隙が次々に埋められていく。例えばイスラムが中東を支配して以降ユダヤ人たちはどうしたか。あの十字軍の時代にも、ムスリムとユダヤ教徒は共存していたのだ。そしてオスマン帝国の時代のユダヤ教の神秘主義やカバラーの展開、さらにポーランド王国にユダヤ人が流入した背景、ロシア帝国の中でのユダヤ人たちの苦難、ドイツにおけるユダヤ啓蒙主義とシオニズム運動の発生など、ユダヤ人問題とその歴史について自分の認識がいかに断片的なものだったかが明らかにされ、まさに蒙を啓かれる。

中村真人「アウシュヴィッツの焼却炉」『世界』(2-4月号)ナチスによるユダヤ人絶滅計画の中で、アウシュヴィッツを初め各地の収容所に設置された焼却炉が決定的な役割を果した。このルポルタージュは、その焼却炉がユダヤ人の遺体処理のために用いられることを知った上で開発・制作し、メインテナンスをも担った企業トップフ&ザーネ社の歴史を追う。創業者たちはよき家庭人であり、ナチ党員ではあったが、特に反ユダヤ主義者でもなく、ただビジネスとして、会社の売り上げのためにこの恐るべき犯罪に荷担したという。現代にもつながる「産業とホロコースト」という新しい問題が提起されている。

上野千鶴子『フェミニズムが開いた道』(NHK出版)この国のフェミニズムの歴史を、戦前の第一波(雑誌『青鞜』以降)から歴史的に追っていく。戦時下の空白を挟んで、第二波は1970年前後、近代的性別役割分担への問いとして始まったという。そして第三波は1990年代に、揺り戻しと分断の中で政治問題化していく。第四波は2010年以降、MeToo運動から始まり、著者自身の言葉として「フェミニズムとは弱者が弱者のままで尊重される思想」と再定義される。この国の近代史がフェミニズムの視点から見事に腑分けされ感嘆させられる。(戒能信生)

2025年3月23日日曜日

 

2025年3月30日 午前10時30分

受難節第4主日礼拝(No.48)

             司式 野口 倢司

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  19

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  5・1-13

讃 美 歌  115

聖書朗読  エゼキエル書37・1-14

祈  祷

讃 美 歌  348

説  教 「枯れた骨の谷」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  382

使徒信条  (9341A

献  金             橋本悠久子

報  告  

頌  栄  24

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・礼拝後、「十戒⑤」戒能牧師

・週報等発送作業

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年3月22日土曜日

 

牧師の日記から(512

 316日(日)主日礼拝。ガラテヤ書516-26の講解説教「霊の導きによって前進」。「聖霊」の働きについて触れ、三位一体の教理がどのように生れたのかについての自説を語る。本来それは多様な信仰理解を共に受け入れる教理だったはずが、以降排除の基準になってしまったのではないか。説教中、聖書を朗読する際文字が見えにくいので、急遽、講壇用の大型聖書を利用した。先週水曜日、右眼の緑内障と白内障の手術を受けたばかりで、見えにくいのだ。礼拝後オリーブの会で、後任牧師招聘委員会の発足について協議。退任しないで続けてやってほしいという要望が出され、しかもそう言われる皆さんがいずれも私より年長者ということもあり、ほとほと困惑する。

17日(月)東神大全共闘の仲間が7人ほど集まる。いずれも70歳代後半から80歳過ぎで、この間のそれぞれの歩みについて率直に語り合う。50年前の出来事を、つい最近のことのように思い出す。『柏木義円研究』第9号の校正直し作業をして、京都の行路社に郵送。メールで追加原稿のデータを送付。

18日(火)午前中、神学読書会で、キュンクの『イエス』の最後の章を、武蔵野教会の佐々木潤牧師の丁寧な紹介と発題で読む。4月から、カルヴァンの『キリスト教綱要初版』を、何かと話題の深井智朗訳で読むことになる。午後はNCAの読書会「キリスト教と文学」で、原田マハの『奇跡の人』を取り上げる。ヘレン・ケラーとサリバン女史の物語を明治中期の日本の東北に舞台を移して大胆に翻案した小説で、その巧みさに驚く。

19日(水)午前中、珍しく雪が舞い、辺り一面が銀世界になって美しい。午後晴れて来たので、散歩。四谷からお堀の土手沿いに歩くが、周辺の桜は未だ咲いていない。『福音と世界』の新しい連載の原稿の仕事に手を付けるが、なかなか捗らない。

20日(木)10時半から信濃町教会での北支区定期総会。千代田教会からは高岸泰子さんと私が出席。大久保正禎牧師が、支区長を10年も続けているので、交代すべきだと発言し、お隣の四谷新生教会の滝澤貢牧師が新支区長に選任される。最期の閉会祈祷を依頼される。出席牧師の中で私が最も高齢とのこと。

