「牧師の日記から」(546)
1月11日(日)主日礼拝。大森意索伝道師の担当で、ピリピ書3・12-23の講解説教「捕らえられて」。「後ろのものを忘れ、前のものに全身を向けつつ」、それぞれの速さで走れと強調されたのが印象に残った。礼拝後、持ち寄りランチ。この試みも定着してきたようだ。続いて定例長老会。2026年度は戒能牧師の代務体制で歩むことになったが、大森先生との役割分担など課題も残されている。午後、大学ラグビーの決勝戦をテレビで観戦。その後は、書斎に籠って明日の講演の準備。
12日(月)午後から千葉支区内房分区の信徒教職研修会が西千葉教会で開催され、「教団宣教論の推移 強勢低下の背後にあるもの」というテーマで講演した。このところ外部からの講演依頼は、基本的にお断りしているが、旧知の西岡昌一郎牧師(千葉教会)からの依頼であり、比較的近くなので引き受けざるを得なかった。これまで様々な機会に講演したり書いたりして来た宣教論についての私の考えを、データと共に紹介した。40人くらいの参加であったが、信徒の皆さんがよく聞いてくれた。田村喜代子さんが館山からわざわざ参加してくれた。
14日(水)午後から、駒込教会で行われた村田重牧師の告別式に出席。神学校時代からの友人で、この10年神学読書会の常連であった。年齢の近い友人に先に逝かれるのはまことにつらい。『福音と世界』に連載している「人物・日本キリスト教史」の4月号の原稿(中田重治)に取り掛からねばならない。
15日(木)ジャーナリストの松浦茂長さんが、来週の読書会で取り上げる遠藤周作の小説『わたしが・棄てた・女』との関連で、井深八重についてのエセーを送ってくれた。井深八重は、22歳の時、腕にできた斑点をハンセン病と診断されて療養所に入る。3年後、それが誤診と判明したが、その後も、八重は療養所に留まり、患者さんたちの友として生涯を神山復生園に献げることになる。私が大学生の時、好善社の藤原偉作理事長に連れられて御殿場の神山復生園を訪ね、院長だった井深八重さんに会っている。彼女が何者かその時は全く知らなかったのだが、その内面から滲み出るような不思議な美しさが、半世紀後の今も鮮やかに記憶に残っている。(戒能信生)
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