2018年12月9日日曜日


牧師の日記から(191

122日(日)待降節第一主日礼拝。ヨハネ書15-10の講解説教「光と闇」。この手紙を取り上げる際に、どうしてもラインホルド・二ーバーの『光の子と闇の子』に触れざるを得ない。原罪についての古い教理を20世紀の政治分析に持ち込み、理想主義や人間の善意に対する安易な信頼を断固として退け、ナチズムや共産主義の悪魔性を鋭く見抜いた二ーバーのChristian Realismの先見性を認めざるを得ない。しかしその政治神学がその後のアメリカ政治に影響を与え、反共主義ドミノ理論の一種の聖典になってしまったこともまた事実。

3日(月)朝から書斎に閉じ籠って、由木康の讃美歌訳詞を、英語やドイツ語の原詞と照合して検証する作業。取り敢えず、「きよしこの夜」(Ⅰ-109)と “Stille Nachat Hailigen Nachat”を比べてみると、全くの意訳であることに驚く。そもそも原曲は6節まであり、日本語訳は3節までなのだ。また「主よ、我をばとらえたまえ」(Ⅰ-333)と、George Mathesonの“Make Me a Captive, Lord”を比較すると、その見事な訳に驚かされる。直訳ではとても日本語詞にならないのに、それをメロディーに乗せて見事な詞になっている。夜は日本聖書神学校の授業。

4日(火)朝一番でお茶の水の東京医科歯科大学附属病院へ。前立腺癌の生検のため二泊三日の検査入院。寝巻に着かえて、検査の合間はベッドでひたすら読書。S.R.Paeceの『初めての二ーバー兄弟』(佐柳文男訳、教文館)を読む。ラインホルドとリチャードの兄弟の生涯を比較して紹介するこの本は格好の二ーバー入門書。弟の “The Social Sources of Denominationalism”しか読んでいなかったので、その後の神学思想の展開に初めて触れることが出来た。後は、黒川創『鶴見俊輔伝』(新潮社)に読み耽る。鶴見さんについての断片的なエピソードは読んできたが、それを伝記という仕方で通して読むと、この比類のない人物の生き方、少年時代の放蕩、16歳でアメリカに渡ってからの勉強の仕方、戦時中に交換船で帰国してからの進所出退や振る舞い、鬱病への対処や老いへの姿勢に至るまで、一貫して揺るぎないことに改めて感銘を受ける。病院の食事は思ったよりもおいしいし、看護師さんは親切。普通の病院では、看護師は補助者のような役割だが、入院病棟ではむしろ看護師が主役であることに気づかされた。

5日(水)朝から絶食。午後になってようやく検査。脊椎穿刺による半身麻酔で、下半身が麻痺しているのが面白い。腰のあたりを触ってみると、誰か他人の身体を触っている感触。「自己認識の揺らぎ」とでも言えるか。生検そのものは1時間ほどで終わり、あとは麻酔が覚めるのをウトウトしながら待つ。

6日(木)午前中のうちに麻酔から完全に覚めて、あとは帰り支度をして帰宅。検査の結果は年末になるとのこと。この日は安静にするように命じられたので書斎で事務仕事。新宿伝道所の解散手続きの書類を整えて支区長に送る。

7(金)10時半からの信濃町教会での支区連合祈祷会に出席。途中で抜け出して農村伝道神学校の授業。この日は鈴木正久を取り上げる。(戒能信生)

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