        (戒能信生)

2025年3月16日日曜日

 

2025年3月23日 午前10時30分

受難節第3主日礼拝(No.47)

             司式 石井 房恵

前  奏  黙想     奏楽 梅本 順子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  19

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  4・1-

讃 美 歌  297

聖書朗読  ヨブ記1・20-22

ガラテヤ書6・1-10

祈  祷

讃 美 歌  402

説  教 「時の間に」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  419

使徒信条  (9341A

献  金             萩原 好子

報  告  

頌  栄  24

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・礼拝後、お茶の会

・らふぁえる練習

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年3月15日土曜日

 

牧師の日記から(511)「最近読んだ本の紹介」

 石川明人『戦争宗教学序説』著者はティリッヒ研究から出発し、戦争と宗教との関わりを様々な角度から研究してきた宗教学者。本書は、その著者のこれまでの研究の総まとめとも言える一書で「戦争宗教学序説」と銘打たれている。古今の戦争と宗教(特にキリスト教)との関わりを、例えば従軍チャプレンの問題や軍隊における祈りなどを取り上げて検証している。私自身の個人的な関心では、戦時下の教会での戦死者の葬儀の問題がある。いくつか資料を集めているが、なかなか難しい課題を含む。この難題を、徴兵制がない戦後のこの国の教会は無視・回避して来た。「新しい戦前」とされる今、改めて切実な問いとして突き付けられているのではないか。本書の最後は、『戦艦大和ノ最期』の著者吉田満の紹介で終っている。すなわち「必要なのは、死に臨んでの強靱な勇気とか透徹した死生観とかではない。静かに緊張した、謙虚に充実した日常生活こそが重要なのだ」という吉田自身の言葉で締め括くられている。

宮田光雄『出会いの旅 わが師わが友』(教文館)今年で97歳になる宮田先生から贈られて一読。著者の学問の師(南原繁や丸山真男)、研究仲間(福田歓一や坂本義和)、そして編集者たち(安江良介、森岡巌)との交友や思い出をまとめたもので、私自身が親しくした人々(例えば井上良雄、隅谷三喜男、土肥昭夫)も取り上げられている。キリスト者として、そして政治学研究者として、また東北大学の学生たちを一麦寮に受け入れて育てた歩みも紹介されていて、改めて感銘を深くした。

塩野七生『ルネサンスとは何であったのか』(新潮文庫)以前読んだはずだが、偶々本箱に見つけて再読した。著者の「ルネサンス三部作」を総覧するような仕方で(つまりフィレンツェ、ローマ、ヴェネツィアの三都市の視点から)ルネサンスの全体像が塩野七生調で語られる。特に印象的だったのは、通例とは異なり、アッシジのフランチェスコをその劈頭に置いていること。ラテン語ではなく俗語のイタリア語で民衆に語りかけたこと、新興階級である商人層の信徒たちに支持されたこと、また簡素なフレスコ画法を採用してジョットーなどの画家を育てたことが理由として上げられているのが興味深い。(戒能信生)

2025年3月9日日曜日

 

2025年3月16日 午前10時30分

受難節第2主日礼拝(No.46)

             司式 高岸 泰子

前  奏  黙想     奏楽 向山 康子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  19

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  3・1-

讃 美 歌  196

聖書朗読  イザヤ書35・1-10

ガラテヤ書5・16-26

祈  祷

讃 美 歌  343

説  教 「霊の導きよって前進」

                戒能信生牧師

讃 美 歌  342

使徒信条  (9341A

献  金             萩原 好子

報  告  

頌  栄  24

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校(休校)

・礼拝後、オリーブの会「後任牧師招聘委員会

 の発足と、大森意索担任教師招聘の件」(軽食の用意あり)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年3月8日土曜日

 

牧師の日記から(510

 32日(日)主日礼拝。ガラテヤ書5115の講解説教「キリスト者の自由」。パウロは、律法や世の諸霊(stoikeia)の拘束からの自由を主張する。この時代は奴隷制社会で、教会の中にも奴隷の身分の人々がいた。だからこそ、せめて教会では「奴隷も自由な身分の者もない」と宣言した。礼拝後、定例長老会。420日の墓前礼拝(故・千代茉香さんの納骨式)、27日の定期教会総会の準備について話し合う。特に今年は、会堂・牧師館改修工事の件、後任牧師招聘委員会設置の件、大森意索さんを担任教師として招聘する件など、重要な議題が並ぶ。

3日(月)日本聖書神学校の大森意索さんの卒業式に出席。大森さんは1994年から聴講を始め、足掛け31年かけて卒業したことになる。いろいろな事情で中断を挟んではいるが、最も長期間在籍したことになる。お連れ合いの美依奈さんと怜唯君も出席して祝福されていた。忙しい勤務医として働きながら、夜間に学ぶこの神学校を卒業されたことに頭が下がる思い。

