2018年12月15日土曜日


牧師の日記から(192)「最近読んだ本の紹介」

イェルク・ツィンク『わたしは喜んで歳をとりたい』(こぐま社)茨木啓子さんから頂いたこの小さな本は、改めて自分の老いという意味を考えさせられる一冊だった。著者は著名なドイツの神学者で、詩人でもある。自らの老いを見つめ、そこから紡ぎ出される珠玉のような言葉が、美しい自然と様々な樹木の写真の間に散りばめられている。「わたしという木の枝が曲がっていたからといって、それはたいしたことではない。むしろそれにもかかわらず、わたしに居場所が与えられ神の光を受けながら、生きることが許されたのだ。」「いま、わたしはもう一度若くなりたいとは思わない。わたしは喜んで年をとってきた。そして人生という時の境を超えて、神が共におられることを心から感謝している。」どこを抜き出しても、いずれも心に染み入る慰めの言葉になっている。

上野千鶴子『女ぎらい ニッポンのミソジニー』(朝日文庫)久しぶりに上野千鶴子さんの苛烈な文章を堪能した。この国の性文化のあらゆる領域に果敢に切り込んで、その根底に男性優位思想と女性蔑視(ミソジニー)が潜在している事実を鋭く抉り出している。挑発的な上野節を読みながら、それではキリスト教会はどうなのだろうと考えさせられた。教会員の男女比が1対2の比率なのに、牧師の男女比は8対2なのだ。せめて同率になることが一つの可能性ではないか。

佐々木宏人『封印された殉教㊤㊦』(フリープレス)昭和20818日(つまり終戦の三日後)、頭部に銃弾を受けた射殺死体がカトリック横浜教区の司祭館で発見された。被害者は横浜教区長戸田帯刀神父で、用いられた銃器や前後の状況から、教会施設を接収していた憲兵隊の関与が強く疑われたが、戦後の混乱もあって迷宮入りした事件だった。終戦直後のこの不可解な事件の謎に取り組んで、戸田神父の生い立ちからその生涯を追い、関係者から証言を引き出して戦時下のカトリック教の実情をあぶり出し、さらにカトリック教会内にこの事件を隠蔽する事情が見え隠れする事実を執拗に追跡している。著者は、元・毎日新聞の記者で、カトリック信徒。その執念に脱帽した。

アンゲラ・メルケル『わたしの信仰 キリスト者として行動する』(新教出版社)ドイツのメルケル首相は、東ドイツでプロテスタント教会の牧師の娘として育ち、原子物理学の研究者だった。東西ドイツ統一後政界に入り、女性として初めてのドイツ連邦共和国の首相に就任した。以来、EUの牽引役として、またアフリカやシリアからの難民を受け容れる政策を主唱してきたが、先般の総選挙で与党・キリスト教民主党が敗北したため首相退陣を表明している。そのメルケル首相が折に触れての演説や発言の中で聖書や信仰について語ったものが編集して採録されている。一読し、この政治家が言葉の力を信じ、その信仰を基盤にして政治活動を担ってきたことが読み取れる。翻ってこの国の政治家の言葉の浅薄さと内容のなさを思い、暗澹たる想いに駆られた。(戒能信生)

0 件のコメント:

コメントを投稿