4日(火)午後、弓町本郷教会での北支区教師部例会。この3月で退任される牧師たちの送別会でもある。大泉ベテル教会を辞任される明星晃先生の隠退の辞が感銘深かった。その後、近くの中華料理屋さんで楽しく歓談の時をもつ。

7日(金)午前中、キリスト教会館のオウナー会議にZoomで出席。長く会館の管理を担ってくれた早稻田サービスに代わって新しいビル管理会社に委託することになる。午後、門前仲町の歯科医で定期検診。夜は北支区連合祈祷会。この日は東日本大震災から14年を覚えて、宮古教会の森分和基牧師が奨励をしてくれた。震災の痛苦な体験と、その後の困難多い歩みを紹介され、改めて感銘を深くした。奥羽・東北教区の被災教会からも何人かの参加があり、40名近い参加で豊かな祈祷会だった。

8()午前中、聖書と人間を考える会。三浦むつ美さんの発題でフィリッパ・ピアスのファンタジー『トムは真夜中の庭で』を取り上げて皆で話し合う。午後、早稻田奉仕園で山口里子ゼミの最後の感謝会に出席。足かけ13年に渡ってNCAの聖書講座を担ってくださりその成果は書籍にもなっている。(戒能信生)

2025年3月2日日曜日

 

2025年3月9日 午前10時30分

受難節第1主日礼拝(No.45)

             司式 石井 寛治

前  奏  黙想     奏楽 釜坂由理子

招  詞  93-1-31

讃 美 歌  19

主の祈り  (93-5A) 

交読詩編  2・1-12

讃 美 歌  197

聖書朗読  ヨハネ福音書15・4-5

      ロ-マ書3・19-26

祈  祷

讃 美 歌  290

説  教 「神の義 よしとされてつながる」

               大森意索神学生

讃 美 歌  453

使徒信条  (9341A

献  金             野口 洋子

報  告  

頌  栄  24

派遣・祝福

後  奏 

 

【本日の集会】

教会学校 お話し・戒能牧師、奏楽・戒能直子

・礼拝後、お茶の会(説教への応答)

・礼拝堂の後ろに飲み物が用意されています。水分補給にご利用ください。

2025年3月1日土曜日

 牧師の日記から(509

 223日(日)主日礼拝。エゼキエル書18120の講解説教「責任を負うのは誰か」。「父祖が酸いぶどうを食べれば、子孫の歯が浮く」という古い諺を引いて、因果応報論からの脱却を預言者は主張する。部族社会では、個人ではなく集団が連帯して責任を負うのが慣習とされて来た。しかし先祖の罪を背負って捕囚の苦しみを担う民に、預言者は断固として個人の責任を宣言する。それは、絶望の淵にある人々に、新しい希望と倫理を促す宣言でもあった。礼拝後、入門の会で十戒の第三戒を取り上げる。その後、1時半の新幹線で京都へ。日本クリスチャン・アカデミーの研修会に参加するため。10年以上NCAの責任を負って来たが、この春で理事を退任し若い世代に交代する。この間の困難を共に担って来た仲間たちと夜遅くまで話し合う。

 24日(月)早朝に起きて、セミナーハウスの周辺を散歩。寒さが厳しい中で修学院の自然を満喫する。午前の会議中、雪が降って来て木々に積り、一面雪化粧の絶景。午後の新幹線で帰京。連休のせいで切符がなかなか取れなくて往生する。

25日(火)午前中、神学読書会。キュンクの『イエス』第6章の復活論を、百人町教会の賈晶淳牧師の紹介で読む。『柏木義円研究』9号の校正が上がって来たので、執筆者に著者校を依頼。

26日(水)午前中、整形外科で首の牽引をしてから散歩。皮膚科受診も。教会総会資料のため銀行で松野ヤスコ基金の残高証明の手続きをするが、なかなか厄介でこの日で終わらない。『福音と世界』に5月から「人物日本キリスト教史」の連載が始まるので、ようやくその準備に取り掛かる。月に一度でも連載を抱えると、締切りに追われることになるのだが……。

27日(木)午後、NCAの運営委員会にZoomで参加。来年度のプログラムについて協議。次週の長老会のアジェンダ案作成し長老の皆さんに送付。教会総会の準備も始めなければならない。

28日(金)午前中、整形外科でリハビリ後、散歩。銀行の残高証明の手続きがようやく完了。講談社学術文庫の新刊カルヴァン『キリスト教綱要初版』(深井智朗訳)を読み始めるが、次が小さくてなかなか読み進められない。眼の不自由さがつらい。

29日(土)朝7時半、池袋朝祷会で短い奨励。(戒能信生)